人魚と涙

数多 玲

本編

人魚。

その涙は真珠となり、その歌声を聴けば自我を保てなくなり、その肉を食らえば不老不死の肉体を得るという。

そんな人魚の棲む島が近くに存在するとされた港町に若者は生を受けた。

父は世界一と噂される優秀な船乗りだった。

父が操る船は必ず大漁となり、港町は大きく栄えた。

栄えた街には多くの人が集まる。

多くの人が集まると、そこには黒い噂が流れる。

人魚伝説がそれであった。

人魚の歌声を聴かずに捕らえて連れ帰り、涙と肉で富と不老不死を得る。

そんな欲望が父を狂わせた。

人魚を求めて旅立った船は、ついに港町に戻ってこなかった。

港町に住む者は世界一の船乗りを帰らぬものとした人魚を恐れ、崇めた。

しかしそんな日々も長くは続かない。

漁業で栄えた港町であったが、若者の父をはじめ優秀な船乗りを失った町はみるみるうちに荒廃していった。

そこで町長が取った策は、人魚の噂であった。

人魚伝説に最も近い港町として、冒険者たちを募ることにしたのだ。

冒険者たちを宿でもてなし、金銭を得る。

若者が人魚の島近くまで船を出し、乗船料として冒険者たちから金を取る。

さらに、希望する者に小舟を売り、若者の船から人魚の島に挑む者から金を取る。

そしてその冒険者たちは例外なく人魚の島から帰ることはなかった。

若者は心を痛めた。

町長の意志とはいえ冒険者から金を搾取し、本人の希望とはいえ危険な人魚の島に連れて行った挙げ句見殺しにすることを。

また、平和に暮らしている人魚を港町の利益のために危険にさらすことを。

そんな方法を使って町を栄えさせる片棒を担ぐ自分自身を。

何とか人魚の生活を脅かすことなく、かつ冒険者を見殺しにすることだけは何とかならないものかと。

若者は考えた。

そうしてひとつの結論を得た。

人魚の島近くにある大きな渦。

その渦の手前からしか人魚の島を拝むことができない、として小舟を出すのを諦めさせれば良いのではないかと。

そうすれば小舟を売る儲けはなくなるが、冒険者を見殺しにしないで済む。

若者の心がひとつ軽くなった。

若者の目論見は成功した。

大渦の向こうに小さく見える小島が人魚の島である。

大渦があるためこの向こうには行けないが、逆にこれ以上近づくと人魚の歌声が聞こえてしまう。

幸いにも渦は港町と人魚の島の間、海流がぶつかる地点に存在するため、迂回しようにも流れのせいで大渦に引き寄せられてしまうのだ。

別の海路を行けば大渦に遭遇することなく人魚の島まで行くことはできるが、世界一の船乗りの血を引く若者はうまく大渦に阻まれる海路を選ぶことができたのだ。

果たしてその思惑はしばらく功を奏した。

若者の船から直接人魚の島に挑もうとする冒険者たちはいなくなった。

ただし、若者の船から降りたあと、独自の船で大渦に挑んで帰らぬ人となった冒険者たちは少なからず存在した。

若者は心を痛めた。

人魚の島に挑んで海の藻屑となるのではなく、自分が案内した大渦に挑んで帰らぬ人となった冒険者たちが存在することに。

若者は考えた。

大渦の怖さを冒険者たちに伝えることにした。

しかし冒険者たちは信用しなかった。

しかも、若者が人魚の島に近づかせないようにしていることを厳しく追及した。

若者は人魚の島が危険であること、自分の父がこれに挑んで帰らぬ人になったこと、様々な冒険者たちがここで命を散らせたことを語った。

その瞬間、後頭部の鈍い痛みとともに若者の意識が途切れた。

失われゆく意識の中、船が大渦の端を進み、人魚の島にたどり着いたような気がした。

冒険者たちはもちろん港町で購入した耳栓をしているが、人魚の歌声は耳栓などで封じることなどできない代物であった。

直接鼓膜に響く歌声。

冒険者たちは皆自我を失い、ある者は海に飛び込み、ある者は別の冒険者に斬りかかり、またある者は自らを斬り伏せた。

若者が目を覚ましたのは、見慣れない砂浜だった。

乗ってきた船は見えない。

冒険者たちの姿も見えない。

ふと海を見ると、この世のものとは思えないほど美しい人魚の姿があった。

その人魚はこちらに気づき、泳いでくる。

敵意は、感じない。

助けに来てくれたのだろうか。

他の冒険者たちの安否を訊こう。

そして父と会ったのかも訊こう。

そう思いながら人魚と対峙し、その柔肌で抱きとめられたとき、



人魚に首を噛みちぎられて若者は再び意識を失った。



若者が最後に感じた感覚は、父を思い、人魚を思い、港町の仲間を思い、冒険者たちを思って双眸から流れる涙であった。

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人魚と涙 数多 玲 @amataro

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