吾輩はペンである。

首領・アリマジュタローネ

吾輩はペンである。


 吾輩はペンである。

 インクはまだある。


 吾輩はペンではあるが、お尻をペンペンされたらインクが出るシステムのやつじゃなくて、所謂万年筆である。

 別の補充用のボトルがある。

 そんなわけで、インクはまだ出る。


 吾輩は2015年の12月9日に誕生した。

 工場は広島にある。

 今の持ち主である奥様とは高級文房具店で出会った。

 吾輩はお値段がなんと5万円ほどするのだが、奥様はお金持ちなので、一括払いで購入しておった。


 つまるところ吾輩に一目惚れしたらしいのである。

 物には魂が宿るというように、吾輩はペンであるが、こうやって意志を持っている。

 ペンなことを言ってるかもしれないが、吾輩は生きている。

 会話などは出来ぬが、奥様の手の温もりを感じただけでEcstasyエクスタシーして、インクがよく出る。

 奥様のお陰で吾輩は吾輩であることを認知した。

 有り難いことである。


 ※ ※ ※


 奥様はどこかの財閥令嬢だ。

 ワインを片手にペンネをよく食べている。

 そして暇さえあればよく吾輩を利用して日記を書いておられる。

 今日あったことを書き連ねたり、買い物のメモをしたりして、吾輩は常に稼働気味だ。

 吾輩は奥様と出会えて幸せである。


 だが、一つ悩みがあった。


 最近奥様の調子が悪いのである。

 なにやら日記には殴り書きのように「死ね」やら「クソがクソがクソがクソが」と書いていたり、かと思えば「死んでしまいたいです」「私はゴミです」などと書いたりもしている。

 筆圧が強すぎて、吾輩の頭が折れてしまうんじゃないかと思うほどだ。

 時々ベッドに投げつけられたりすることもある。

 だが、流石は心の優しい奥様。

 強く書いていたことを悔やみ、しばらくした後には吾輩に「ごめんなさい」と謝罪をしてくれる。

 心の優しい奥様の謝罪ならば受け入れられる。


 ただ、奥様はずっと心を病んでいるようである。

 以前のように綺麗に書いていた日記の字は歪んで崩れており、書きながら涙を流すこともある。

 インクがないのに強く押して、手を切ったりしたこともある。

 ペンなことにならないか心配である……。


 吾輩は知っている。

 奥様がどうしてこんなに悩んでいるのか。


 それはあの男が原因である。


 ※ ※ ※


 数年前、奥様はとある男と結婚をした。

 そいつは優れた起業家の男であり、奥様とはセレブが集まるパーティーで出会ったそうだ。

 奥様は綺麗だったので、男も一目惚れしたそうだ。

 まるで吾輩と奥様の出会いと同じである。


 そうして二人は出会った直後から付き合いだし、スピード結婚。

 だが、奥様の地獄はそれから始まった。


 男は酒癖が悪く、いつも酔って帰ってきていた。

 奥様が「お酒はやめて」と言っているのにも関わらず言うことなんて聞くはずもなくて、しまいには奥様の顔をビンタするようになった。

 気の弱くて、優しい奥様はヤツには逆らえなくて、それから徐々に主従関係が発生してきた。


 夜、部屋で眠っている奥様を酔った勢いで強姦気味に犯すこともあった。

 言うことを聞かない奥様の頬を殴り「金と美貌以外に価値のないクソアマめ」と罵っていた。

 奥様は笑顔を浮かべていた。

 笑うように強要されていたからである。


 男は仕事が上手くいかなくなったことを奥様に八つ当たりするようになった。

 子供ができなかった奥様の身体を責め立てて「人間のなり損ない」と皮肉をいった。

 奥様はやっぱり笑顔を浮かべていた。


 だけど、我は知っていた。

 部屋に戻って日記をつける奥様が唇を血が出るほどに噛みながら泣いていたことを。

 吾輩もそんな奥様を見るのが悲しくて、インクをよくこぼしたものである。


 男の行動は日に日にエスカレートしていった。


 財産目的で結婚した、と奥様に言い「お前の両親はいつ死ぬんだ。早く遺産をよこせ」と罵ることもあった。

「出来損ないな親の子供は出来損ないだな」と言っていた。


 男が他の女を家に呼ぶこともあった。

 奥様は何も言わずに笑顔でそれを受け入れた。

 他の女に料理を振る舞うこともあった。

 男が他の女たちと楽しそうに飲み交わしている中、奥様はキッチンで一人立たされていたそうだ。

 酒を注ぐように命令されて、すぐ動けるように。


 奥様は決して男には逆らわなかった。

 それは奥様が男のことを愛していたからである。

 だからこそ、かつて好きだった、自分を熱心に口説いてくれたあの以前の彼に戻ってほしくて精一杯ご奉仕した。


 でも、その願いは叶わなかった。


 男はあるとき、奥様に言ったそうだ。

「女が子供を孕った」と。

 笑いながら言ったそうだ。

「お前と違って、生産性のある女だな」と。

 笑いながら言ったそうだ。


 奥様は耐えていた。ずっと泣くのを耐えて笑っていた。

 男は言った。


 「もちろん、降ろさせるよ。俺にはお前がいるしな」


 男はワインを傾けながら笑っていた。



「お前なら妊娠しなくて済むから処理に最適だ」



 その日、奥様の日記にはこんなことが書かれてあった。



 『こいつと結婚を決めた自分を殺してやりたい』と。



 ※ ※ ※


 覚悟を決めた奥様はその日、逃げようとしていた。

 奥様は手に汗握っている。

 吾輩を持つ手が汗ばんでいる。

 吾輩も奥様も震えていて、文字が歪んでいた。


 離婚届、という紙を記入し終えて、奥様をホッと息を吐いた。

 昨夜書いた、男への別れの便箋を机において、奥様を荷造りを始めた。

 男は仕事で帰ってくるのは夜である。

 ここは田舎なので、電車があるところまでは走っていかなければいけないが、昼間なのできっと大丈夫だ。


 そう、思ったとき、玄関のドアが開いた。


 昼間から酒浸りの男が帰ってきた。

 奥様は急いで手紙を隠そうとしたが、荷造りの最中であることを忘れていた。

 男はスーツケースを睨みながら、奥様に言った。



「おい、お前もしかして俺を捨てようとしているんじゃないだろうな?」


「い、いえ……決して、そんなことは」


「逃げようとしているよな? 確実に逃げようとしているよな? なあ、なんで荷造りしてるんだ? 友人と喫茶店に行く量の荷物じゃないもんなぁ。旅行でも行く気か? 俺に相談も無しで? 一人で何もできないお前が、旅行でも行く気か? おかしいよなあ、どう考えてもおかしいよなあ」


「ゆ、許してください」


「許す? 何を許すんだ? やっぱり逃げようとしてたってことか? お前のような何もできない愚かな女が、一人で生きていける力もない身体と実家の太さしか価値のないお前が、俺に拾われただけ感謝すべきことじゃないのか? あ?」


「ごめんなさいごめんなさい殴らないでくださいお願いします」


「それは殴ってくださいってフリか?」



 男が奥様の髪を引っ張って、顔をビンタした。その後に何度も何度もビンタした。

 奥様の目からは涙が溢れ出てきている。

 ポケットから隠していた手紙と離婚届が落ちてくる。

 男がそれを拾って、奥様の前で顔を歪める。



「おいおいおいおい、なんだこれは? やっぱり逃げようとしていたってことだよなぁ〜。毎回、俺のをしゃぶらせてやっているのに感謝が足りてねぇみてぇだな。もう一回、調教してやろうか。誰に逆らったらいけないのか、力関係をハッキリさせてやろうか? 服脱げよ、オラ。土下座しろ」


「……はい」



 奥様が言われた通りにする。

 吾輩は横たわったまま、それを見ている。



「舐めやがってクソアマがよお。舐めやがって。クソがクソがクソがクソが。生きる価値なんてねぇんだよ。大人しく俺のいう通りにしておけよ。なあ? わかってんのか?」



 奥様が土下座をしていると男が頭を踏みつけた。

 奥様が嗚咽をこぼしている。



「返事をしろよ、なあ? お前はずっと俺の奴隷なんだよ。奴隷でしかないんだよ。二度と逆らいませんと言え。それを言わないんなら、身体に焼き印をつけて、二度と誰のところにも嫁げないようにしてやる。わかった?」


「……はい。二度と逆らいません。申し訳ございませんでした」


「声がちぃせぇーんだよ!!」



 奥様が蹴られる。

 身体がテーブルに叩きつけられる。

 反動で机が揺れる。



 ──奥様、今、助けますゆえ。



 揺れた反動を利用して、吾輩はテーブルから跳ねた。

 ビュンと空を切って、男の喉元に突き刺さる。

 そのままの勢いで、突き抜けて、壁に着地した。


 ガリガリガリ、ヒュー、ストン。


 男の喉をブッ刺して、吾輩はゆっくりと地面に落ちてゆく。

 赤いインクが全身を覆っている。


「あっ、あっ……おっ、おっ……おおおお……おおお」


 男は声にならない声を出して、痙攣し始めた。

 目を見開き、喉を押さえながら、プルプルと震えている。

 息ができないのか、空いた穴からスゥーと音が漏れている。


 そうして、しばらくして男は絶命した。

 

 奥様はその様子をガタガタと震えながら見ていた。

 口元を押さえている。


 だが、思い立ったようにどこかに電話をかけていた。

 遠くのほうからサイレンの音が聞こえる。

 奥様は泣いていた。

 男に寄り添いながら泣いていた。


 どこまでも心の優しい奥様である。

 そんな奥様に吾輩は敬意を払っている。


 吾輩はペンである。

 お尻をペンペンされて出るタイプじゃなくて、所謂万年筆というやつである。

 

 だが、インクはもうない。

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吾輩はペンである。 首領・アリマジュタローネ @arimazyutaroune

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