1-1 内藤修斗は一年前の事件について親友と語る
夢を見ていた。妙にリアリティのある夢を。
僕は、
大切な仲間たちは皆、闇に飲まれてしまった。かろうじて生き残っている僕も、いよいよ限界が近い。
案の定、間もなく足がもつれて転んでしまう。後ろを振り返る暇もなく、首筋に
「うわあああ!」
叫び声が闇夜にこだまする。僕は闇に飲み込まれる──。
*
ガンッ、ガンッと体内に響く周期的な衝撃で、僕は目を覚ました。冷や汗が頬を
ここは……学校の教室だ。
授業中に寝落ちしたことを、机に突っ伏した体勢のまま悟る。しかし奇妙なのは、教員の声もチョークの音もしないことだった。寝ている間に自習になったのだろうか?
「……あ」
おもむろに顔を上げた僕は、すべてを理解した。僕を除く二年六組の生徒たちは皆、正面を向いて立ち上がっており、教卓を見やると数学教諭であり担任の小沢先生と目が合った。
「内藤くん、授業を終わるわよ」
「す、すみませ──痛っ!」
慌てて立ち上がった拍子に、膝を机の裏に激しくぶつけてしまった。端にあったシャーペンが床に落下したが、この状況でゆうゆうと拾える度胸は僕にはない。
「大丈夫? ずいぶん大きい音したけど」
「は、はい。すみません……」
そんな些細な事件が起きた後も、教室内はシンとしていた。誰も僕を嘲笑するようなことはないし、また心配するようなこともない。プラスもマイナスもなし。クラスにおける自分の存在感の無さを、改めて痛感した。
「せんせー、もういいっスか?」号令係の男子が苛立たしげに言う。
彼のような人気者が同じように机に膝をぶつけたら、きっと教室は
とはいえ。僕に問題があることは自分が一番わかっていた。昔から意見を持つことが苦手で、いつも姉に依存しているようなダメ人間が、他人に慕われるわけもない。
「はい、号令よろしく。みんな、これで終わりなんだから元気よくね」
「気をつけー、礼」
号令ひとつとっても、目立つやつはいる。大音量で『ありがとうございました』を言う男子や、大げさなまでに深々と頭を下げる女子……。
対して僕は、目立たないように周りとタイミングを測り、小さく頭を下げるだけ。我ながら、筋金入りのモブ体質だと思う。
もし僕が主人公の物語があるとするなら、それはきっと、何も成し遂げられないまま結末を迎えるという退屈極まりない内容になるだろう。
寝ぼけた脳でくだらないことを考えていると、一日の終わりを告げるチャイムが鳴った。
*
「修斗、俺に言うべきことがあるよな」
黒板の清掃を終え、リュックサックに教科書を詰め込んでいると、後ろの席の志島に話しかけられる。
「え? ……ああ」すぐ思い当たる節があった。「ごめん、すっかり忘れてた」
「そうだろ」
「前に貸した千円、まだ返してもらってないよね。忘れないうちに早く返してよ」
「ちげえよ、なんで借りた方が返済を催促させんだ」志島が呆れた顔で僕を見る。「そうじゃなくて、さっき起こしてやったろ。俺が、お前を」
ああ、と僕は曖昧な返事をした。七限の終わり際、号令がかかっても寝ていた僕を現実に引き戻したのは、複数回にわたる強い振動だった。あれは、志島が後ろから椅子を蹴っていたらしい。
「ずいぶん、荒っぽい起こし方だったけど」
「バッカ、お前はありがたみをわかってねえ。このクラスの連中で、寝てるお前を起こしてくれそうな奴がいるか? 俺がいなかったら、お前は死ぬまでここで寝てたかもしれねえんだぞ!」
志島は訴えかけるように、ドンと自分の机を叩いた。恩着せがましいという言葉がここまで似合う姿は初めてだ。
「大げさだよ。餓死するまで寝るとか、生物として欠陥すぎるって」
「なぜ決めつけんだよ。食欲と睡眠欲、三大欲求同士の頂上決戦だぜ。どっちが勝つかわかんねえだろうが」
「……あのさ志島。ひょっとして、この一件で千円をチャラにしようと思ってる?」
「思ってなきゃ今ごろお前の寝顔に落書きしてるっつーの」
僕はため息をつく。志島は人気があって勉強もできるが、どこか変わったやつだった。
志島泉。二年六組で僕の友人と呼べる唯一の存在だが、かといって親友と言えるほど仲がいいわけでもない。
志島は僕とは違い、良いヤツでクラスの人気者だ。友達だってたくさんいる。志島からすれば、僕が僕だから仲良くしているわけではないだろう。
僕が独りだから話しかけてくれる志島、それをわかった上で接している僕。そんな微妙な関係性だった。
「にしてもよ、お前が授業中に寝るなんて珍しいじゃんか」
「ゆうべはあまり眠れなかったんだ。ほら、雨。すごかったでしょ」
「雨音で寝不足って、お前がそんな繊細なタマかよ。雷を怖がる女子じゃあるまいし」
「いや、まだ続きがあるんだ。雨で寝れなくてスマホを見てたらさ、ネッ友からDMでリンクが送られてきたんだよ」
「DMでリンクを? 性癖を教え合うような心の友がお前にいたとはな」
「そういう人に言えないサイトじゃなくて」僕は呆れる「匿名掲示板のスレッドのリンクだよ」
「ふーん。で、寝不足になるほど面白かったのか? そのスレ」
「そう。志島はさ、『池袋大爆発』って覚えてる?」
「忘れるわけもねえだろ」志島がため息をついた。「あのクソッタレな事件のせいで、俺の庭はゴーストタウンになっちまったんだからな」
池袋大爆発。池袋に居を構えていた世界的な脳科学研究所が、一番前に大爆発を起こした事件。
放射能やダイオキシンなど、ありとあらゆる有害物質が大量に流出したという噂が流れ、瞬く間に池袋は死の街を化した。かつて若者がたむろした池袋は、もう存在しない。
「その書き込みいわく、あれは事故なんじゃなくて、国が秘密裏に行った粛清だったんだ!」
「お前、勉強のしすぎで陰謀論に目覚めちまったのか」志島が悲しそうに首を振る。「まーわかるぜ。世界史なんて、陰謀論の塊みてえなもんだからな」
「……デマなのはわかってるよ。でもなかなか長文で読み応えがあってさ、興味あるならリンク送るよ。志島そういうの嫌いじゃないでしょ」
「まあ、見てやらんこともねえぜ」
机の中の荷物を移し終わった僕は、立ち上がりリュックを背負った。
「じゃあ、僕は部活行くから」
「あ、そういや」志島が思い出したように言う。「今日、今村先輩休みらしいぜ」
「部長が?」僕は首をひねる。「ていうか、なぜ志島が知ってるんだ」
「昼休みにナンパしに行ったとき、同じクラスの人に教えてもらった。密かに狙ってんだけど、なかなか捕まんねえんだ、あの人」
志島は生粋の女たらしで、毎日違う女子と下校していることで有名だった。
「そう……なら部活も無いし、久々にまっすぐ帰ろうかな」
「たまには大林さんと帰ってやれよ」志島が真剣な顔で言う。「俺、前に相談されたんだぜ。弟が最近かまってくれないって」
「ああ。でも一緒に帰るのは無理だよ。メグ姉、下校に関しては
「掃除当番があるかもしれねえだろ」
「ガチ勢を
「なんだそれ」志島が呆れたように言う。「てことはあれか。修斗は帰りもぼっちか。はあ、どいつもこいつも見る目がねえよ。お前は誰よりも芯のある男だってのにな」
「え?」
志島が真面目な顔で言うものだから、つい聞き返してしまった。が、すぐに冗談に違いないと思い直す。芯のある男だなんて、僕の対極にある言葉だから。
「そんな皮肉を言うくらいなら、志島が一緒に帰ってくれよ。帰宅部でしょ」
「悪いな、俺の隣は予約が半年先まで埋まってんだ」志島が誇らしげに言う。
「それに今日は特別な子が来るもんでな」
「特別?」
「そっ。後輩にさ、すげえ可愛い子がいんだよ。余裕でアイドルいけるレベル。ありゃ、お忍びで芸能活動やってますって言われても納得できるね」
「後輩って」僕は眼を丸くする。「まだ入学して一ヶ月なのに、もう手を出してるのか」
「甘いな修斗。早い者勝ちは森羅万象に通ずる絶対的ルールだぜ」
「いつか刺されてしまえ」
僕はそんな捨て台詞を残し、教室を出た。
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