私に釣りを教えてください!

ウヰスキーポンポン

〜序〜 河原にてドタバタ

「……ホイ、……ホイ、……ホイ」

「……はっ! ……はっ! ……はっ!」

 ……ポコッ、……ポコッ、……ポコッ。


 人気ひとけのない河原で繰り広げられる不可思議な光景。

 一目見ただけで状況が理解できる人はおそらく一人もいまい。世界中探したっていやしまい。

 いてたまるか。当事者のオレ自身からして、何をやってるのかだんだん分からなくなってきてるのに。


「ホイ!」

 手にしたボールをヒョイと放る。百円ショップで、三個ワンセットくらいで売っている、フワフワしたあれだ。


「はっ!」

 ボールに反応して、Tシャツにジャージ姿の少女がパッと横に跳ねる。

 気にしたら負けと思いつつも、ユサユサ揺れる大きな胸が目に入って仕方がない。


 ポコッ!

 ボールがゆったり弧を描き、オレの視線のちょっと上、彼女のオデコに当たる。

 その少女、森川もりかわ紗奈さなが「きゃん!」と尻尾を踏まれた子犬みたいな声をあげた。


 かれこれ三十分ほどになるだろうか。この不毛な試みが始まってから。

 誤解のないようにに言っておくがこれ、ボールをキャッチする練習ではない。

 むしろ逆だ。ける練習だ。

 なのにコイツ、なんでかボールが飛んだ方向に跳ねる。子犬かよ。

「師匠!」

 森川が「待った!」とでもいうようにばっと手を突き出す。

「しばらく! あいやしばらくっす!」

 もうひとつ、こいつのこの言葉遣い。

 はじめはもの珍しさも手伝って笑えたけど、いったん慣れるともう疲労原因物質でしかない。

 いくら空手道場の娘だからって「あいやしばらく」はさすがにないわな。

 さっきからひっきりなしにボールに飛びついていたせいで、彼女の息遣いはゼエゼエと乱れ、Tシャツは汗でびっしょり。

 濡れたTシャツが肌にピッタリと貼りついて、その下が見事に透けている。ちょっとオレ好みの形してんなーとか思っちゃうくらい透けている。

 目のやり場に困るので、してきて欲しい。ブラ。

「なあ」

 相手の呼吸が落ち着くのを待って声をかけた。

「お前んち、空手の道場なんだよな?」

「オッス! そうであります!」

「なのになんでお前、ボールひとつけられないわけ?」

「オッス! 申し訳ないであります!」

「道場の人の正拳とオレのボール、どっちが早い?」

「オッス! せいけ……」

「オッスオッスうるせぇーよ!」

 オレの叫びに、驚いたキジが鳴き声をあげて藪から飛び立った。

 ああ。スマン、キジ。

 でもオレは悪くない。

 悪いのはコイツだ。森川だ。

「押して忍ばなくていいから、普通に話せ!」

「オッ……、す、すいません、師匠!」

「『師匠』ってのもやめろ!」

「ええっ!!!?」

 ええっ、じゃねえよ。

 人前でそんな呼び方されたら、ほぼ晒し者の気分だよ。

しかも、お前みたいな時代劇がかったヤツの師匠とかなんだよ。剣の達人かなにかと誤解されるよ。

「じゃ、じゃあなんとお呼びすれば……?」

「好きに呼べ! 括弧かっこ『師匠』除く括弧かっこ閉じ!」

「し、師範!?」

「却下!」

「先生!」

「ムリ!」

「マスター!」

「フォース使えねえ!!!」

「じゃあ、なんならいいんすかぁ~!」

 森川がベソベソ泣き出した。

 泣き出す前に、ノーマルな感性を働かせるという選択肢はないものなのか。

 とはいってもなあ、選択肢以前に、ノーマルな感性そのものがないって可能性もあるんだよな、コイツの場合。

「ああ、もう……! 普通に呼べばイイだろ? 桐谷きりやさんとか桐谷きりやクンとか桐谷きりやちゃんとか……。いや、すまん。最後のは忘れろ」

「目上の人を『○○クン』とか呼べないすよ~」

「別に目上じゃねえ」

「だって、一コ上じゃないすか」

 まあ、礼儀正しいヤツなんだろうが、気の使いどころが間違えている。相手が年下だろうが、「師匠」とか呼ばれるよりクンづけされる方がよっぽどマシだ。

「……じゃあ『桐谷さん』でいいな」

「なんか、他人行儀っすね」

「だって他人だろ」

「た、他人じゃないっすよぉ~~~!!!!!」

 いきなり腕に抱きつかれた。

 やめろ! くっつくな! ていうか押しつけるな!

「カワイイ弟子を! カワイイ弟子を!! カワイイ弟子を他人とはなんすかあ!!!」

「何で三回言った!? 何で三回言った!? 何で三回言った!? だいたい弟子じゃねえし!」

 そう言い放ったとたん、森川の動きがピタリと止まる。

「……で、弟子じゃない…………」

 また目がウルウルし始めた。コイツ、もうホント面倒くせえんだけど。

 見た目はけっこうカワイイのに、なんでこう中身が突然変異種なんだろうな。

「破門されたっす~~~!!!」

 安心しろ。入門すらまだだよ、オマエ。

「師に破門されたとあっては森川一族の恥! この上は腹かっ切って父上に詫びを……」

 そう叫びながらスクールバックをゴソゴソやり始める森川。

 だが目当てのものが見つからないのか、ポイポイとカバンの中身を草むらの上に放り出す。

「えっと……あれ? ……あ、生物の課題まだやってなかったっす」

「おい……」

 なんかもう、コイツがカバンを引っかき回しているこの数分がとてつもなく貴重なものに思えてきた。

「生物の課題の心配は切腹がすんでからにしろ」

「オッス! でも今日は適当なエモノを持ち合わせてないので、日をあらためるっす!」

 おお、そうしろそうしろ。

 ていうか、いつもはそのカバンに適当なエモノが入ってんのか? 空手って、武器を持たないから「空手」なんじゃないのか? それ以前に通報案件じゃあないのか?

「あのなあ、話の最初に戻っていいか?」

「オッス!」

「だからオッスはやめ……。いいや、もう」

 一瞬垣間かいま見えた永久ループの入り口を閉ざし、あらためて仕切り直す。

「だからさ、なんで正拳より遅いボールをけられないんだ? もしかして、道場で正拳も食らいまくってるとかなのか?」

「いえ! 組み手の時の受けとかさばきはできるっす!」

「じゃあなんで……」

「んー……」

 森川が人差し指を唇にあてて、ちょっと考え込んだ。

「殺気がないから……っすかね?」

 っすかね? とか同意を求められても困る。こっちは殺気なんて見たことも感じたこともない。

「じゃあ、殺気とやらがあればけられるのか?」

「はい、たぶん」

 ほう、そうかね。

 殺気を見たことも感じたこともないが、きっと出すことはできるぞ? だって、殺す気で攻撃すればいいんだろ?

 オレは森川に気づかれないよう、そっと後ろ手にボールをつかんだ。

「死ねい!」

 不意をついて、森川めがけ全力投球を敢行かんこうする。

 放たれたボールは狙いあやまたず目標へ一直線。

 うむ。我ながら完璧な手法だ。

「死ねばいいのに」くらいのつもりで投げても、ゴム製のフワフワボールでは人は絶対に死なない。

「死ねばいいのに」とまでは思わないが「もう会わずにすめばいいのに」くらいには思っていること、この投球で伝わるといいな。

 そんなオレの思惑おもわくをよそに、顔面に迫るパステルオレンジの球体を森川の手のひらが軽くはたく。いや、はたくというより手のひらにかすらせて軌道をわずかに変えた。

 ボールが森川の左耳をかすめて飛び去ったのを目にした直後、世界が肌色はだいろ一色に塗りつぶされた。

 ……?

 一瞬、自分の身に起きたことが理解できなかった。

 だが顔をちょっと仰けぞらせて目の焦点を合わせると、顔の前に何かが突きつけられていることに気づく。

 拳だ。

 左手のナックルパート。

 左の正拳を、鼻先で寸止めされていた。

 どうやらコイツ、攻撃に対する反射で無意識に反撃動作が出たらしい。

 こめかみから一筋、冷たい汗が伝い落ちた。

 ……こ、これが……、た、たたか……い……?

「はっ! 師匠、とんだご無礼をぉぉぉ!!!!!」

 叫び声と同時に視界が開けたと思ったら、そこには正座でひれ伏す森川の姿。

「師にこぶしを向けるなど、教えを乞う身にあるまじき所行! 死をもってあがないまするぅ!!!」

 言うが早いか、またカバンをゴソゴソ漁りはじめやがった。

「待て、落ち着け! なかったろ!? さっき適当なエモノなかったんだろ!?」

「これがごさいました!」

 高々と差し上げられた右手に握られているのは、ウサギさんの絵がついた黄色くて小さなハサミ。

 なにそれ、カワイイ。幼稚園から使ってるとかなのか? そのわりにけっこうキレイなのが気になるんだが。

 ……てか、それどころじゃねえぇぇぇ!

「やめろ! 頭でも丸める気か!?」

「そのようなことでお許しを頂けるなら、いくらでもぉ!!!」

「やめてくれ! オレが悪かったからやめてくれえ!」

 自分の髪にハサミをあてようとする森川の手首を必死につかみながら、オレは声を枯らしてそう叫んだ。

 なんでだ?

 なんでたかが釣りの練習くらいでこうなった?

 そう、これはソフトボールとかテニスとかの球技の練習ではない。まして空手の稽古なんかでは決してない。

 釣りだ。

 釣りの練習だ。

 なのに今日一日、まだ一度として竿ロッドを握れていない。

 いまだそこまでたどり着けていない。

 永遠にたどり着ける気がしない。


 この約二週間前、空澄みわたる春の夕暮れ時のこと。

 それまで平穏無事だったオレの人生の歯車が決定的に狂った。

 端的に言えば、コイツと出会った。

 これはオレ、桐谷きりや遙人はるとがことあるごとに疫病神少女につきまとわれる、恐怖と悲哀と困難の物語だ。

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