ワンルーム~another~

 扉が閉まるのはゆっくりだった。


 いっそ、一時停止して巻き戻してもいいかな。


 ・・・わがままだね。




 この部屋には、彼女の抜け殻ばかりだ。


 彼女がいたことを証拠づけるワンルーム。


 貸していたTシャツ、お気に入りのマフラー、一緒に見た映画のDVD。


 灰皿に残る煙草の吸い殻と・・・。




 彼女と初めて出会ったのは、高校生の時。


 すごく眩しかった。


 光のように思えた。


 その時の自分は子供だったんだな。




 社会人になって上京を決意した。


 高校卒業から連絡を取っていなかった彼女から、友達伝いで連絡をくれた。


 そこから、段々と連絡の頻度は増していき、会う約束を交わした。


 場所は新宿の小洒落たバー。


 カウンターに並んで腰かける。


 木目のバーカウンターは、ささくれ一つなくて。なんだか憧れた。


 ウイスキーのロックを流し込んで、彼女とたわいもない話をして。


 それだけでよかった。


 久しぶりに、見る彼女の顔はあの頃と変わっていないように見えた。


 手元を見れば、彼女のカクテルはみるみるうちに減っていき、


 目は微睡んで、口は閉じることを忘れ、よだれが垂れそうになるのを手で拭って、


 彼女はさっき聞いた話をまた話していた。




 飲みすぎた彼女を家へと連れ帰った。


 彼女の家に送り返したかったのに、


 彼女は自分の家の場所を覚えていなかった。




 千鳥足の彼女をベッドに寝かせる。


 冷蔵庫から水をもってきて、彼女を起こして飲ませた。


 ・・・・・・。


 気付いたら、重なっていた。




 指は彼女の身体を這って、温もりを探す。


 自分はこんな最低なことをしているのに、


 必死で。


 そのときの彼女の顔はよく覚えていない。




 朝。隣で眠る彼女を確認して、自分は最低な人間だということを再確認。


 私は一人、ベランダでため息を吐く。


 昨夜のことを悔やみながら、


 空に向かって、舞い上がることのない重たい煙を。




 目覚めた彼女はまた隣にやってきた。


「煙草吸ってると、健康に悪いんだよ」


 俺は言い訳をした。


「煙草を吸うのは、ため息を吐くことを誤魔化せるからなんだよ」


 彼女が吐く煙を見てみたかった。わがままだな。


「吸ってみる?」


 一本差しだした。


「うん」


 慣れない手つきで煙草に火を着けようとするから、


 着けてあげた。


 吸い込んで、


 吐いた煙は、


 天高く舞い上がって、雲一つない空に雲を作った。


「なんか、変な感じ」


 それは、綺麗な空色の雲だった。




 彼女はいつしか、このワンルームで暮らすようになった。


 自分には告白とかそういうのをする勇気はなかった・・・。




 朝起きて、彼女が部屋から出ていくのを見届けてから、支度をする。


「いってきます」


「いってらしゃい」


 このやり取りがいつまで続いてくれるのか、不安で仕方がなかった。


 こんな意気地無しな俺に、


 あといつまで・・・。




 けど、長くは続かないことだってわかっていたんだ。




「私ね、好きな人が出来たの」


「よかったね」


 ・・・言え。


「だから、この部屋からも出ていくね」


 ・・・言えよ。


「・・・・・・」


 嫌だって、


 行ってほしくないって、


 好きだって、


 言えよ、俺・・・。




 俺は、ただの臆病者だ。


 また、ベランダでため息を吐いている。


 あの、最低な朝と同じ。


 唯一、違うのは隣に彼女がいないことだけ。




 その日の「いってらしゃい」はため息が混じった。




 遅かった、なにもかも。


 このままじゃだめだ、と気付くのも。


 彼女に想いを打ち明けることが出来なかった、


 自分の弱さに立ち向かうのも。




「鍵は返すね」


 今、彼女を呼び止めることが出来たら、


「・・・・・・」


 自分の弱さに打ち勝てそうなんだ。


「お互い、幸せになろうね」


 そう思っているなら、なんで君はそんなに泣いているんだよ。


「・・・・・・」


 せっかく、君を幸せにする覚悟が出来たのに、あんまりじゃないか。


「じゃあ、また・・・」


 ドアノブにかける手は震えていて、涙で滑りそうだった。




 彼女は、このワンルームから出て行った。


 二度とは戻ってこない。


 俺は何も言えず、彼女送り出した。


 声をかけることが出来たら、なにかが変わっていただろうか。


 彼女は最後まで綺麗だった。




 俺は、彼女が居なくなってから、禁煙を決意した。


 自分の弱さの象徴である煙草を手放す。




 最後の一本は、ため息じゃない。


 あの日、舞い上がった空色の煙。


 君にも届くといいな。




 弱虫な自分と


 相棒の煙草と


 最愛の君に




 さよなら。




(終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ワンルーム 小雨 @kosame1003

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ