第8話「童貞でもあるまいし」

 一国の王があんなことをしていいのだろうかという疑問はあるけれど、本人が「問題はない」と言っている以上、私がどうこう言うべきではないのだろう。多分。


 私たちの間に、沈黙が落ちる。

 私は長椅子に座ったまま、もぞもぞと居住まいを正す。

 ふと、さり気なさを装いつつ視界の端で陛下を伺うと、彼は例の表情で私を見つめていた。

 懐かしむような、まるで愛しい者に向けるような表情。

 どうして彼がこんな目で私を見るのか、やはり皆目見当も付かない。


「あ、あの。ありがとうございました。……陛下。その、お部屋を用意していただいたこととかも。全て」


 酷く落ち着かない気分になりながらも、勇気を出して口を開いた。

 色々と納得がいかない部分も多いけれど、やはり礼は言っておくべきだろう。

 彼に世話になったこと全てという意味も込めて、そう言った。


 視線だけを持ち上げて伺うと、陛下は何故か不思議そうに、首を傾げながら私をまじまじと眺める。

 凝視されることに気恥ずかしさを覚えて、ついついまたしても刺々しい口調になってしまう。


「な、何ですか? 何か仰りたいことでも」

「いや。貴女が俺に向き合ってくれたのは、これが初めてのような気がする」

「えっと、よくわかりません」

「具体的に言うと、呼び掛けてもらったことだな」

「は、はぁ」


 そう指摘を受けて、確かに彼のことを呼んだのは初めてだったと気付く。


「ところで、俺の名は覚えてくれたかな?」

「……忘れました」


 覚えているにも関わらず、視線を逸らしてそう答えた。

 陛下が「そうか」と少し落胆したように呟くのが聞こえた。

 その様子に、私は初めて彼をやり込めたという達成感がほんの少しと、決して少なくない罪悪感を覚える。


 ところが、その罪悪感もすぐに雲散霧消することとなる。


「ひゃあ!」


 再び抱き上げられて、またしても奇声を上げる。


「つ、次は何ですか? 今度こそ、こうする必然性がありませんよね?」

「まぁ、ないと言えばないかな。ただ、俺の名を思い出してくれるまではこうしていようかと思う」


 と、真顔でそう言った。

 冗談のような言葉だけど、彼は本気だと直感的に理解した。


「エレフザード陛下……エレフザード=ウィルトス=レガリア=ミストルト陛下です!」

「一度で完璧に覚えてくれたとは光栄だ」

「だったら、下ろしてください」

「ああ、そうだな」

「……あの、下ろしていただけませんか?」

「いや、初めて会った時の印象よりも随分と小さい気がしてな。もちろん、それが悪いというわけではなく、むしろ人形のようでかわいらしいが」

「意味がわかりませんから! いい加減に下ろしてください!」

「ああ、わかったわかった」


 私が本気で腹を立てていることを悟ったか、陛下は慌てて絨毯の上へと下ろす。

 彼の腕から自由になると、飛び退くようにして距離を取り、肩を上下させて酸素を貪る。


 心臓に悪い、悪すぎる。

 抱き上げられると物理的な距離が縮まることになり、心臓に悪いことこの上ない。

 喉元に刃を突き付けられた時以上に、寿命が縮まりそうな思いだ。


 そんな私を見つめながら、陛下は口の端を吊り上げる。

 むっとする私とは対照的に、肩を震わせて笑い始める。


 初めて会った時は、冷静沈着な……あまり感情の起伏がなく、どこか近寄りがたい印象を受けた。  

 私に剣の切っ先を向けた時の目は、必要とあれば女子供も容赦なく斬る者のそれだと思った。

 なのに、今の彼は声を上げて屈託なく笑っている。


(こんな顔もするんだ)


 意外に思いながら、気付けば彼に見入っていた。

 私は我に返って、慌ててそっぽを向く。


「正直、不愉快です」


 口に出した言葉は、驚くほど抑揚を欠いていた。

 そう、ここは不愉快に感じるべき場面なのだ。

 新たな表情を知ったからと言って、それに関心を抱いて何とする。

 陛下はぴたりと笑うのを止めた。


「ああ、気を悪くしたならすまない。どうか許してくれ」


 そのの声音に焦りが混じる。

 それでも、私はまだそっぽ向いたままだ。


「……」

「可笑しかったわけじゃないんだ。ただ、あまりにかわいらしくてな、つい」

「はぁ、そうですか」


 眉根を寄せながら彼のほうを見て、怪訝な口調で言った。

 何だか酷くむかむかとしてくる。

 陛下は、私を怒らせたことに本気で慌てているようだけど、そんな時でさえごく自然に「かわいらしくて」などと言える辺り、相当に手慣れているのだと思う。


 彼に視線を戻し、改めてその容姿を観察する。

 女性が夢見る理想の王子様そのもののような姿形をしている。

 いや、実際に一国の王様なのだ。

 この容姿、地位を持ってすれば女性に好かれないわけがない。

 今までずっと、女性にチヤホヤされたことしかないのだろう。

 だから、彼は私のことも簡単に手懐けると信じて疑わない。


 ここに至り、私はこの好待遇が腑に落ちた。

 そうだ、これは先行投資の一環なのだ。

 この私をゲーム感覚で落として、あわよくばつまみ食いしようという魂胆だ。


 私のような絶世の美少女には狩猟本能を刺激されるのも無理はないけれど、お生憎様、思い通りになって差し上げるつもりは毛頭ない。

 私はその辺の有象無象の女たちとは違うのだから。


「本当に、申し訳ないことをした。貴女に会えたことが嬉しくて、浮かれすぎていた」


 黙り込んだ私に、陛下は真摯な姿勢でそう言った。

 うっかり本心から言っていると信じてしまいそうな、迫真の演技である。


「浮かれていた、って……女性を知らない童貞でもあるまいし」


 独白のつもりで呟いたけれど、聞こえてしまっていたらしく、陛下は申し訳なさそうな苦笑を浮かべる。


 ……まぁ、いい。

 相手の魂胆がどうであれ、逆にそれを利用して、せいぜい贅沢させてもらうことにしよう。


「承知致しました」

「え?」

「許します、ということですね」

「そうか」


 陛下は短く言って、心から安堵したような笑みを零す。

 それに引き摺られそうになる自分を律するのは、なかなか精神力を消耗した。

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