目が覚める香りがした。

お望月うさぎ

第1話

 例えば、人気から逃げ出したかのような場所にある深い森。

 例えば、行けば誰にも見つからなさそうなビルとビルの間の道。

 ある人がそんな何処かを進むと、その場所へと導かれる。視界の先まで石畳の道が続き、脇には木組みの街並みが建ち並ぶ。今まで進んできた道は跡形もなくなって、面影さえ見えない。そして、人間や人の形をした獣である獣人など、おおよそ常識では測れない存在が、街を闊歩している。街ゆく人々の言葉が何故か理解出来るが物騒な言葉は聞こえず、みんな朗らかな顔をしており、緩やかな空気が流れていた。

 そんな平和な街の一角に、その店はある。

「お待たせしました」

 『Cafe』と書かれた店内、木製の壁床で出来た静かな室内に、女性の声が響く。

丸いテーブルと2つの椅子がセットになった席が2つ、カウンター席が4つ。壁からスペースが区切られて、挽いて入れるのであろう豆の瓶が所狭しと並べられている。

 現在はその席のうちカウンターの右端に猫に長い髭を生やした老人が1人、そしてテーブル席には金髪がくるくると巻かれた髪型の少女と、黒髪を背中ほどまで伸ばし、横にサイドテールをしている少女が着いている。老人は既にコーヒーカップを手に取って少しずつ飲んでいる。2人の少女はここに来るのが初めてなのか、少しオドオドしながらたった今運ばれてきたコーヒーカップを手に取っている。

「……不思議ですね、アメリカから来たって言うあなたの言葉も、日本から来た私の言葉も分かるなんて」

「ホントよ。日本語はパパが大好きだからしつこく覚えろ覚えろって言ってくるから逆に嫌いになって1つも覚えてないもの! ……あっ、別に日本が嫌いなわけじゃないのよ? 日本はむしろ好きだわ。ワビサビ、とかサシミ、とか! ただ覚えるのが苦手なだけって言うか」

「さっきから聞いてますよ。そもそも私が日本人だって言った時の喜び方は嘘で出来ないですもの」

 店の雰囲気に感化されているのか少し小声になって話す2人。話に夢中になっているのか、コーヒーカップは手に持っているが、少しも手をつける様子がない。

「すみません、冷めないうちにお召し上がりくださいませ」

 会話の途中で、先程カップを運んできた女性がそう声をかける。

 その声で現実に戻されたように肩を跳ねさせる2人。本来の目的を思い出したのか、座ったまま店の女性の顔を見下ろす。女性は地面スレスレの地面を背中の蝶のような半透明の羽で飛んでいる。その状態で、少女達の肩ほどまでの身長しか無かった。

「すみません、飲むのは構わないんですが、1ついいですか?」

 黒髪の少女は、小さな女性に向かって口を開く。

「私たち、ここに迷い込んでしまったみたいで……。元の世界に帰る方法って知りませんか?」

 意を決したように話すと、女性はあっさりと頷いた。

「はい、知ってますよ。というより、知ってこの店まで来たのだと思ってました」

 そういう女性に、少女2人は明るく笑いながら顔を見合わせる。

「ど、どうやって帰るの!?」

 我慢できなくなった金髪の少女が食い気味にそう聞くと、カウンターにいた老人がフォッフォッフォッと笑い声を上げる。

「それはな、そこにいる妖精の話を聞くだけじゃよ。簡単じゃろ?」

「本当なんですか?」

「ええ、その通りですよ。正確には、この世界に来た理由を解消すれば戻れる、というものですが、それを私がお手伝いさせていただきます」

「話を聞くだけで帰れるなんて夢みたいだわ!」

「この世界自体が不思議だらけですからね」

 何度も同じ反応を見てきた、といったふうに受け応えをしていく女性は、では、といって目を閉じる。少しして目を開くと、1つ頷いた。

「なるほど。では、私の昔の話をしましょう」

 そう言って、女性はつらつらと語り始めた。


 今でこそ平和で明るいこの国は、昔は全く平和でなく、むしろ力と金が物を言う。そんな国でした。それもそのはず、当時この国の王をしていた男は、前の国王にクーデターを起こし乗っ取った男なのですから。そんな時勢の中私は、ここから随分と離れた所にある妖精の国で暮らしていました。

 その日は妖精の国を囲っているジャングルに、薬草を取りに行っている時でした。見世物小屋をして金を稼ぐ集団に、私は捕らえられてしまったのです。妖精は仲間にテレパシーを送れるという特技を持っているのですが、役には立ちませんでした。檻に入れられて連れていかれた場所には、この世のものとは思えない程凶悪な見た目をした怪物も居ましたから、きっとかなり手慣れた人達だったのでしょう。そのままろくな扱いもうけずに各地を転々とし、沢山の人の見世物にされました。


「あ、おかわりをお持ちしますね」

急にそう言って、女性は少女と老人のカップを回収してカウンターに戻る。気付けばカップは空になっていた。

「これ、コーヒーなのかな?今まで飲んだこと無かったけど美味しいのね!それに先が気になる!……けど、ほんとにこれを聞いて元の世界に帰られるのかな?」

「そうですね、美味しいです。私も気になりますし、ひとまず聞きましょう」

「お待たせしました。それと、うちのは特別なのを使ってるので、そちらの世界にあるものとは、少し違う味かと思いますよ」

少しして、女性は新しいコップを持ってきた。

「まぁ、それはさておき、続きを話しましょうか」


 当時の私にとって幸運だったのは、私たち妖精のテレパシーがどうやら見世物小屋の集団には聞こえていなかったということ。これは後にテレパシーを送る相手を、心の持ちようでフィルターをかけられる事が判明しましたが、当時の私が無意識にフィルターをかけられていた事は幸運でした。あと、私が彼らの予想を遥かに超えて人気になってしまったために、夜遅くに片付けてはとても早い時間から来るお客のために再び私を置くのが大変になり、見世物小屋のテントの中に檻ごと放置されることが多くなったことです。毎晩放置された檻の中でテレパシーを送れる相手を探しました。

 するとある晩に、テレパシーが通じる相手がいたのです。私は仲間が助けに来てくれたのだと考えて、ただ『助けて』と送りました。冷静に考えれば、受け取ったのが仲間なら返答が帰ってくるはずなのに、それがなかった所で別の何かであると気づけたはずですが、長く檻で暮らしていた私は気づけませんでした。

 その次の晩に、ガチャリと私の檻は開きました。見ると、そこには妖精では無く、とても図体が大きく、一緒に見世物にされていた怪物さえも倒してしまえそうな武器を持った男の人が居ました。その頃には自分の現状を理解していたため、私を捕まえた人と同じようなことを考えている人が来ただけだと思いました。この期を逃せば一緒ここで暮らすことになると思った私は、その人に礼も言わず、あまつさえその人を振り切るようにそこから逃げ出しました。逃げて逃げて、何とか妖精の国に帰りました。そこでは、私を絶対に助け出すためにまずはきちんと力をつけてから、と冷静に訓練を命じていた女性が、出陣を決心しているところでした。嬉しさと安心と気まずさで泣いてしまった事を今でも覚えています。

 その後、私は二度とこのようなことがないように、と訓練に参加させてもらい、逃げる時に酷使した羽が鍛えられて皮肉にも、とても素早く動くことができるようになりました。そんな折、女王が来訪者を告げました。ジャングルには、妖精しか知らない迷路になっているため、妖精以外がこの国に来るのはとても久しぶりのことでした。逃げられたことに気が付いた彼らではないか、という声もありましたが、極力いつも通りにという女王の命に従って私たちは来訪者を歓迎しました。果たして来訪者は、私を助けてくれたその人でした。予想外の再会に驚きましたが、お礼も言わずに逃げてしまったことを詫び、お互いに自己紹介をしました。なんとその人は、クーデターを起こした当時の国王を討ち、平和な時代を創るために旅をしている、クーデターを起こされた国王の王子でした。毎日の訓練とジャングルに潜む魔物たちとの戦闘で最も強くなっていた私は、それを見込まれて旅の仲間に入れてもらうことになりました。そして数々の戦いの末、この平和な国を手に入れたのです。戦う必要の無くなった世界で、彼は国王殺害の罪を一身に背負い表舞台をさり、私は彼の活躍を1人でも多く知ってもらいたいと、飲み物と共に話を聞いてもらうこの店を建てました。それがいつしか不思議な人々が迷い込むようになり、それを帰すためにお話をするようになって今に至ります。


「どうでしょうか。この話が、苦労多き世界に住むあなた達の力になれるといいのですが」

 そういって語りを終えた女性は、少女たちからカップを回収した。

 すると、

「……あ、ああ、あああ、そういうこと、なんですね」

 と、黒髪の少女は立ち上がり、女性に紙とペンを頼んだ。貰うとそこに11桁の番号を書き込んだ。

「これ。私が親の見栄で持たされてる電話番号です。……でも、ごめんなさい、多分、私からはかけられません」

 紙を金髪の少女に渡す。渡された金髪の少女は、少し考えたあと、ハッとして同じことをした。

「向こうに帰ったら必ずかけるわ」

「ありがとうございます。待ってますね」

 そういい合って手を握ると、2人は金色の光に包まれてゆく。

「ああ、無事に帰られそうですね。またいつでも待ってますが、もう来ないことをお祈りしています」

「メザミ……目覚めの時間じゃな」

 女性と老人は消えゆく2人を見送る。そして姿がほぼ消えかけた時、

「ご来店、ありがとうございました」

 女性は一礼をした。

「ふむぅ。今回ばかりは、わしにはまだどうして帰られたのかわからん。いや、わしが睡眠を解く魔法をかけたからなのは知っとるが」

 2人が完全に消えて元の世界に帰った後、老人は椅子に座り直してそう言った。

「今回もありがとうございました。私のわがままに付き合ってもらって」

「良いんじゃよ。眠らされたやつにぶっかけたら起きる水を飲んでみようとしたのもお前じゃし、睡眠状態を解く水や魔法がどこからともなくやってくる来訪者に効果を示すのを見つけたのもお前じゃ。どう帰すか、なんて小さいことじゃよ」

 老人はまだ飲みほして居ない2杯目を飲みながらそういう。

「ただ、いつもはわかりやすく応援するような小話をするのに、今回は珍しい話じゃったから、帰してもいいのかと不安になっての」

 その言葉に女性は恥ずかしいですが、とはにかみ、

「あの子たち、私に良く似てたんですよ。方やたった1人、息も出来ずに必死にもがく、勇気を願う少女と、方や虐めないでと泣いて脅えて、孤独を敏感に恐れ希望を願う少女と」

 といって飲みきったカップを受け取る。

「なるほど。まぁ、今回も帰らせられて良かったわい。また来るよ」

 そう言って老人も帰っていった。女性は礼で見送る。

「ご来店、ありがとうございました。王子……心を怖がり、来る明日を変える勇気のない私を、救ってくれた人」

 女性は店内の片付けを終え、『CLOSED』の看板をかけるために扉を開く。風が、店の中の空気を攫って抜けていった。

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目が覚める香りがした。 お望月うさぎ @Omoti-moon15

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