第15話 『美拳』の帰還。それとコージンへの依頼
外の空気が吸いたい。
施術を終えて、額に流れる汗をぬぐい、俺は戸をくぐる。
ルクリアの『歪み』は全て潰した。
腰の部分にあった『歪み』がかなりの強敵ではあったが、何とかほぐした。
そこさえクリアできれば、あとは難しくはなかった。
元凶となった左肘だって腰に比べれば難なく『直す』ことができた。
俺は腰から胸、首、肩、肘と、歪んだ箇所を逆の順番で揉んで、矯正していった。
プロミナのときほどじゃないにせよ、大仕事だった。
充実感も大きいけど、同時に疲れてもいた。何せ今回は気を遣う施術だったし。
「……二八四七、二八四八、二八四九」
外に出ると、月の下でプロミナが素振りをしていた。
感心感心。しっかり言いつけを守ってくれてたか、プロミナはいい子だなー。
「よ」
「あ、先生」
軽くを挙げるとプロミナがこっちに気づいた。素振りは止めていない。
「終わったんだね、お疲れ様」
「おう、ありがとさま。いや~、何とかね。終わりましたよ」
そばに大きな切り株があったので、俺はそこに腰を落ち着かせて伸びをする。
「声、すごかったね。もっとー、もっとー、もっとして、あたしを揉んでー、って」
「そうか? 君のときの方が激しかったけどな。言葉になってなかったし」
「ぴぅッ!!?」
素振りのリズムが乱れた。
俺はそれを見て、軽い調子でクツクツ笑う。プロミナが頬を膨らませた。
「邪魔しないでよね、先生!」
「すまんすまん」
「もういいわ。先生も終わったみたいだし、私もやめる」
言って素振りを止めると、プロミナは俺の隣に座った。
しばし、二人とも無言になる。夜の雑木林の中を、風が流れていく。
「体動かしたあとの風って、気持ちいいよね」
「だなぁ。……あ~、煙草吸いたいかも」
何となく思ったことを口に出す。するとプロミナが途端にイヤそうな顔をした。
「え~、先生、煙草吸うの? そんなガキみたいな見た目なのに?」
「うるせ。前に吸ってたんだよ。昔、むか~し、ほんの一時期だけ、な……」
「どれくらい昔?」
「俺が『真武』って呼ばれるようになるより昔」
「あ、ついに自分が『真武』だって認めた」
「認めようと認めまいとどうせ言われ続けるだろうし、めんどくさいし……」
だけど俺は自分から『真武』なんて名乗ったことはない。一回もないよ。
「そんな前のことなのに、今さら煙草吸いたくなるの?」
「若い頃にあったことはのちのちまで影響するんだよ。……ジジイの繰り言だがね」
「ふぅん、そうなんだ」
「そうなんです」
そして、また俺とプロミナは無言になった。
特に会話はないが、こうした時間が存外心地よい。隣にいるのが彼女だからか?
「ねぇ、ギルド長は?」
「ベッドの上でぐったりしてるよ。まぁ、全身隈なく揉んだからなぁ」
「心臓、何回止まった?」
「一回」
「……フフン」
何で勝ち誇ってんの、この子は?
「そっか、じゃあしばらくは気絶して目が覚めないかもね、ギルド長」
「もう起きてる」
声は、あばら家の方からした。
俺とプロミナがそちらを見やれば、下着姿のままのルクリアが出てきていた。
「よぉ、お早いお目覚めで」
「…………」
俺は挨拶するが、ルクリアは焦点が定まらない目をして、フラリと歩き出す。
あばら家の前には少し拓かれた場所がある。その真ん中に、彼女は立った。
「――――ッ」
刹那に漏らす、鋭い吐息。
それに合わせて、ルクリアは左拳を打ち出していた。
「お」
切り株に座る俺達の前で、彼女は次に虚空へと右足を蹴り上げる。
その蹴りは、下から上へ見事な弧を描いて、振り抜かれた右足の爪先が月を指す。
「わぁ……」
そこから足を引き、右の拳と左の拳を交互に突いて、回し蹴り。
ヒュヒュンという拳足が空を切る音が、こっちにまでしっかりと届いてくる。
煌々と光る月の下で、ルクリアはしばし見えない敵を相手に戦った。
跳躍は高く、突き出す拳には力が乗っていて、蹴りにもキチンと腰が入っていた。
目の前で行われるそれを見て、プロミナがふと呟く。
「綺麗。踊りみたい……」
彼女は、すっかり見惚れていた。
そして俺もプロミナと同感だった。月下に拳を奔らせるルクリアの姿は、綺麗だ。
ふわりとした柔らかい動きと、鋭くキレのある洗練された身の運び。
プロミナが持つ天然の輝きともまた違う、高い完成度に裏打ちされた美しさ。
ルクリアがその身を躍らせるたび、長い金髪が広がって夜に煌めく。
まるで、俺の出身地である大陸東部に伝わる天女のようだ。
なるほど、これが『美拳』。確かに周囲からやっかまれるワケだ。
と、苦笑したい気分になりつつ、納得した。
魔法の才もさることながら、彼女は拳士としても十分な高みに立っている。
肉体的には虚弱ながらも、それをカバーできるだけの技量がある。
秀でたセンス、優れた技術。独りでもやっていけるだけの強靭な精神力、と。
そりゃあソロでSSランクにもなれるってモンだ。
五年ぶりの『美拳』の帰還を目の当たりにして、俺はそれを実感していた。
やがて、ルクリアの舞い――、いや、演武が終わる。
「は、はぁ……」
軽く息を切らせながら、彼女は月を見上げていた。
今は、その頬を伝い落ちる汗の一筋すら、輝かしく映えて見える。
「どうだい、調子は」
「……痛くない。違和感もない。どこも」
一声尋ねてみると、ルクリアは月を見上げたまま、そう答えてきた。
俺は「そりゃよかった」と笑う。隣のプロミナも笑っている。
「ねぇ――」
ルクリアが、こっちを見てきた。
「あたし、まだやれるよね?」
「いや」
俺は首を横に振る。
「まだやれる、じゃないよ。まだまだやれる、だ。ここから、また始まるのさ」
「…………ゥんッ」
こっちを見るルクリアの双眸から、熱い涙が溢れる。
「やれる、あたし、やれる。まだまだ冒険者ができるんだ、また、冒険が……ッ!」
両手で顔を覆って、ルクリアはその場にペタンと腰を落とす。
そして彼女は泣いた。俺達の目の前で、子供みたいに大声をあげ泣きじゃくった。
それは、溢れる歓喜に打ち震える、新たな『美拳』の産声でもあった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
うんうん、よかったよかった。
ルクリアに道着も着せたし、これであとは戻るだけだな。
「――って言ってもね、ギルド長って年増でしょ。まだまだやれるって言っても私よりは長く冒険者やれないと思うのね。先生もそう思わない? 思うよね?」
「……は? 何言ってンのクソガキ。あたしはあと百年は冒険者やるけど? 百年。きっとあんたは老衰で死んでるねー。あー、残念ねー、別に残念じゃないけど」
って。
何で君ら、ガン飛ばし合ってんの?
「えー、別にやればいいんじゃない? ソロで。私は先生と適当にやってるから」
「バカガキが。コージン君はあたしの専属トレーナーよ。何抜かしてんの?」
「それこそバカでしょ。先生は私の先生。そんなことも知らないんだ。ププー!」
「くぁーッ、このクソバカガキッ! 冒険者免許停止してやるから!」
「ちょっと待ってよ、それは幾らなんでも反則でしょ!? 卑怯だ、汚いわよ!」
「ハンッ、大人を怒らせるガキが悪い。権力者に逆らう愚かさを思い知れ!」
「うぁ~ん、先生~! ギルド長がいじめる~!」
「ちょっ!!? そこでコージン君に頼るのこそ反則でしょ! バカクソガキ!」
おい、おい。
さっきまでの何か尊い感じだった雰囲気はどこ行った。いつの間に死んだ?
「っていうか、ルクリアさん、冒険者に戻るのにギルド長続けるんか」
「え、やめる理由ある? せっかく手に入れた権力を捨てるとか、愚の骨頂でしょ」
そんな、さも当たり前のように言われても……。
「いい、コージン君? 人生を勝ち残るためには三つの力が必要なの。暴力、財力、権力! それを握ったなら絶対に手を放しちゃダメ。捨てたら骸を晒すだけよ」
「実際に『影の領主』になった人の言うことは説得力が違うなぁ……」
半分呆れながら言うと、ルクリアの顔に何故か陰が差す。
「楽しくはなかったけどね、商売も政治も。ギルド長になってからの日々だって、全然充実してなかった。逆に財産が増えれば増えるほど『これは違う』って思ったし」
「でもギルド長はやめないんすね」
「気に入らないヤツを〆るのに権力は必須だから。実際、冒険者時代のあたしをコケにした連中はギルド長就任後二年以内に全員ギルドにいられなくしたし」
「やってることが恐怖政治ィ!」
「合法だよ、合法。非合法な手段はあたしの流儀じゃないからー」
こっわッ!? 平然と何言ってんの、この人!
つまり俺がギルドに登録したときにはすでに粛清は終わっていた、と? こっわ!
「あのー、ところで、今思い出したんだけど……」
と、そこで何かを言い出すプロミナに、俺達は揃って視線を向ける。
「ギルド長がコージン先生にしたい依頼って、何なのかな?」
「「あ」」
そういえばそうだよ、元々、今回の話の発端はそこじゃん。
俺はルクリアに「あの件、どうなってます?」という感じで目で訴えてみた。
「コージン君さ……」
すると、ルクリアは難しい顔つきになりつつ、俺に言ってきた。
「『湖岸の翠月花』の調達って、できない?」
おいこら、ギルド長。
それ、入手難易度SSランクの薬草じゃねぇか、おい……。
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