養護施設よつ葉園発・幽霊騒動
与方藤士朗
第1章 お化けが、おった!!
第1話 プールのあたりに、お化けがおった!
日本社会がまだバブルに浮かれていた、1989年。
岡山市郊外の丘の上にある養護施設「よつ葉園」は、市内の津島町から移転して10年近くが経過していた。この地では、世間のバブルの空気とは異質の、旧態依然たる孤児院時代の雰囲気を、まだまだ幾分残していた。
だが、37歳で若くして園長に就任して8年目の大槻和男園長はじめ職員らの尽力によって、その雰囲気は、少しずつだが払しょくされつつあった。
とりわけこの頃の中高生男子らの生活は、実にのびのびとしたものになっていた。いささか無軌道で、ちょっと羽目を外しすぎの要素もあった。
今なら間違いなく大問題になるようなことも、しばしばあった。
とはいえ、それ以上に、世間一般の高校生たちと比べても不自由さを感じられないほどの生活を、彼らはこの地で送れるようになっていた。
プールのあたりに、お化けがおったでぇ!
ある中学生男子児童が、山崎良三指導員に語った。
彼の話によれば、そのお化けというか幽霊は、いつもとは言わないものの、時々、よつ葉園のどこかしこに現れるという。彼の部屋は、2階建ての園舎の1階にあった。ある夜、プールの方向を部屋の窓から見ていると、着物を着た若い女性と、5歳ぐらいの男の子がいた。男の子のほうも、今どきの服装ではなく、和服姿。彼女は、特に彼に怒ったり声をかけたりはしなかった。ただ、息子らしき少年とともに、彼に対して微笑んでいただけだった。
お化けといえば、肝試し。
大体、暑い夏などに暑気払いを兼ねてやることが結構ありますよね。その母子連れのお化けが出たという話が出たのも、やっぱり夏。ただ、それは何も夏だけに限った話ではない。他の季節でも、お化けが出たという話が2階建ての園舎の1階のA寮だけでなく、同じ建物の2階のB寮、それから、少し上に設けられた平屋の園舎のC寮でも、目撃談は、しばしば職員らの耳に入ってきた。
幽霊? お化け? なんじゃい、そんな非科学的な話、いちいち付合っとれんわ。
そのようなことを子どもたちや職員らの前で言ったことこそなかったが、合理主義者で社会性を強調する大槻和男園長は、そんな話が出るたびに、内心、そう思っていた。
当時彼は、よつ葉園の法人の敷地内にある職員住宅2軒のうちの1軒に住んでいて、妻と息子2人と生活をともにしていた。当時の大槻家は、昭和の典型的な核家族だった。彼の自宅近辺で、大槻氏の家族は誰も、お化けを見てはいなかった。
上の息子は元入所児童のZ氏より1学年下で、その年の4月、現役で東京の私立S大学に進学したため、職員住宅にはもう住んでいない。帰省のときは別として、彼はその後その職員住宅に住んだことはない。現在は、首都圏内のある県の県庁所在地で教師をしている。下の息子は当時中学生で、兄に勝るとも劣らぬ学力の高い少年だった。彼もまた兄と同じ県立普通科高校に進学し、その後大学を出て航空会社に勤務している。
二人とも父親の仕事を継がなかったばかりか、その地に住んだのは高校まで。
息子たちはお化けの話を聞いて、それなりに興味は示していたが、へえ、そんな話があるの、といった程度であった。
ただ、彼らの母親、つまり大槻氏の妻は、そういう話を聞くたびに、まあ、あってもおかしな話ではないわねという感じで、その話を興味深そうに聞いていた。
彼らの住む隣の職員住宅には、当時結婚して数年目の尾沢康男指導員の家族が住んでいた。最初の子も生まれ、夫婦と幼児1人かそこらにとって十分に広く使い出のあるその家は、活気に満ち溢れていた。
尾沢指導員は高校数学の教員免許を所持していたが、大槻園長ほど合理主義者という要素はなく、むしろ、情緒的な言動が多い人物だった。
彼らの職員住宅の斜め上にあるC寮の住込み職員用の居室から、ある夜、その部屋に居住する住込みの光本百合子保母が、尾沢邸の近くで遊んでいる母子連れを見たと言った。
もちろん、そんなことを職員会議などの場で話したわけではない。
その母子連れは、光本保母に気づいて、にっこり笑って手を振った。彼女も思わず、二人に手を振り返した。
やがてその母子は、下の管理棟に行く階段を通って、どこかに去っていった。
光本保母はその後も何度かその「母子」連れに出会ったが、あるとき、母親のほうが、大槻園長の住む職員住宅を指して、ちょっと、ここは・・・、と言わんばかりの困ったふうな顔をした。
彼女は、苦笑しながら頷いた。
彼女自身、口にこそ出さないものの、大槻園長の社会観とはいささか相容れないものを持っていた。だが、尾沢指導員宅の前で遊んでいるときの母子連れは、本当にニコニコとして、楽しそうだったという。
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