第167話 今から約30年前

 2月中旬は私立大学の受験シーズン真っ只中で、そういえば2月20日頃から早稲田大学の試験日だったと覚えている。

 学部が1日ずつ違うので、全学部を受験できる仕組みだった。

 たしか第二次ベビーブーム世代で受験生は約100万人いて、日本大学とか早稲田大学あたりのマンモス大学は志願者が10万人以上いたと思う。

 現在は50~60万人だと推定されるから、いかに受験が大変だったか想像できるだろう。


 カクヨムは高校生世代が多いようだが、受験生のような雰囲気を醸す人はあまりみてない。


 作家を目指す人の憧れは、当時は早稲田大学第一文学部であった。夜間の第二文学部もあったから、どうしても早稲田大学に入りたいという高校生はひっかかったら、入るという感じだった。

 なぜ早稲田大学かというと、即答できれば立派な文学青年だと思う。

 答えは、村上春樹がその当時ブームだったから。今もそうかもしれない。

「ノルウェーの森」が発売されたのもその頃。そういえば俵万智の「サラダ記念日」もその時代だ。


 内実を知っているから、話すが、当時の早稲田大学文学部は女子受験調整をしていたと大学教授が話をしていた。

 女子の合格ラインを上げ、男子の合格ラインを下げて男女比のバランスを確保していると、堂々と教授が言っていた記憶がある。

 男女同じ合格ラインにすると、女子大になってしまうからだと。

 今、その話をすると大問題だろう(笑)


 第一志望は早稲田、というのはたくさんいた。東京大学、なにそれ美味しいの?という時代で懐かしい。


 バブルの頃は一般のサラリーマン家庭でも私立大学は普通だったが、私の職場でも「子どもが東京の私立大学に行くと言ったらどうしよう」なんて会話ばっかりである。

「そんなんだったらアメリカンの大学でいいんじゃない?」と言う話も。


 昭和のノスタルジーというのは、オジサンの回顧趣味ではなく、昭和の終わり頃から平成の頭は日本人が豊かな時代の回顧であり、今の貧困な時代への恨み節であろう。



 マクドナルドのPUFFY風のCMのコレじゃない感は分かる。労働組合を組織せずに賃金交渉もしなければ豊かにはならない。バブル期はそれをやっていた。

 ただ、昔を上辺だけマネしてるだけじゃダメでしょ、と言いたくなる気持ちがソレである。

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