マテリアル ~私の年下王子様~
宇月朋花
片思い編
第1話 はじまりのふたり
親族一同が揃う新年の会食。
元旦初日から正装に身を包んで一族が経営するホテルに向かうのは毎年恒例の行事となっている。
子供にとっては退屈以外の何物でもないが、物心付いた時からそれが正月休みの過ごし方として浸透してしまっているので、他の楽しみを探しようがない。
年に一度会うかどうかの親類縁者に、これから次の志堂を背負って立つ長男として父に並んで頭を下げ、どうでもよい挨拶をして回るのは苦痛でしかなかったが、それでも十年以上続けていれば自然と笑顔を貼り付ける術は身について来る。
父親たちが一通り年始の挨拶を終え、予定通りラウンジに向かったのをいいことにその場を出した一鷹は、一人でホテルの中庭へ出た。
誰かに声を掛ければ間違いなく"ご一緒します"と返事が返って来るのは判りきっていた。
常に自分の回りに誰かがいる生活。
特に子供の頃は徒歩圏内の友達の家に行くだけでも必ず送り迎えの車が手配された。
不思議に思わなかったのは自分が幼かった事と、周りの環境が選ばれた場所であったから。
志堂の子供が安心して通えるセキュリティが整った場所、そこだけが自分に与えられた生活スペースだった。
粉雪がちらつく中、外に出る者はほとんどおらず、静まり返った冷たい空気がなにより心地よかった。
自分の将来も、会社の未来も、全てを甘んじて受け入れるつもりで居る。
決して諦めで無く。
この他の場所で生きていける何て思っていない。
きっと死ぬまで自分の世界は志堂の為だけにある。
けれど同時にどうしようもない孤独感にも襲われるのだ。
背負うものの大きさに足が震える。
どれだけ虚勢を張っても、年齢よりも大人びて見えても、まだ自分はほんの子供でしかなくて、懸けられる期待の大きさに負けそうになる。
一度も口にした事のない弱音が、静かな空から雪に混ざって降り注ぐようで、動けなくなる。
「うわーさっむい」
足元ばかりを気にしていた一鷹に唐突にその声は聞こえて来た。
極寒の中庭を満喫しようという奇特な人間がどうやら他にもいたようだ。
上着も着ずに外に出ている自分は不審者のようだろうかと少し心配になった。
ちらりと声の方を振り向けば、そこには紺色のワンピースに身を包んだ女性が立っていた。
夜空を見上げて、淡い色のストールを身体に巻きつける。
その横顔はどこか楽しげで、自分の今の心境と真逆を行く期待に満ちた瞳は印象的だった。
吸い寄せられるようにぼんやりとその顔を眺める。
たしか、どこかで・・・・
志堂の新年の会食の列席者は約200名。
一通り挨拶をした人間の中に彼女の姿を見た気がする。
新年会には志堂グループに勤める分家筋の人間やその家族も顔を出す。
前の年に結婚した者は妻同伴で出席するのが常だった。
そして、次代の跡継ぎへの売り込みを目的として年の近い娘を連れてくる者も少なからずいた。
認めたくないが、すでに婚約者の査定は始まっている。
勿論、本人の預かり知らぬところで。
会場内での記憶を手繰り寄せる途中で向こうが先に口を開いた。
「雪積もるかなあ?」
「・・・・さあ・・・どうでしょう・・・・」
「雪合戦とかしたくない?」
「は・・・?いや、たぶんそんなに積もらないですよ」
山間部ならともかく、都心部で雪合戦が出来るほど雪が積もった事は数える程しかない。
突拍子も無い事を言う女性(ひと)だな。
どう見ても自分より年上の女性が、雪合戦と言い切った事に驚いて、可笑しくなる。
一鷹の周りに集まってくる女性達とは明らかに違う種類の人間だ。
こうして向かい合っても、目の前の彼女からは好意も敵意も感じ取れない。
こんな事は初めてだった。
どういうスタンスで居れば良いのか迷う事数秒。
「つまんないの?」
投げられた質問に言葉を失った。
「え・・いえ」
どうにか首を横に振る。
「そんなつまらなさそうな顔しないの!意外と明日大雪になるかもしれないんだから」
一鷹の否定が気に入らなかったらしい彼女が自信たっぷりに言ってのけた。
面と向かって、しかも初対面の人間に真っ向から否定された。
ガツンと殴られたような衝撃が走った。
これまで出会ってきた人間の誰とも違う(もう女性とかいう範囲では括れない)その接し方に心底驚いていた。
父親の跡を継ぐ一鷹に対する周りの反応はみな同じ。
少しでも自分の印象を良くして出世をと願う肯定論者の集まりだった。
それは子供社会においても同じことで、厳しく親に言いつけられている従兄妹達は皆一様に一鷹の答えを待って、親と同じように頷くだけの存在だったから。
大人も子供も一鷹の言うことやること、全てにおいて否定などしなかったのだ。
両親を含め一部の人間を除いて。
ふと脳裏に浮かんだのは、唯一自分が本音をさらけ出せる内側の人間の顔。
してはいけない、と教えられた事のことごとくを実際にやって見せてくれた強気な笑顔を思い出す。
彼はいつも歯に衣着せぬ物言いで一鷹の懐に飛び込んでくる。
遠慮や期待といった、おこぼれを待つ大人達が持つどろどろした重たい感情の全てから解き放ってくれる、強い光。
同じ種類の光だけれど、彼女の持つ光はもっと淡く優しい。
この人の持つ特別な色は何色なんだろう?
改めて彼女の顔を真っ直ぐ見つめる。
見惚れていたのかもしれない。
「・・・そう・・・・ですね・・・」
戸惑いを隠せずそう答えた。
彼女はそれ以上何も言わず、ただニコニコと笑いかけてきた。
もっと、目の前のこの人の事を知りたい。
その強い眩い光に触れたい。
そんな事を思った。
突然胸に落ちた衝動は、あっという間に一鷹の体内を巡って、鼓動を急かし始める。
何とか会話を引き延ばそうと、伸ばした指先が彼女に触れるより早く、別の声が響いた。
「みゆきー、挨拶は終ったよ。帰ろう」
中庭へ続くドアを開けて父親らしき男性が彼女の名を呼んだ。
”みゆき”
「はーい!あ、これあげるね。風邪引かないように」
中へ戻ろうとした彼女が振り返って、肩に巻いていたストールを外した。
淡い水色とグレーの混ざったそれを一鷹の首に巻きつける。
いきなりのことに言葉が出なかった。
「あの・・・」
「じゃぁねー」
何とか掛けた声は別れのそれに重なって、彼女は父親の元へ走っていく。
ストールは柔らかくて、温かくて、甘い香りがした。
手元に残ったそれを眺めて、今更のように気づく。
闇夜に浮かぶ月が落とす淡い光。
銀と青と白が混ざりあった独特の色。
どんなに混ぜても濁らない優しくて強い光。
まさに、彼女の色だ。
これが、一生のうちで一番大切な一鷹の始まりの記憶になる。
そして、これからの彼の人生を左右する彼女のことを詳しく知るのはもう少し後のこと。
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