第39話 千鶴と白石

 千鶴さんはこの家に嫁いでから、紀子のりこさんと一緒に台所に立って、秘伝の味を習得してゆく。

 紀子さんは休日は出勤しませんから社長の奥さんが、簡単な食事を用意しますが、大抵は紀子さんの作り置きか外で食べるのが多かった。千鶴さんが来てからは、紀子さんの休日の食事は殆どが彼女の役割になった。まあまだ半年ばかりだから完璧では無いが、そこそこは家族の舌に合うようになったが、矢張り紀子さんにはまだ遠く及ばない。その様な関係でこの家では昼間は彼女らの方が遙かに長い。

 食事の用意や買い物以外では希未子きみこさんと一緒になるから、千鶴さんは紀子さんに次いで三番目に多い部類だろう。その希未子さんも昔と違って大きくなるに従って家族との接触が、自我の目覚めと共に少なくなる。そこで家族で無い紀子さんや良く庭の手入れに来てくれた白石さんとは家族には言いにくい話が出来た。しかも紀子さんと白石さんとは同性と異性の関係からその方面の情報も別々に聞ける。

 希未子さんには言いにくい事も、千鶴さんが来てからは間接的に祖母や両親、果ては兄に至るまで、希未子さんは千鶴さんを通じて入って来る。これで鹿能が知らないのは全くの音信途絶で金沢に居る弟のつよしだけになった。剛については希未子さんで無く兄の方が詳しいらしくて、同じ兄弟でも関心が薄いのには千鶴さんも驚いている。

 希未子さんの子供時代は、剛君は鬱憤晴らしの対象だったのだろうか。これにはいつもうじうじして居るから、鍛えてやってると言われたそうだ。そう云う処が希未子さんらしい。それで少しは世間に立ち向かえるように何とかしてあげたい、と思えるような人を相手に選ぶのかと納得している。でもそれがあの鹿能さんとどう繋がっているのか、この庭の手入れに来てくれて、縁側でひと休みする白石さんに千鶴さんは聞いてみた。

 おじいさんは、鹿能かと言ったきり差し出した湯呑みを持ったまま、庭を見てちょっと考えた。白石さんが見詰めるそれぞれの木から伸びきって絡み合う二つの枝に、千鶴さんも視線を合わせて訊ねた。

「どうしてあの枝は剪定しないんですか」

「あそこまで伸びるとどっちを切っていいか迷うんだよ」

「ベテランの白石さんでもそうなんですかじゃあ絡み合う前にどうして切らなかったんですかそのせいか枝が奇妙な伸び方になってますよ」

「御新造さんでもそう思いますかい」

「片方は常葉樹でもう一方は紅葉もみじでしょう、どちらも随分と勝手な方へ枝を伸ばした所為せいかちょっと不思議な今まで見た事も無い枝っぷりになってあれはあれで見飽きませんけれど秋になれば見事な入り込み具合になりませんか? そうなると随分昔に考えた白石さんの手の入れようが伝わるようです」

 白石は縁側に湯飲み茶わんを置くと眉を寄せて腕組みをした。

「あれはあっしが決めたんじゃ無いですよ」

「あらそうなの? でもお義父様に聞けばこの庭は白石さん以外は手を付けてないそうですけれど……」

 そうだねぇと白石は頭を掻きながら苦笑いをして、枝を伸ばすようにしたのは希未子さんだと白状した。

「もう十なん年も成りますかねえあの頃から希未子お嬢さんはそんな突拍子もない事を言いなさる人なんですよ」

 そうなのと千鶴さんは、暫くあの可怪おかしな枝っぷりを眺めて、急に何かを想いだした。

「そう云えばあたしの披露宴のお色直しの洋装に作ってもらったブーケにも 何か通じる物を感じました、それで、あの二人どう思います」

「成る程そこへ飛躍ひやくなすったか」

 と白石は今まで考え付かなかった二人の共通点に、今いち度腕組みをして取っ組んだ。

「そう云えば時空を越えて奇妙な処であの若い二人が重なるから不思議なもんですね」

 あの枝は昔おじいさんから切るように言われました。するとその庭の縁側に目を輝かせて座る小さい小学生の女の子が反対した。しかしそれは少女の輝きでは無い。時空を超えた不思議な大人の眼だった。そして重なり合おうとするまだ届かぬ隣同士の木々の枝を見ながら「おじいちゃんの言いつけを守れなかったのね」とあっしに意地悪な微笑みを浮かべて云われました。

「あらッ、子供の頃の希未子さんて随分と悪戯いたずらっぽかったんですね」

「それで剛君が泣かされていましたからね下手するとその頃のお兄ちゃんもですよ」

 そう云いながらも、白石さんは希未子さんの肩を持っている。兄弟たちはそうされる謂われを持っているからだ。それをお嬢ちゃんは知らぬ間に矯正しているようだ。

「弱い身体からだに忍び寄る邪気をあたしが払ってやらないとあの男どもは大人になれば困るからだと小学生には及ばない言い草にあっしはたまげて見とれてました」

「幼い希未子さんは何から幼い兄弟を守ったのかしら?」

「あの時の希未子お嬢ちゃんはただ漠然としてこんな弱い子のまま大きくなってどうすんのと日頃から小さい胸を痛めていたんでしょう。あっしが思うには弱いなりにも頭を使ってこざかしく生きるのを良しとしない気風を小さいながらも持ち合わせていたようですね」

「それは良いことでしょう」

「そんな女々しくてどうして美しく生きられると。どうも此の家に出入りする腹太りの会社の偉いさん連中を見上げている内にいつも相手にしてくれる会長と比較して自然と身に付いたとあっしは思うんですよ」

「理想の美しさと現実の醜さをその頃の希未子さんはまだ知らなかったんですね」

「今はその狭間で希未子お嬢さんは模索しているんじゃないんですか」

 何をと千鶴さんは訊ねたが、白石さんは困惑しているようだ。


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