記憶喪失になった私は告白されると記憶が戻る

独身ラルゴ

第1話

 私が目を覚ました部屋は、異常なほどに白かった。

 まだ夢から醒めていないのか、そう惑うほどに綺麗な白さ。

 白い天井、白い壁、白い寝台。

 そこは病室だった。

 なぜ自分がここにいるのか分からない。

 何かすっぽりと頭から抜け落ちたような感覚。

 心に穴が空いたような喪失感。

 私は一体、何を失ってこの病室にいるの?


「君が失ったのは記憶だよ」


 不意に音が耳に届く。

 音源を見て、初めて白以外の色が目に届く。

 男の人だった。知らない人だった。


「あなたは、私を知ってる人?」

「そうだね」

「じゃあ、あなたは私が知ってた人?」

「そうだね」

「じゃあ、教えて欲しい。私の知っていたこと」


 記憶を失った、そう言われても自分には分からない。

 けどこの人は私が記憶を失ったことも知っていた。

 この場で一番私を知っている人だ。

 だから聞いたのだけれど。


「それは出来ない。教えることは出来ない」

「どうしてダメなの?」

「それは君自身が思い出すべきことだから」

「思い出すって、どうやって?」

「それは僕の役目だ。だから、今から役目を果たすよ」


 男は息を飲む。私も息を飲んだ。

 言葉の意味は分からなかったけど、男が緊張していることだけは分かった。

 意を決したように男は言葉を発する。


「君が好きだ」


 ただの告白、そう聞こえた。

 けど私の脳は、それをただの告白とは思わなかった。

 男の発した6文字は、私にとって凄まじい情報量になった。

 記憶が、注がれる。


◆第一の記憶:私に関する全て


「私は藍、日比谷藍ひびやあい。高校2年生、帰宅部。好きな食べ物はピザ」

「そうだね」

「でも、自分のこと以外分からない……」

「それはこれから分かる」

「あなたに告白されると、思い出す?」

「そうだね」

「なんで?」

「それもこれから思い出す」

「……分かった」

「分かってくれてありがとう」


 自分のことしか分からなかった。

 分からないことだらけだけど、これから分かるならそれでいい。

 男もそれを望んでいるみたいだし。


「記憶を取り戻したかったら、明日同じ時間にこの病室で待っていて欲しい」

「それは、告白の約束?」


 またも男は「そうだね」と言って、私は頷く。

 すると男は何も言わず出ていった。

 入れ違う形で続々と人が入ってくる。

 私の名前を呼ぶ、家族と思われる人。

 私に容態を聞く、医者と思われる人。

 記憶がなくても、見ればどんな人か分かる人ばかり。

 でも、あの男だけはどんな人か分からない。











 翌日、約束通り男は病室に訪れた。


「君が好きだ」


 出会い頭の告白、驚きはしない。

 でもこの感覚はたぶん、何度経験しても慣れない。

 記憶が、注がれる。


◆第二の記憶:家族に関する全て


「私の家は四人家族。お父さんとお母さんとお姉ちゃん」

「そうだね」

「よかった、これで悲しませずに済む」

「昨日、悲しませてしまったのかい?」

「うん。覚えてなかったから」

「そうか……」

「あなたは、家族じゃないんだね」

「そうだね」

「じゃあ、あなたは友達?」

「その答えは、また明日」


 それ以上男は何も言わない。

 きっと、聞いても教えてくれない。

 それは私自身が思い出すべきだって。

 私にとっては、どうでもいいのに。

 けど男にとって重要なら、それも仕方ない。

 私にとっても記憶を取り戻すために、重要な男だから。

 そんな重要な役目を持った男は、きっと記憶を失う前の私にも重要な存在だったのだろう











「君が好きだ」


 三度目の告白。

 男は慣れたようにすっと言葉を差し出した。

 私も慣れたように言葉を受けとる。

 言葉以外も受け入れる。

 記憶が、注がれる。


◆第三の記憶:友達に関する全て


「友達、たくさん」

「そうだね、君は人気者だったから」

「この子、今日お見舞いに来てくれた」

「そうだね、いつも一緒にいたよ」

「思い出せなくて、気を遣わせちゃった」

「それは……申し訳ないことをしたね」

「記憶を失ったのは、あなたのせい?」

「……否定はしないよ」

「そっか」

「怒ったかい?」

「ううん」

「そうか……」

「あなたは、友達じゃないんだね」

「そうだね」

「もしかして、あなたは……」

「その答えは」

「……また、明日」


 男はやっぱり教えてくれない。

 家族じゃない。友達でもない。

 でも私を知ってる人。私が知ってた人。

 そんな人は、たぶん一人だけ。

 一人以上存在するべきでない人。

 ようやく分かった気がしたけど、言葉にするのを止められた。

 だから本当に分かるのは、明日。











「君が好きだ」


 最早意味すら感じない無味無臭の告白。

 やはり慣れない感覚だけど、今日はこそばゆい程度。

 記憶が、滴る。


◆第四の記憶.男は私の恋人だった


「……これだけ?」

「そう、今日はこれだけ」

「でも、一番知りたかった」

「それは……嬉しい、かな」

「あなたは、恋人だったんだね」

「そうだね」

「恋人、だった?」

「そうだね」

「今は、何?」

「さあ? 僕にも分からない」

「じゃあ、私にも分からない」

「そうだね」

「じゃあ、何にする?」

「今はまだ。記憶が戻ったら、何かになろう」

「分かった」

「記憶が全て戻るのはいつか、気になるかい?」

「うん、でもその答えは……」

「そう、また明日」


 恋人だった、それは分かった。

 でも彼のことは、まだまだ分からない。

 でもそれはきっと、これから分かる。

 それが今の、私達の関係。

 名前のない、私達だけの関係。











「君が好きだ」


 告白はやっぱりそういう意味だった。

 記憶の鍵としての言葉だけでなく、愛を告げる科白セリフでもあった。

 彼との関係が分かったから、その意味も分かった。

 そう考えると、この感覚も少しだけ心地よい。

 記憶が、滴る。


◆第五の記憶:失った記憶は全部で10個


「全部で、10個?」

「そうだね」

「残り、5個?」

「そうだね」

「じゃあ、告白もあと5回?」

「そうなるね」

「……ちょっと寂しい」

「それは……ちょっと嬉しい」

「私のこと、好きなの?」

「だから告白してる」

「そっか、そうだよね」

「迷惑かい?」

「どちらかというと、嬉しい?」

「それならよかった」

「その告白も?」

「そう、また明日」


 彼の告白が5回聞ける。

 5回も聞けるけど、5回しか聞けない。

 告白は、恋人になるための行為。

 普通なら1回しか聞けない、好意を伝える最上の表現。

 恋人になったら当然聞けなくなる。

 好意は伝えてもらえるけれど、告白は聞けない。

 あと5回の告白で、私達は恋人に戻れる?

 分からないけど、どちらにしても告白はあと5回。


 






「君が好きだ」


 昨日より意気込んだ声。

 たぶん彼も意識してる。

 目的ありきの告白でも、好きな人への告白。

 その告白の機会が、失われつつあること。

 記憶が、注がれる。


◆第六の記憶:彼のプロフィール


川上蒼かわかみあお

「そう、それが名前」

「オムライス?」

「そう、それが好きな食べ物」

「読書?」

「そう、それが好きなこと」

「……私?」

「そう……それが好きな人」

「喜んだ方が、いい?」

「それは君が決めること……でも、そうだと嬉しい」

「私も、たぶん嬉しい」

「言わせたみたいになってしまったね」

「そうだね」

「君は……意地悪だね」

「私らしくない?」

「いいや、君らしい」

「なら、よかった」

「それじゃあそろそろ」

「また、明日」


 私はこの時間が好き。

 告白で、彼のことを思い出せるから。

 会話で、彼のことを知れるから。

 彼との時間が好きなのは、元々恋人だったから?

 嬉しい。楽しい。癒される。

 この感情は、恋人になっても味わえる?

 彼のことが好きなのかは分からない。

 でも、この関係は好き。

 










「君が好きだ」


 透き通る言葉。

 耳に馴染む声。

 好き。その言葉も声も。

 記憶が、滴る。

 

◆第七の記憶:川上蒼と恋人になったのは1年前


「恋人になって1年?」

「そうだね」

「そのときの告白はどっちが?」

「君だよ」

「ふーん」

「以外かな?」

「いや、そんな気がしてた」

「そうなのか」

「だって最初、全然慣れてなさそう」

「確かに、7回もすれば流石に慣れたけどね」

「私も、聞き慣れちゃった」

「飽きた?」

「ううん、もっと聞きたい」

「そうか、でも」

「あと3回、だね」

「君もしてみる?」

「うーん。悪くないけど」

「けど?」

「それは、また」

「明日、か」


 私から彼に告白するのも悪くない。

 そうすれば、この関係は終わらない。 

 彼の告白は嬉しいけど、ちょっと怖い。

 終わりが、足音を鳴らすから。

 でも、私は何度だって告白できる。

 私は、関係を続けるのに夢中だった。

 彼への好意を、疑う暇もないくらい。










「君が好きだ」


 いつもより覇気のない声。

 緊張している、というより震えるような声。

 まるで伝えたくないことを打ち明けるような。

 記憶が、滴る。


◆第八の記憶:記憶を失ったのは川上蒼とのデート中の事故が原因


「そっか、事故か」

「そう、恋人になって一周年記念のデートで」

「災難だったね」

「お互いにね」

「でも、こうしてまた会えてる」

「そうだね」

「こうしてまた、好きになれた」

「ありがとう」

「生きてれば、やり直せる」

「……そうだね」

「? 元気ない?」

「ごめん、そうみたい」

「じゃあ……」

「うん、また……明日」


 今日はずっと、元気がなかった。

 私が何か言ったから?

 私が思い出してしまったから?

 それとも私が何か、思い出してしまうから?

 理由は分からない。分からないけど、辛い。

 辛い、辛い、辛い。

 彼の顔を見るのが辛い。

 彼も、関係も、壊れてしまいそうで。

 だから、終わりたくない。

 終わりたくないのに、あと2回。











「私は、蒼くんが好き」


 出会い頭の告白。

 いつもしてるけど、いつもと何もかもが違う。


「どうしたの? 急に」

「嬉しくない?」

「嬉しいよ。僕も藍のことが……」

「ダメ、告白させないための、告白だから」

「……記憶を取り戻したくない?」

「うん。蒼くんもだよね?」

「……うん」

「じゃあ、いいよね」

「……ダメだよ」

「告白なら、私がするよ?」

「嬉しいけど、ダメ」

「どうして?」

「真実から、逃げちゃダメ」

「……どうしても?」

「後ろめたい恋はしたくない、よね?」

「……うん」

「じゃあ今度こそ、また明日」


 彼は最初から暗い顔だった。それを見るのも辛かった。

 でも、今はもっと辛い。

 怒らせてしまった。悲しませてしまった。

 私の配慮に欠ける告白で。

 どうして嬉しいのに、辛そうな顔するの?

 真実って、そんなに大事なこと?











「君が好きだ」


 彼は真剣な顔で言葉を告げる。

 その言葉は鍵、記憶の箱を開ける鍵。

 私にとってその箱は、まるでパンドラの箱。

 記憶が、満ちてゆく。


◆第九の記憶:川上蒼はデート中の事故で亡くなった。


「恋人になって1周年記念のデート中、僕達目掛けて車が走ってきた」

「……」

「僕は藍を助けるのに必死で……即死だった」

「……」

「藍は無傷だったけど、僕の死を目の当たりにして、ショックで倒れた」

「……じゃあ、あなたは誰?」

「君が作り出した幻想」

「幻……想……」

「君自身が記憶に蓋をかけ、その記憶を取り戻す鍵として、君は僕を生み出した」

「じゃあ、あと一回告白したら……」

「うん、役目を果たした僕は消える」

「……やだ」

「藍……」

「嫌だから、もう告白はいらない」

「それだと僕は、君に愛を伝えられない」

「それでいい。いなくなるよりずっといい」

「……僕は辛い」

「ずるいよそれ……」

「ずるくていい。僕は藍に思い出して欲しいから」

「どうして?」

「最後の記憶は、残りの全て。僕に関する思い出もそこにある。藍の僕への愛が全て、そこに閉じ込められてる」

「全てじゃない! 今も持ってる! 今も蒼くんが……!」

「でもそれは、本当の僕への愛じゃない」

「っ……」

「勿論強制はしない。僕は死んでしまったから、思い出しても辛いだけかもしれない」

「なら……」

「でも次に会うとき、僕は必ず君に告白する」

「どうして!」

「会うたびに辛くなるから。君も、本当の僕も」

「……」

「だから、次が本当に最後。それでよければ、いつでも呼んで」

 

 そう言って、私の前から居なくなる。

 また明日とは言ってくれなかった。











 あれから10年が過ぎた。

 普通に進学して、普通に就職して、結婚して、子供もできた。

 けど、まだ最後の告白は聞いていない。

 他の男からのプロポーズは聞いても、彼からの告白は聞けていない。

 だからなのか、何があっても心に響かない。

 大学に合格しても、就活で内定を貰っても、結婚式を挙げても、出産しても、私の心は揺れ動かない。

 あの10日間ほど、心踊る日はなかった。

 感動が、心の小さな隙間から通り抜けていく。

 最後の記憶の一欠片、小さいけど埋まることのない隙間。

 他の誰かに夢中になれれば、忘れられると思った。

 思った通り、たった10日間の記憶は徐々に薄れていった。

 けど忘れられない。思い出してないのに、忘れられない。

 私はまだ、本当の蒼くんを知らない。

 だから決めていた。10年経って忘れなかったら聞くって。


「蒼くん、お待たせ」

「…………そうだね」

「あの頃と随分変わっちゃったけど、気持ちは変わってない?」

「変わるわけないよ。僕には君しかいないから、君と違ってね」

「やっぱり、ずるいね」

「ちょっと嫉妬したからね」

「それは、ごめんなさい」


 10年経った今でも変わらない姿。

 私が10年焦がれ続けたその姿。

 彼より先に、私が告げる。


「私はあなたが好き。本当の蒼くんへの好きは思い出せないけど、今でもあなたのことは好き」

「……ははっ、嬉しいや。本当の僕に申し訳ないな……」

「告白の返事を、くれますか?」

「……そうだね。僕もだ。10年経った今でも君が――――藍のことが大好きだ」

 

 久々に聞く告白の言葉。

 久々に感じる記憶の充填じゅうてん

 あの10日間が思い出される。

 10年越しの11日目が訪れる。

 記憶が、満ちる。


◆第十の記憶:好き


 静かに涙が頬を伝う。

 1年間の記憶が呼び起こされる。

 甘く酸い心地よい1年の日常と、最後の悲惨な衝撃が思い出される。

 埋められた小さな隙間は、心に重くのし掛かる。


 でもこの涙は、本当の蒼くんだけのものじゃない。

 ようやく隙間が埋まって、10年で凝り固まった心がほぐれていく。

 この10年の感動が、改めて感動になっていく。 

 感動がまた、涙に変わる。


 でもこの涙は、感動だけじゃない。

 目の前にいた蒼くんは、既に姿を消している。

 もう、彼には会えない。

 誰よりも短い時間で、誰よりも私の心を掴んだ彼は、もういない。

 その悲しみが、大粒の涙を生み出す。


 聞くんじゃなかった。聞いてよかった。

 頭はもうグチャグチャだ。

 一頻ひとしきり泣いて、終わった。

 白から始まった私の恋物語はようやく終わりを告げた。

 

 思い出したことをみんなに伝えた。

 父、母、姉、親友、子供、そして夫。

 夫にはちゃんと伝えた。私には3人の好きな人がいるって。


 高校時代に焦がれ告白し、1年を共に過ごして、私の心に大きな風穴を空けるほどの愛をくれた人。

 記憶を失った私に毎日告白してくれて、私の我が儘で10年待たせて、最後まで私に愛をくれた人。

 心の欠けた私に寄り添ってくれて、真実を話しても側に居てくれて、今も私に愛をくれる人。


 夫は浮気性の私に嫉妬の思いを告げた。

 それでも自分の告白にも偽りはないと、今も私に愛をくれる。


 みんなが愛をくれるから、私も語り続ける。

 この愛の記憶を、忘れないためにも。

 

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