第3話 悪魔との契約

 そして今である。三人は去り、一人置き去りにされたクロは死を悟る。


(久々にの人間じゃあないか!)


 突然、深淵から響くような、悍ましい声がする。


 誰の声だろう――。


 そう思い見上げると、目の前に黒いヘドロのようなものが浮かび上がる。ヘドロには、ナイフで切り込んだような、吊り上がった青く光る目と、ギザギザとしたこれまた青い口のようなものがある。


「ざまぁないな人間! 仲間に裏切られ、無様に地面に伏せて、今にも死にそうだなぁ!」


 仲間。いや、あれは仲間だったのだろうか。


「あれは……仲間じゃ、ない……」


「ひぇーはっはははは! そうだ! あれは仲間なんかじゃあない。お前を殺したカスだよ。そんなカスどもに殺されて悔しくないのか、お前?」


「悔しい、よ。俺だって……たくさん、世界を見たかった。これから……だった、のに」


 もう呼吸が苦しくなってきた。体の感覚もない。


「そうだよなぁ? 悔しいよな? 殺したいくらい悔しいよなぁ?」


「き、きみは……誰だ?」


「俺か? 俺様は……"星見の悪魔"とでも言っておこうか」

 悪魔と言った。もし悪魔だとしたら、なぜクロのところに現れたのだろう。


「なんで俺の前に現れたのかって気になってるんだな? 人間ってのは考えが単純だからなぁ。お前の考えがすぐに分かるぞ。なぜかってな、それはお前と契約するためだ」


「どういう……ことだ」


「俺様はこの遺跡に縛り付けられて動けない。動くには依代となる身体が必要。よくある話だろ?」


 悪魔に身体を渡せと言うのか。だがそうすれば恐らく……。


「だがそうすれば、当然お前の身体はお前だけのモノではなくなる。俺様と共有だ。だが、お前このままだともうすぐ死ぬぜ? それはお前が一番よく分かってるだろ? 助かりたければ俺様と契約しろ。悪い話じゃない。お前は生き返り、俺様は自由に動き回れる。win-winの関係ってやつだぁ」


 確かに悪魔の言う通りだ。どんな状況よりも死ぬよりはマシだ。死を前にして思うことはそれだけであった。


「け、契約……する」


「いいね! そうこなくっちゃあ! 俺様の名前は"シリウス"だ。お前は?」


「クロ……」

「"クロ"か。確かに名前を言ったな。それじゃあ、契約は完了だ。いただくぜ!」


 シリウスはそう言うと、クロの体に飛び込んでくる。


「うっ!」


 酷くまとわりつくような感覚が身体中に広がっていく。泥の中にいるような、とにかく不快だ。だが同時に、身体中の感覚が戻ってくる。痛みは引き、血も止まったようだ。ゆっくりと起き上がる。貫かれた胸は、黒いヘドロが埋めていた。


(応急処置だ。しばらくはこうさせて貰う)


 頭の中にシリウスの声が響く。


「シリウス、か。ぼ、僕の身体の中にいるのかい?」


(察しの通りだ)


「ありがとう。君のお陰で死なずに済んだ、のか?」


(礼なんていらねぇよ。だってよぉ、今からこの身体をいただくんだからなぁ!!)


 突如激しい耳鳴りと、頭痛が起きる。


「うっ! うぐぁぁぁぁぁっ!?」


(ひぇーはっはっはっ! この身体は俺様のものだ!明け渡しな!)


「や、約束と、違う……!」


(あれー? 何のことかなぁ? 俺様は全く覚えてないなぁ)


 確かに、身体は「共有」だと言っていたはずだ。


(この身体は共有だぞ? ただ、お前の精神は、魂の奥深くで一生眠ったまんまだ。一応共有はしてんだろぉ? ひぇーはっはっはっ!)

 下劣な笑い声が頭の中に反響する。その度に凄まじく痛い。


「うぐっ……! こ、こんな所で僕の夢を諦めてたまるかよ。僕の人生は……僕のものだ!」


(なっ! こいつ押し返してきやがる!)


 クロはドス黒い精神に支配されぬよう、身体中に力を入れる。


(ふ、ふざけるなぁ! 下等生物めぇぇぇぇ!)


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 身体中から痛みが引いていき、意識がしっかりとクロ自身のものへと定着していく。


「はぁはぁ」


 クロはひざまづき、肩で呼吸をする。


「お、終わったのか?」


 本当に終わったのだろうか。だがシリウスはクロの身体の中にいるはずだ。


「シリウス! おい、いるんだろう!」

(うるせぇな。いちいちでかい声で呼ぶな!)


 すると黒いヘドロがクロの心臓から膿のように出てくる。


「うわぁ!」


 青く光る切長の目が、クロを睨みつける。


「どうやら俺様は、お前の精神を追いやるのに失敗したようだ」


 シリウスはかなり不機嫌そうだ。


「だが、俺様が自由になったのもまた事実だ。お前に俺の力の一部を貸してやる。そういう契約だ」


「力の一部? っていうかそんな契約したっけ? 生き返るだけって」


「ぐだぐだ言うな。まぁ見てろ」


 するとクロの脚がヘドロに包まれて歪に、真っ黒になる。


「う、うわぁなんだこれ!」

「いくぜ!」


 そのまま物凄い勢いで身体が動き出す。自分の身体ではないような高速で、遺跡を駆ける。


「な、何が起こっているのさ!」

(ひぇーはっはっは! 『悪魔化』だ! お前の脚は今、悪魔と融合してるんだ。走り回るのは何千年振りだろうなぁ。気持ちイイぜ!)


悪魔化とは物騒な響きだ。どうやらクロの身体は本当におかしくなってしまったようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る