第7話 きみのために出来る事

彼女の母親と、俺の父親は兄弟になる。


名目上は。



もともと、志堂の祖父は生まれつき体が弱く結婚後も、5年間子供に恵まれなかったらしい。


親族会議では、度々、後継ぎ問題が取り沙汰された。


祖父が伴侶にと望んだ女性、俺の祖母は、志堂一族ではなかった。


外部の血を嫌う親族の反対を押しきっての婚姻。


しかも、相手は縁もゆかりもない一般人。


祖父からの愛情だけを頼りに嫁いできた祖母は、志堂一族からの非難をものともしない、明朗活発な人だったらしい。


そんな彼女だから、子供に恵まれないことへの誹謗中傷にも耐えられたのだろう。


けれど、志堂本家の当主として、後取りを持たないわけにはいかなかった。


志堂直系の血を絶やすわけにはいかない。


そして、日に日に酷くなる祖母への批判から、彼女自身を守るためにも、どうしても子供が必要だったのだ。


ゆくゆくは、本家を継ぐ事になる子供である。


議論が続く最中、祖父の姉が4歳になる自分の次女を養女に出しても構わないと言ってきたそうだ。


それが、幸さんの母親。


志堂 菜穂子だった。


祖父は、元々目にかけていた菜穂子さんをいたく気に入り、養女に迎えた。



そして、事実上、志堂本家の次期当主は志堂菜穂子と婚姻を結ぶ者となった。


一族内では、さっそく彼女の婚約者候補となるべく、年の近い自分の子供を伴い度々本家を訪れた。



一時、本家の中はにぎやかになり、子供の笑い声が耐えない日が続いたと佐代子さんは言う。


菜穂子さんは聡明な少女で、突然の環境の変化に戸惑いを見せながらも、決して新しい両親の前では、不安や不満を見せることはなかったそうだ。



彼女はいつも、台所に来ては佐代子さんや母親の後ろを付いて周り、何か手伝いたがったらしい。


まるでいまの幸さんのようだ。


本家当主夫妻は、深い愛情を持って、実の子のように、娘を可愛がった。


表面上は、安泰にみえた志堂本家。



和やか団欒は笑顔が絶えず、家族はいつも穏やかであったが、いつも何処かぎこちなかった。


結局どれだけの愛情を抱いても、一族の為に、娘の人生を犠牲したという事実は変えられない。


そして、菜穂子さんを養女に迎えてから5年の歳月が過ぎた。


菜穂子さんの9歳の誕生日を目前に控えたある冬の日。


志堂夫人の妊娠が分かった。


このときの祖父の喜びは、言い表せないほどだったそうだ。


しかも生まれてきたのは男。


俺の父親であり、現社長でもある柾鷹だった。


これまで、本家の中で最重要視されてきた菜穂子さんの立場は、生まれたばかりの父に取って代わられてしまう。


待望の男の子。


しかも、血の繋がった実の息子。


両親の愛情は真っ直ぐ父に注がれた。


勿論、長女への愛情は変わらない。


それでも、かかる期待は、菜穂子さんの倍以上のものだった。


それまでの親族たちの態度は、これを機に急変する。


ただのお飾りの妻であった志堂夫人が、嫡男を出産したのだ。


代わる代わる本家を訪れては、祖母との関係を修復しようと図った。


菜穂子さんも、弟の誕生を心から喜び、可愛がったそうだ。


彼女の婚約騒動は鎮火し、あらたに生後3ヶ月の父の婚約者候補が殺到した。


菜穂子さんの周りは一気に静かになった。


 

志堂本家の明暗を僅か10歳で知ってしまった彼女。


家族が増えて、さらに賑やかになったように見えた志堂本家の中で、菜穂子さんは少しずつ自分の居場所を失っていったのだろう。



そんな彼女は、12歳の時に自分の人生を選択する。



「お父様、私、寮に入りたいんです」


中学受験を控えた秋の日。


彼女はそう言ったそうだ。


「何も遠い学校に行く必要はあるまい?家から通える女子高に行きなさい」


諭すように言った父親に、菜穂子さんは決して折れなかった。


2ヶ月にわたる説得の末、根負けした当主の許可を得て、県外にある全寮制の学校でその後の8年間を過ごす。


短大を卒業と同時に彼女は、大学助教授であった男性と結婚し、そのまま家を出たので、本家で過ごした時間はそんなに長くはない。


どれだけ恵まれた環境に育っても、菜穂子さんが心底幸せに過ごせた時間は、それほど長くは無かったのだ。


その為、幸さんは、志堂本家に対して複雑な感情を抱いている。


彼女の父親である安曇氏にしてもそうだ。


菜穂子さんの生い立ちを知る彼にとって、俺はいわば敵のような存在だった。


俺の父親の誕生を機に、幸さんの母親の人生は一変してしまったから。






「幸さんが泣き止まなくって・・・大旦那様と、大奥様は血相抱えてらして。お気に入りのぬいぐるみやおもちゃを色々と並べてね・・・いつもの気難しい顔がウソみたいに優しくて・・・」


幸さんの笑い声が聞こえる。


佐代子さんは相変わらず家事の手を止めること無く、昔話をしていた。


いつも通りの光景。



「えー、じゃあそれであんなに沢山のウサギのぬいぐるみがあったのね。両親に理由を訊いても笑って教えてくれなくて、ただ、ひとつも捨てちゃだめって」


「そうですよ、大旦那様が、あれがあったら幸さんは泣かないからと言って、デパートを梯子して買ってこられて・・・大奥様に雷落とされてました」


「あたしてっきりお母さんがウサギ好きで集めてるんだと思ってたんです・・・」


「あー・・お嬢様もウサギさんお好きだったですけどね・・・」


「遺伝よー。これ。だって、こんなに年月がたって、くたびれても捨てれないんだもの」


「いいじゃありませんか、お嫁に行く時も持って行かれたら」


「ええー・・・」


ウサギのぬいぐるみを持って。


俺の部屋に彼女が帰って来る日が。


来ればいいのに。





「佐代子さん、父さんに呼ばれたんでちょっと出てきます」



台所を覗くと、幸さんが振り返る。


「今日お休みなのに、大変ね」


「毎度のことですから。幸さんはごゆっくり。夕飯食べて行くんでしょう?」


「あー残念。あたし、今日は父方の従姉妹の家でお夕飯頂くの」


「幸さんの口から、叔父さん側の親戚の話が出るのって、珍しいですね」


「うん。ずっと地方にいて、この間こっちに引っ越してきたのよ」


「へえー・・・」


「だから、チェスは今度教えてね!」


「いいですよ。じゃあ、行ってきます」


「いってらっしゃい」


二人に見送られて、俺は家を出る。




お土産に買う予定のウサギのぬいぐるみを渡すのは今度になりそうだな。


そんなことを思いながら。



★★★



9歳年上の男を連れて、結婚の許しを願い出た菜穂子さんに志堂夫妻は猛反対した。


けれど、彼女の”駆け落ち”宣言で仕方なく結婚を認める事になる。


(この強靭な意志の強さは、愛娘である幸さんにしっかり受け継がれている)


どこまでも自分の意思を貫く娘に、両親が唯一出した、結婚の条件。



それが、志堂の姓を名乗る事だった。



志堂の名前を持つ以上、両親の庇護の下で守ってやれる。


何処に行って生きても、自分達の娘であると。


志堂家の長女であると。


彼らなりの謝罪と愛情表現だったのかもしれない。


彼女もそれを受け入れ、志堂の姓を残した。


「菜穂子お嬢さんは、ご主人と会うためにあの学校へお入りになったんですね」


確信したように、佐代子さんは言った。


「本家にいらっしゃったときよりも、ずっと生き生きして、幸せそうにしておられました」


本家から車で40分のところに住み、幸さんが生まれてからは、しょちゅう子連れで遊びにきていたそうだ。


「私、13歳で親不孝しちゃったから、これから親孝行するつもりなのよ」


両親に幸さんを抱かせてやりながら、縁側で彼女はそう言ったそうだ。


「ただ、もう、あの子には自由に、思いっきり好きな事して生きて欲しいわ」


何にも捕らわれる事無く。


曲げることなく。


「菜穂子、やっぱり目元はお前ににているなぁ」


「あら、お父様、私はお父様に似ていると思ったのに」


「そうかなぁ・・・いや、口元は司郎くんか」


「父さん、でも顔の輪郭は姉さんだよ。まん丸」


「こら、柾鷹!そのうち面長の美人さんになるのよー。でもうちの人は、私に似て欲しかったみたい。可愛く育たなかったら自分のせいだって、しょげてたわ」


「まあ、大丈夫ですよ。男親に似ると幸せになれるって昔からいうでしょう?」


「お母様はお父様似?」


「そうねえ・・・半分ずつ位かしら?」


「それじゃあ、分からないわ」


「でも、間違いなく、幸せになれますよ」


腕の中で眠る可愛い孫を見るその目は、優しい祖母のそれで、見ている佐代子さんは泣きたくなったそうだ。



人生最良の日、だったそうだ・・・

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