本気の出し方を教えて

小狸

 中山なかやま妃奈子ひなこは、何かに本気で取り組んだことがなかった。



 何事も軽佻浮薄に、ヘラヘラと適当に向き合い、何となく生きてきた。

 

 無論そんな生き方は社会では通用しない。何も考えずに生きていくことが出来る程に、単純な構造ではないことは、今更取り立てて言うこともないだろう。

 

 しかし社会以外ではと言えば、残念ながら現状では、そういう生き方がまかり通ってしまう。若人が青春を過ごす学校に、行きたくて行っている輩が何人いるかは分からないけれど――勉強もしなければいけないわけではないけれど、理由を持ってしっかり将来を見据えている人が、何人いるだろう。


 だから彼女は、決して特殊ではない。


 性質的にはどこにでもいる、普通の子と大差ない。


 ただ唯一、周囲との違いと言えば、彼女の容姿が優れていたことにあるだろう。他人を 容姿で差別しない――成程立派な心掛けである。しかしどうだろう。全員がその心がけを持って人と接することは、なかなかどうして難しいことではないだろうか、


 甘やかされてきた――とは決して言うまい。


 一線の時間軸においてみればそうかもしれないけれど、全体を俯瞰すれば、それは甘やかしなどではない、逆虐待に近い。可愛いから――だからこそ、何も考えていないでそこにいるだけで許される。そうして、幼稚園に入る前から大学四年生まで、彼女は許されて生きてきた。一度だって、何かに集中したことはなかった。言われた通りに勉強して、言われた通りに生きてきた。ほどほどに、何ごとも適度に。


 クラスで一生懸命勉強し、高得点を取ろうとする同級生がいた時、彼女はこう思ったそうだ。


 ――何頑張ってんだ、こいつ。

 

 ――だっさ。


 何かを頑張り、無我夢中になったことのない彼女は、そうする人の気持ちを理解することができなかった。申し訳程度に吹奏楽部に所属したけれど、そこでも、泣きながら楽器を上手くなろうと努力しようとする人、行くこともできないくせに全国大会を目指す先輩、基礎練に力を入れる後輩に対して、そんな目線を送ってきた。


 ――何やってんだろ、こいつら。


 ――莫迦じゃないの。


 ――そんなことやったって、報われるわけないじゃん。


 ――私みたいに適度にほどほどに生きる方が、楽に決まってるのに。


 ――そんなことも分からないんだ。


 幸いなことに――彼女にとっては不幸かもしれないが――、そんな妃奈子に同調する人間は、ある程度いた。


 頑張っている奴を、遠くから指さして笑いたい。


 かつて諦めたことを一生懸命やっている奴が羨ましい。


 物事を俯瞰しているつもりになって優越感に浸りたい。


 きっとそんな感情の集積なのだろう――妃奈子の周りには、そういう人が絶えなかった。


 ――頑張っても無駄だよね。


 ――本気とかムリムリ。


 ――努力して報われるの。


 ――テキトーで良くね。


 そんな風な人物らに囲まれて生きてきて――勿論その場でも、妃奈子は許され続けてきた。元々要領が良かったこともあり、仲良しの友達がいる大学に入学した。


 適当に勉強を続け、適当にサークルに入り、適当に彼氏を作って、別れ、そんなことを繰り返した。


 妃奈子の人生の転機は、大学三年生の時である。


 大学にいるお馴染みのメンバーで、集まって遊びに行こうとした時、「ごめん、就活だから」「インターン行くんだよね」「今度面接でさ」と、断られ始めたのだ。一年次二年次にさんざん遊び、どうでもいいと思っていた仲間たちは、しっかり先のことを考えて生きていた。


 ――え? 何就活?


 ――んなことやって何になんの?


 ――いいじゃん、ずっと遊んでようよ。


 ――無駄だよ、どーせ上手くいかないんだから。


 悲しいかな、妃奈子は本気でそう思っていたのだった。


 就職活動が人生の転機となるイベントであることに間違いはなく、妃奈子は浮いていたとさえ言える。


 そういった軽視を繰り返していくうちに、徐々に妃奈子から人は離れていった。

 

 初めは数十人いたグループも、どんどん抜けていき、最終的には二人になっていた。


 優美という名前の、大人しめの女子だった。


 ――優美は、就活とかしないよね。


 ――だって、そんなん意味ないもんねー、わかるわ。


 ――やっぱイツメンはあんただけ、


 優美は「うん、私もう仕事決まっているから」と言った。大学在学中に小説を書い

 ていたらしく、小説家としてデビューしていたらしい。


 それを告げられた妃奈子は、笑ったのだ。


 ――え、小説とか、キッショ。


 ――陰キャじゃん。


 ――そんなんちまちま書いてたとか、根暗かよ。


 ――何一生懸命になってんの? ウケるんだけど。


 自然とそんな言葉が出てきて、自然な流れで、妃奈子は笑った。何度も注釈してお

 くけれど、妃奈子には悪意や敵意はない。本気でそう思っていたのだ。


 例えばここで、坂本優美が本気で怒っていたり、叱咤していれば、妃奈子は気付くことができたかも知れない。好きなことを馬鹿にされて、努力を否定されて、相手のためにちゃんと怒る人だったら、止まることができた。


 ただ、優美はそこまで、優しい人間ではなかった。

 

 付き合いの中で、妃奈子がどういう人間なのかを理解し、突き放していた。小説のことを伝えたのは、その反応次第で、妃奈子に対して助言をしようかどうか、迷っていたからである。


 だが――妃奈子は変わらなかった。

 

 努力を否定した。

 懸命を侮辱した。

 成果を冷笑した。

 頑張りを侮蔑した。


 だから――「そうかもね」とだけ言って笑った。


 それから、妃奈子は親に言われて就活を始めた。しかし、軒並み上手くいかなかった。顔だけで上手くいく程に、世の中は簡単には出来ていない。仕事に対する意志や、心持ち、覚悟だって必要である。

 

 今まで顔で世を渡ってきたからこそ、許されてきたからこそ、妃奈子には頑張り方というものが、分からなかった。

 

 妃奈子を採用しようとする企業は、どこにもなかった、

 

 切羽詰まって、友達が就活を終え、旅行に行っている時でも――就活を続けていた。

 

 中身のない就活である。職種も何も決めていない。家から近いとか、なんか良さそうとか、そんな適当な理由である。エントリーシートは前日の夜に書き、動機も何も練り上げない。

 

 業を煮やした両親は、大学卒業と同時に家から出るように言った。妃奈子は泣いて懇願したが、両親は許さなかった。

 

 切羽詰まりに詰まって――三月。

 

 ようやく妃奈子は、一つの企業に内定した。

 

 四月、一週間ももたなかった。辞職の連絡もなく、会社に行かなかった。

 

 とてもブラックな企業だったからである。パワハラモラハラは当然、何度か頬を殴られたりもした。

 

 両親に告げると、しかし――仕事が決まるまで実家には戻ってくるなと言われた。

 

 両親は、大学四年次で、娘の教育に失敗したことに気付いたのだろう。

 

 そして――それを認めたくないから、娘に辛くあたったのだろう。そんな機微は妃奈子には伝わらないし、彼女の人生はもう変わらない。

 

 就活を続けたが、金が底をついたので、バイトを始めた。


 どれも全く続かなかった。


 以前付き合っていた彼氏に、懇願することで同居できることになった。


 それくらいに、妃奈子の容姿はまだ優れていたのである。


 身体には一応気を遣っていたことが奏功した。別居している婚約者がいるため、実質妃奈子は愛人のような扱いだったが、自分から努力する気は微塵もなかった。


 そしてある日、妃奈子が妊娠していることが分かった。


 元彼氏は、今までとはうって変わって、彼女を追いだした。


 しつこく懇願しようとした。泣いて訴えようとした。


 それは妃奈子にとって生まれて初めてのことだった。


 けれど――できなかった。


 臨月が近付き、身体に負荷がかかり、金もかかる、そんな自分を相手に認めてもらえる言葉は、ヘラヘラ生きている妃奈子には、思いつかなかったからだ。


 放浪し、山近くの公園のトイレで、子どもを堕ろした。


 そのまま水を流した。


 トイレが詰まった。


 扉に手をかけようとした時、大量の血液が、両足の間から溢れた。


 頭から一気に血の気が引いた。

 

 生命の危機を感じ――大声を出そうとした。


 夕方近くだとはいえ、決して人通りが少ない場所ではない。


 ――これは、死ぬ。


 ――このままじゃ、死ぬ。


 ――やばい。


 本能的に、妃奈子は感じた。


 が――声はでなかった。


 助けてほしい、


 手を差し伸べてほしい。

 

 と――妃奈子の理性が、否定していたから。


 床に倒れた。


 臭かった。


 血の匂いがした。


 遠のいていく意識の中、妃奈子はただ天井を見ていた。


 そして、何も考えなくなった。


 いつも通りに。




(了)

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