第3章 ピンクのキス
第1節 さらば花園
第35話 ドラゴンの尾
「ま、さ、かの……」
以前入ったときには、確か、氷柱以外見当たらなかったが。今は、生き物が俺に触れている感じがしてならない。
「少しぬめっていませんか?」
そうだ。先に入れた梅香さんは、どうしているだろうか。
「梅香さ――」
俺は、天地がひっくり返ったかと思った。急に逆さ吊りになる。どうして、こんなことに。
「足が。足にぬれた体を巻き付けている者がいる」
いよいよ、サヨウナラのときか。
「くそー。嫌に決まっているだろう」
右足を引っ張られたので、もう片方の足で攻撃を始めた。
「ほわっちゃ! わちゃわちゃ」
ここで、わちゃわちゃしてどうするんだよ。わちゃわちゃの正体は、これか。
「ほわちゃ、わちゃわちゃ! わちゃわちゃ、わちゃわちゃ」
軽い蹴りでビビッていては駄目だな。
「大神キック、おあっちゃー!」
ブフモオオン。ドオオン。
「我の尾が痒いの」
「おいおい、花園のドラゴンよ。尾で始末しようとは、ボクも見くびられたものだな」
ドオオオン。
「お主のことは、痒くもない。痒いのは、少し上の方かいの」
「上……?」
俺は、薄暗さと氷柱に紫煙が立ち込めている中で苦戦していたが、その上にも戦っている者があると、初めて気が付いた。上の方へ眼力を使う。ふわりと揺れる影があった。
「こんなドラゴンの巣へ偶然一緒に入る訳はない。花園のドラゴンよ、痒いとは、あのピンクのシルエットか。――梅香さんのことか!」
「う……。あああ!」
俺にも声が届いて来た。
「許せねえ……。尻尾の先でちょろちょろ遊んでいる時間はお終いなんだよ。本気のブースト! てめえの巣までぶっ飛んでやる!」
尻尾にぶら下がって、大きく揺れる。振り子のように、右へ左へと。
「小癪な! 我の逆鱗に触れるわ」
ドオオン。ブンと、俺を天井へ向けて投げ打とうとする。そこには、氷柱があるから、刺さってあの世にこんにちはか。
「逆鱗だと。フフフ、笑わせる。竜の癖に龍気取りか?」
俺には、この世界の叡智がつまったものがあるんだ。
「花園の文明高き叡智よ。悪魔の命によりて、この世界の魂を解き放ち給え――!」
懐に花園から持ち込んだ物がある。それを取り出して開く。
「やあああ!」
可視光線があらゆる方向へ放たれ、紫煙を蹴散らした。
「見えたぞ。古代遺跡の本当が!」
天井付近まで尾に投げられるようにぶつけられると、氷柱は幻影だったと分かった。それどころかもっと意外な発見があった。
「天井がない。……だと?」
重力もある筈なのだが、勢いも激しく、空虚の天井から吹っ飛ばされた。
「……ドオオン。お主、企んでいたのか?」
地響きかと思う低音で、花園のドラゴンが四方に発する。この尾に梅香さんが縛られている筈だから、一刻も早くあのピンクのシルエットを探さなければ。
「皆には悪いが、『アグリカルチャー・アカデミー・生産加工編』を持って帰ろうとして懐に入れていたんだ。本を紐解くと、あらゆることを学べた。女神達はお腹が空かない代わりに、農業や食品を通じて仲良くなって欲しいと願って来た。もう、十分だと思う」
ふっと吐息が漏れたのが聞こえた。あのピンクの気配が近い。
「本を渡して! こっちです!」
「そりゃあ! 勘がよければ、そこだ!」
間髪入れず、下手投げで本を放った。放物線を描いたその先には、ピンクのふわもこ、もとい、梅の女神が華麗にドーリス式キトーンをひらつかせていた。
「なんっすか! 梅香さんがサーカスのブランコみたいに逆さまに? ああ、眼福だか目の毒だか」
「ドラゴンが驚いて尾を緩めたのです」
二人でかなり高い位置にいると知った。もうオーロラの巣にいる。俺の自由な世界、『ペガサバ』だ。勇者として駆って来たあの真っ白な戦士がいる。
「ホワイトシュシュ! ペガサスのホワイトシュシュよ、相棒を乗せてくれ」
ゲームの『勇者はペガサスを駆り迷宮に巣食うオーロラ魔女のサバトを阻止す』、略して『ペガサバ』が、続いていたとは、驚きだ。
「梅香さん! ペガサバのコンビを頼ってくれ」
「はい!」
すり鉢状になっているオーロラの巣の中で、スローモーションで、くるりと回転しながら、俺の両腕に落ちてくれた。
「梅の花の女神、梅香が最期の願いを叶え給う」
「まさか?」
あのいつもの技を繰り出すのだろうか。しかし、女神となって封印されたと思ったが。
「我の【ニャートリーノ】及び『アグリカルチャー・アカデミー・生産加工編』の力をここに、放出し給え! 古代遺跡に愛を! 愛の源、命を育みし水よ。土壌を肥沃に潤す【愛の放水】よここへ――! 生きる術の【火炎の愛】よここへ――!」
俺があんぐりとしていたとき、ホワイトシュシュの前に腰掛けて来た梅香さんが手を取って来た。二人で本を開いて持つ。言わずもがな。同調するんだ。シンクロするんだ。一息に声を揃えるんだ。さあ。
「行け! 【愛のニャートリーノ】よ――!」
「行け! 【愛のニャートリーノ】よ――!」
俺が放った可視光線なんて目じゃない。目に映らない光線が、ドラゴンを焼いた。花園のドラゴンが仰け反り、ドラゴンの巣を形作っていたオーロラを破壊しつつ、古代遺跡から落ちて行く。
「花園のドラゴン様!」
「花園のドラゴン様!」
「花園の……」
「きゃああ」
「わあ……!」
「イヤア――」
「どうしたお主!」
下の女神達が慌てているのが、分かる。騒然となっていた。JK女神を連れて来た花園のドラゴンを失っても大丈夫なのだろうか。俺の心配は、梅香さんに伝わっていた。
「女神達は、大丈夫です。大神直人さん、さあ行きましょう。早く下界へ去るのです」
俺は短く首肯すると、梅香さんの背中越しに、相棒の真っ白い首を押さえる。
「さあ、ホワイトシュシュよ、崩壊しつつあるドラゴンの巣から飛び出るんだ!」
相棒がいななくと、翼を羽ばたかせ、足踏みをしながら、見えない階段を登るように、天へと駆けて行った。
「花園が。あの花園が小さくなって行く。まさか、太陽に焼かれたりしないよな。お前は、蝋でできていないだろうよ、ホワイトシュシュよ」
「まあ、イカロスですか」
俺の洒落を構ってくれた。梅香さんは、何者なのだろう。
「これから先、どこへ行くのだろうな」
横顔に見たピンクの微笑が、唯一の救いだった。
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