二章 貴方と私の交流

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「うーん……迷うなぁ」


 跨麟は仕事帰りに購入した観光ガイドブック数冊を前に、自室でウンウンと頭を悩ませていた。


 ひょんなことから知り合いになった外国人、ヴァル・メルキオール。

 彼とはあれから電話やトークアプリなどで連絡を取り合い、牛歩並みにではあるが順調に交友を深めていた。

 初めのうちは慣れない相手に挙動不審になったり戸惑うことが多かったりしたものの、彼の落ち着きのある話し方や聞き上手な態度に緊張は少しずつ解け、今では下の名前で呼び合える程度には気兼ねなく話ができるようになっている。

 初めて会った時に彼との距離間が近すぎたのは酒の力があったからだ。素面ではどう頑張っても所詮こんなものである。

 あの時は判断力が鈍って少し距離感を間違えたのだ。そう、初対面の人間に甘えるようにすり寄ることなど、素面では絶対にできない。未だにふとあの夜の失態を思い出しては赤面してしまうくらいだ。

 異性と最近まで付き合っていたとは言え、知らない異性に最初からあそこまで全開に己を曝け出すなどしたことが無い。恥ずかしすぎて若干トラウマになっている気もする。

 それに将司以外の異性と二人きりでやり取りすることなど、ここ数年仕事が絡む以外になかったのだ。

 フリーになったという事実は、自由になったという解放感を跨麟に与えると同時に、放り出されてしまったような孤独感も与え、予想以上に跨麟の心を不安で揺らしていた。


 そんな心情はともあれ、ついに次の休日、彼と食事を兼ねて都内観光をすることになった。

『君と行けるのならどこでも楽しい』などとサラリと言ってくるヴァルに、跨麟は年甲斐もなく電話口で落ち着かなくなってしまったものの、行くからには絶対にヴァルには楽しんでほしい。

 日本に来たばかりだという彼に楽しんでもらうには、いったいどこが良いだろうかと、跨麟はいつになく真面目な顔をして雑誌を手に取りパラパラと捲ってみた。

 スカイツリーや夢の国、銀座や六本木、お台場なんかがカラフルな見出しと共に特集されており、地域ごとのグルメ情報なども所狭しと掲載されている。


「どこも面白そうだけど……」


 残暑が残りつつも肌を焼くような日差しが少なくなってきたこの時期、蒸し暑さはあれどだいぶ外を歩くには楽になってきた。

 多少歩き回るような観光でも問題なさそうだと思いながら、次々と雑誌を手にとっては読み漁る。時折美味しそうなスイーツに目的を忘れそうになりながらも、海外の人が喜びそうなコッテコテの日本が詰まっている観光地を探す。


「……あっ」


 そしてしばらく本を捲る音だけが響く中、とある特集を見つけて跨麟の手が止まった。

 跨麟の目に留まったそのページは、生まれてからずっと都内在住であれば特に珍しい所でもないような場所であるが、地方や海外からの観光客ならこぞって行くだろう、とある有名な観光名所であった。






 ***







 休日にしては混み合う電車をどうにか降りて、跨麟は目的の出口へと向かいながら腕時計に視線を下ろした。

 予定していた時間よりも十分ほど早く着きそうだと思いながら、改札を通って駅の外へと出ると、途端に湿った空気が肌を撫でる。

 日差しに焼かれたアスファルトから立ち昇る小さな陽炎からは、なぜだか夏の名残のように打ち水の香りがする気がした。


 跨麟は自然と逃げ水を追いかけるように足早になりつつも、久しぶりに履いた高めのヒールを鳴らして待ち合わせ場所へと向かう。

 その途中、ビルの反射ガラスに映った自分を見て、一度立ち止まり軽く身なりを整えた。

 瑠璃紺るりこんのフロントリボンワンピースの上から、淡い檸檬れもん色のカーディガン。シンプルなリングピアスを揺らした自分の姿は、普段とは違い少し幼く見える。

 ほんのりと血色感を演出したメイクで目元の隈を上手く誤魔化しているからだろうか。隈が有るのと無いのでは顔の印象がかなり変わるのだなと、自分のことながら少しばかり戸惑いを覚える。

 ハーフアップにした髪を手櫛で軽く馴らし、再び目的地へと歩き出す。そうしてしばらく歩いて見えてきたのが、遠目からでもわかるほど見事な赤色をした大提灯。


 そう、古き良き下町の風情が楽しめる場所、ここは浅草である。



 観光客がひしめく雷門前、わかりやすい目印にと待ち合わせ場所をここにしたものの、人込みの中で彼を見つけた瞬間に後悔してしまった。

 そう、彼の容姿は非常に目立つのである。

 陽を浴びて輝く金髪に彫りの深い端麗な顔立ち。均等の取れた体を飾るシンプルな装いは、ことさらに彼の美貌を引き立てていた。

 たとえサングラスをして顔を隠していても、その整いすぎた造形は周囲を振り向かせ、人によってはポカンと口を開けて見つめている者すらいる始末。

 見るからに外国人という風貌だからか、言葉の壁に躊躇い彼に声をかけに行くということまではしないまでも、彼の立ち姿をこっそり写真に収めたり、遠目から熱い視線を向けたりと、いったい何を見に来たのかと突っ込みたくなるほど人の輪が出来てしまっている。


(……え、あの中に飛び込まないといけないの? 噓でしょ?)


 跨麟は思わず心の中でそう呟く。

 確かにここを待ち合わせ場所に指定したのは跨麟であるが、まさかこんな事態になるとは思わずに困惑する。

 人垣越しに見るヴァルは壁に寄りかかりながらも、時間潰しか手元のスマホを操作している。それを見て、跨麟は自身のスマホを取り出すと、彼にすぐさま連絡をした。

 彼は突然震え出したスマホのディスプレイを見て、涼やかな口元にふわりと笑みを乗せる。それまで無表情だった彼が甘く笑うことにより、周囲からは黄色い悲鳴交じりのざわめきが聞こえた。


『跨麟、どうした?』


「えっと、ちょっと顔を上げてもらって、そのまま正面を見て欲しいんだけど」


 跨麟はヴァルを視界に入れつつこちらを見るように誘導する。ヴァルは不思議そうな顔をしながらも跨麟の言う通り正面を向き、そこに人垣から頭一つ飛び出た跨麟が居ることがわかると、パッと華やぐような笑みを浮かべてこちらに軽く手を上げた。それにより周囲の視線が一斉に跨麟の方へと向いてしまい、結果的に輪に飛び込むよりも視線を浴びる結果となってしまった。

 視線で刺し殺されるのではないかと思ってしまうような状況に、跨麟は耐えきれず情けない声を漏らしてしまう。


『ん? ……あぁ、目立ちたくないんだな。わかった』


 そんな跨麟の様子に、ヴァルがすぐさま納得したように頷くと、こちらを向いていた人達が突然跨麟に興味を失ったとばかりに目をそらして辺りに散っていく。

 ヴァルの周囲を囲う人垣も、電話を切ったヴァルが跨麟の元へとたどり着く頃には元の喧騒へと戻っており、ヴァルを見ていた観光客たちは思い思いに浅草を堪能し、誰もこちらを見ようとはしない。

 まるで自分たちが世界から忘れられ、空気に溶け込んでしまったかのような感覚に唖然としつつも、なんとはなしに彼のほうを見やる。


「……今、何かした?」


「さぁ、どうだろう?」


 思わず口に出た跨麟の問いに、ヴァルはジッと跨麟を見つめると、ほとんど表情を変えずに小首を傾げてそう言った。

しかし、心なしか得意げに見えるのは何故だろう。

 まるで狐につままれたような気分のまま、同じように首を傾げていた跨麟であったが、気づけばヴァルに手を引かれ、人込みに紛れて歩き出していた。














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