過保護お姉さんと同居

 去年の十二月、年の瀬も迫ったころの話。

 蒙昧もうまいなボクの父親が、蒙昧もうまいなことを突然言い出した。

「いや、だからさ。今の会社を辞めて、岐阜で陶器職人になろうと思ってさ」

 大学卒業以来、毎月ノルマぎりぎりの営業サラリーマンだった父さんの言葉がこれだ。

 なんかもうね。お気楽そのものだよね。とんでもなく身の程知らずなことを「そうだ、京都行こう」くらいの温度感で言ったよね、今。

 だいたい父さん、陶芸家どころか、二ヶ月に一回は自分の茶碗を落として割ってるようなだらしなさなのになぁ。

「岐阜かぁ、いいわよねえ。白川郷に下呂温泉、それに馬籠宿まごめじゅくなんかも……」

 そのだらしない父さんの隣で、母さんまでが暢気のんきな顔で夢を見ていた。

 本来、夫の迷走をいさめるべき妻までがこの始末。今の今まで、我が家が自己破産だの夜逃げだのといったき目に会わずにすんでいたのは、まったく奇跡以外の何物でもない。

「二人とも忘れてるかもしれないけど、来年ボク受験だよ? 岐阜に引っ越しとか、ムリだよ?」

「忘れてるかもしれないけど」のくだりが皮肉ですむことを祈りつつ、ボクは両親にそう言った。この二人なら、本当に忘れてる可能性もワンチャンある。

「逆に区切りがいいじゃないか。高校の新生活を向こうで迎えれば……」

「いや。志望校、とっくに決めてるし。これから向こうの高校調べて準備とか、ムリだし」

 まったくこの親、我が子の進路を何だと思ってるんだろうか。

 年が明ければすぐに受験シーズンは本格化。今の時期、一分一秒も惜しいくらいだというのに。

 自分が陶芸家になる夢を抱えて路頭に迷うのは勝手だが、こっちの大学までの学費と生活環境はきちんと確保してほしい。

「とにかく、ボクは岐阜になんか行かないから。父さんと母さんが行くなら、ボクはこっちで一人暮らしする」

「いやー、無理だろ。一人暮らしとか、お前には無理だろ」

 父さんはバカにしたように笑うけど、正直言って父さんが陶芸家になるより、ボクが一人暮らしをするほうが百倍は現実味がある。

 お忘れですかね? ボク、ズボラな両親を持ったせいで家事全般は一通りこなせるんですよ?

「心配ないよ。学費や生活費を送ってくれれば、身の回りのことは自分でできる」

「何を言ってるのよ。高校生の男の子が一人暮らしなんて、無理に決まってるでしょ」

 ボクの宣言を聞いて、母さんまでがケラケラと笑い出す。

 ねえ母さん、陶芸ど素人の父さんと岐阜で観光三昧ざんまい生活なんて、ボクに言わせりゃそっちの方がよっぽど無謀むぼうな話だと思うよ。

 自分たちのことを棚に上げて笑い転げる二人にあきれかけたその時、母さんが何かを思い出したように真顔に戻った。

「そういえば真司しんじ兄さんのところの比呂実ひろみちゃん、来年から大学で、この近くで一人暮らしって言ってなかったかしら」


 比呂実ひろみさん。

 赤城あかぎ比呂実ひろみさん。

 母さんの兄である真司しんじ叔父さんの一人娘。つまりはボクの従姉いとこ

 昔から容姿端麗、成績優秀の完璧女子だった。三つ年下のボクを、いつも実の弟のように可愛がってくれた自慢のお姉さんだ。

 幼かりしころは、将来ボクのお嫁さんになってくれないかなーとか、密かに憧れた対象でもある。

 たしかこの近くにある修明大学の推薦合格を早々に勝ち取り、来年の春からはこっちで一人暮らしをすると言っていたっけ。


「明彦。岐阜がいやなら、あんたこっちで比呂実ちゃんと一緒に暮らしたら?」

 ……すげえバカだ、うちの母親。

 いくら親戚だからって、女子大生が思春期まっ只中ただなかの高校生男子と一緒に住むワケないでしょ?

 返事すら忘れるほどあきれるボクをよそに、母さんが取り出したスマホでどこかに電話をかけ始めた。

「……ちょっと、誰に電話してんの?」

「え? 比呂実ちゃんとこ」

 ……すげえ大バカだ、うちの母親!

 ボクの返事を聞く前からヒロねえに電話とか!!!

「……あ、もしもし。比呂実ちゃん?」

「うわあぁぁ! 母さん、ちょっとお!!!」

 止めて!

 誰かこの人止めてぇ!!!

「……うん、そうなのよ。それで明彦が、どうしても向こうに行くのいやだって言うもんだから……」

 狼狽ろうばいのあまり、母さんの声もろくに耳に入ってこない。

 何がイヤって、ずっと憧れだった人に、このバカげた話をどんな悲しい口実で断られるのかとか、考えただけでイヤになる。なんならちょっと死にたくなる。

 精神的ダメージによる再起不能を避けるべく、考えつく限りの謝絶の言葉を脳内シミュレーションしていると、いつの間にか二人の通話が終わっていた。

 母さんはスマホをテーブルに置き、ボクにニヤッと笑いかける。

 母さん、老後の世話は期待するなよな。

「OKだって」

「…………はぁ?」

 憔悴しょうすいのあまり、母さんの言葉が意識の上をすべった。

「OKだって、比呂実ちゃん。今度、一緒にアパート探しに行こうってさ。まるで新婚さんみたいね〜」

 ケタケタと笑う母親に、殺意と感謝を同時に抱いた複雑な瞬間だった。

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