狂花
式 神楽
第一章 灰の蛇
ギルドの扉を押し開く。内装は質素だが清潔に保たれていて、正面には職別に受付がずらりと並んでいる。左右のテーブルでは、日も落ちないうちから酒を飲む冒険者が座り談笑している。彼らはこちらを一瞥するだけで特に気にしていない。
受付に座る女性は、こちらが近づいているのが分かると書類に落としていた目線を上げる。
「こんにちは。ご用件をどうぞ。」
艶のある黒髪をおさげにした眼鏡の女性は、微笑を浮かべながら言う。こちらを見て微かに赤く染まる頬が、少し地味な印象を覚える顔を彩り、こちらを惹きつける。
「依頼を受けに来たんだ。そうだな、盗賊退治なんてちょうどいいんだが。」
受付嬢から覗いた女の顔に、ふと零れそうになる口説き文句を、笑顔で押し殺して尋ねる。女は一瞬の間を消し飛ばすように軽く咳払いすると、お名前を書いてお待ちくださいと奥に消えていった。
二分ほどの僅かな時間待っていると、数枚の紙を手に先ほどの女性が戻ってきた。
「今ですと、どれも有名で大規模な盗賊の手配書しかありませんね。依頼として出されているものも、すべて高名な冒険者のみが受けられるものでして。」
申し訳ございません、と深々頭を下げる。謝罪されるようなことではない、それに元より手配書を見るのが目的だったわけだ。気にするな、と声をかけようとしたその時。受付のテーブルに毛深い腕が乗せられた。
「高名も高名、一部の世界の奴らからしたら、知らないもんはいねえよ。なあ、悪人狩りのダンさんよお。」
背には大弓を携え、目元に傷のあるその男はにやりと笑いながら言った。悪人狩り。その異名を聞いたことがあったのか、受付嬢は肩をびくつかせ、信じられないものを見たかのように目線を向けた。
「悪人狩りねえ、初めて聞いた名だ。」
ダンは冷たい笑顔でそうつぶやく。割り込んできた男も、纏う雰囲気の違いに少し警戒を強める。
「
語調が強まった男の声は良く響き、ギルド中の音が萎む。
「どんな爺さんかあってみたいとは思っていたが、どう見ても若いにいちゃんにしか見えねえ。」
目を細めこちらを覗き込む男の眼光は、鋭く射貫く矢のようで声には疑いと確信の重みが乗っている。
「人違いだろう。その噂が本当なら俺は若作りの爺になっちまう。」
ふっと冷笑を浮かべ、そうだろうと周りで黙っている他の冒険者に眼を向ける。しかし誰一人眼を合わせるものはいない。固唾を飲んで必死に眼を反らし、空気と成って耳を向ける。
「いや、お前がギルドに入ってきた時から観察してたから間違いねえ。全く足音の立たない歩き方。芯の通った立ち姿に、おどけて見せた時にも常に回りを警戒しておく徹底ぶり。」
現にダンの無意識の動きを、見逃さずに言い当てる男の観察力は相当のものだ。しかし真実に近づくにつれ深まっていく矛盾が存在する。
「お前さん何者なんだ、名を受け継いだ二代目、いやそれも腑に落ちねえ、」
男は途端に顎に手を当て、ぶつぶつと考え込んでしまう。
「ほら、端っからいねえんだよそんな人間。じゃあな。」
大弓の男の推察力に関心しながらも、捨てるように言い残す。踵を返して足早にこの場を後にしようとしたダンの背に、また声が掛けられる。
「あんたは悪人狩りに間違いねえ。俺は狩人として眼も耳も、同時に鼻も良いんだ、誇りがある。香るんだよ、消せない罪を犯した、汚ねえどす黒い血の匂いが。」
ああ、この男も。言葉から伝わる嫌悪とは離れた感情。もとよりこの男もこちら側なのだ。畏敬と憧憬の念が籠る瞳を見ればわかるだろう。啓発されたのだ、昔この男が冒険者になろうというその時。悪人狩りなんて正体不明の悪魔に。
「なんだ、ずいぶんと面白い問答じゃあないか」
恐ろしいまでの静寂を打ち破ったのは、今のこの場にふさわしくないほど陽気な声。二階通路、手すりに寄り掛かった女は、人を騙す妖狐のような瞳で、蠱惑的に笑った。
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