第32話 健司と片瀬の比較

 希未子きみこさんは、千鶴さんからモンマルトルの安酒場での話を聞いて、場末の雰囲気に溶け込めない処が片瀬らしいと実感していた。そして鹿能ならあの似顔絵を描いた画家と、おそらく酒を酌み交わしていたと確信しているらしい。どうやら希未子さんには、再会した片瀬は昔のままで変わってないらしい。それゆえに向こうでの苦労が、目に見えるようだが決して同情はしていない。なのに希未子さんは空港バスが京都へ着くまで、時に笑いを交えて片瀬と喋っていた。鹿能は仕方なく勝手に千鶴さんを相手に途方もない話に時間を費やされた。

 その千鶴さんは鹿能の心配を他所よそに、どうも健司さんの話に終始している。今はひょっとしたらネコを被っているかも知れない、と言うほどに過去の放浪人生を健司は暇さえ有れば話してくれるそうだ。

 学生時代は殆ど出席していないし、三回生までは国内を旅していた。主に離島や山深い山間部で、限界集落と謂う所には良く顔を出した。簡単な装備で行ける山は登った。それから祖父に呼び戻されるまでは、主に地の果てを彷徨さまよっていた。それは凄いを通り越して呆れる。自分で働きながら放浪するのは勝手だけど、お金がなくなればおじいちゃんに無心をする。だから苦労は買ってでもしろって言うけれど、健司の場合は逆だ。なんせスネかじりなんだから、それでもお父さんの総一郎さんより良いわね。なんせお父さんはおじいちゃんのイエスマンで仕事以外は何処にも行かず常に社内に留まっていた。そこが片瀬さんに似ているらしい。だからおじいちゃんは、此の二人をさりげなく会社の両輪に置きたかったようだ。

 義祖父は片瀬さんを身内にしておけばベストだからこそ希未子さんに白羽の矢を立てた。それは良いけれど、希未子さんも健司と同様に、今まで自由にさせたらしい。だから希未子さんは特に会社への貢献度は考えてなかったから、それがここへ来て厄介になっているのよ。でもまあ鹿能さんはそんなの気にする必要はないと思うけれど。どう人生を生きようが、人様の迷惑にならない範囲なら自由に生きれば良い。それに今の処そんなしがらみにまとわり付いていないから良いんじゃないの。

 とにかく健司は思いついたら何処どこへ行くか解らない人ですから、泊まるところも飛び込みか野宿でした。だから男の人が羨ましい限りですよ。だから健司は殆ど世間の影響を受けない処で生きている人なんですよ。それが入社すると全く正反対の人と机を並べていたんですから。どうしたものかと思っているうちに、おそらく自分にないものを片瀬さんに見出して、それであの人に興味を持ったんでしょう。

「更に希未子さんが言うには、二人は夢見て暮らす人と現実を見て暮らす人なそうだ。前者が健司ならば後者が片瀬さんなのでしょうか。でもあたしがじかにヨーロッパを一緒に旅して本音で接して思ったのは、片瀬さんは世間から覚めた人なんですよ。それは鹿能さん、あなたにも謂える事なんですよ」

「覚めてはいないですッ。良い作品を創るために、むしろ熱く閉ざしているだけですよ」

「そうね、でも片瀬さんは冷たく閉ざしている、希未子さんはそこを見てるんですよ」

 どう捉えているのか千鶴さんは言わなかった。私はそう言う影響を受けた人の元ではやっていけないと聞いたそうだ。それで如何どうしたか気になったが、その前にバスは到着してしまった。

 京都へ着くと、兄が片瀬の帰国を待って、昼食に誘っている。そこへ四人はタクシーで向かった。希未子と片瀬は渡航前の昔の状態に戻っているようだ。それは脆弱な愛と置き換えられるほどの、友情に似た付き合いだろう。今の処これ以上に彼女に近付けたのは鹿能だけだ。その余裕からか彼は少し片瀬とは距離を置けた。

 タクシーは鴨川沿いの料亭に着いた。此処は夏ならば鴨川に納涼床を出しているが、冬はガラス戸から鴨川が眺めてられた。

 四人は二階の奥座敷に招かれた。そこには健司と父の総一郎が来るはずだったが、急遽紀子さんがやって来た。

 八畳ほどの和室に座布団が六つ置かれている。着席した座布団の前にはさっそくに会席一人膳に載った懐石料理が各自の前には運ばれる。

 なぜ此処に鹿能も同席しているのか、それは希未子によって当家と縁があると印象付ける狙いがある。それと昼食には片瀬が辞退したが、ひと区切り付けたいと総一郎が用意したらしい。社長に同席されるほどの者じゃないと、固辞して社長は取りやめた。だが懐石料理が一人分余り、紀子のりこさんが呼ばれたのが事実のようだ。

 これで社長の思惑通り堅苦しさがなくなっている。紀子さんは、社長はともかくおばあちゃんの世話を奥様に任せて来たのがどうも心残りのようだ。これには健司夫妻が、気にするな元々親父が余計な事をしたからだ。俺はどこかの居酒屋の座敷でも誘うつもりが、選りに選って鴨川にある老舗しにせ料亭の懐石料理なんかを頼むからだよ。だから紀子さんは被害者だと、変な理屈を付けられている。

 紀子さんの隣が健司夫妻で、向かい側の真ん中が希未子さんで、両隣が片瀬と鹿能になっている。真ん中の千鶴さんとまあ前の希未子さんが、そうよ遠慮することはないわよこれも滅多に無い仕事の内よ、と声を掛けられていた。これには健司も大笑いして、向かいに居る片瀬に久しぶりに畳で食べるのも良いだろう、と笑いを誘っている。これに片瀬も応えるように苦笑していた。


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