蒼櫻
空下元
第1話 黄昏時のお茶会
「急がないと」
参考書が詰まった手提げ鞄を抱えながら、駅前広場を駆けていく。
空を見上げると、薄紫色の黄昏空に
俺が隣町にある学習塾へ通うようになったのは、高2の秋頃だった。
俺の地元は頭に『ド』が付くほどの田舎だ。
電車が来るのは2時間に1本。
夕飯までに自宅へ戻るには、夜6時の最終電車に飛び乗る必要があった。
「やっと着いた」
ほどなくして、おんぼろな駅舎が姿を現した。
赤いトタン屋根が特徴的な駅舎の入り口には、『さくらぎ』と駅名が書かれた看板が掲げられている。
駅舎の壁も柱も木製だ。
白色のペンキが所々剥がれかけており、茶色い地肌を覗かせていた。
「あれ?」
駅前広場に差しかかったところで、俺はおかしな光景を見た。
広場の中心には、大きな桜の木が植えられていた。
今はまだ蕾の状態だが、数日もすれば綺麗な桃色の花が広場の空を覆うことだろう。
そんな桜の前には、白いテーブルと白い椅子が二脚設置されていた。
テーブルの上には、白磁のティーポットとティーカップが置いてある。
カップの数はひとつ……いや、ふたつ?
「ん…………?」
急に視界がぼやける。
まぶたを擦り、ティーカップに焦点を合わせると――
「え…………?」
ティーカップを手にした、女の子の姿が目の前に現れた。
女の子は紺色のセーラー服に身を包み、艶のある黒い長髪を夜風に揺らしている。
「え? え? どうし、て……」
女の子はテーブルに腰かけて、驚いたように俺の顔を見つめている。
か細い声で疑問を口にしながら、手にしたカップを傾けて――
「きゃあっ!?」
カップの中身をテーブルにこぼしてしまった。
「大丈夫!?」
俺は慌てて駆け寄り、女の子にハンカチを差し出した。
「あ、ありがとうございます」
女の子はお礼を述べると、恭しくハンカチを受け取って――
「私の姿が見えるんですか!?」
女の子の動きが止まる。
紅茶をこぼした時よりも、大きな声をあげて。
「そりゃあ見えるけど……」
「ああ、よかった……。本当に私の声が聞こえるんだ。お話ができるんだ……」
女の子は目に涙を浮かべた。泣きながら嬉しそうに微笑んだ。
どうしてこの子は泣いているのだろう。どうして俺を見て微笑んでいるのだろう。
何もわからないけど、この子の顔を見ていると、どこか懐かしい感じがして。
「はい。そこまで」
俺と女の子が見つめ合っていると、駅舎の方から男物の礼装――
女の人は背が高く、真っ黒な髪を頭の後ろで結い上げて馬の尻尾のように揺らしている。
怪しげな雰囲気の女性は、手にしたタオルを女の子に投げると、やれやれと肩をすくめた。
「積もる話はあとにして、まずはテーブルを拭きたまえ。誰の許可を得てここでお茶会を開いてると思ってるんだい?」
「あっ、ごめんなさいっ」
「俺も手伝うよ」
テーブルを綺麗に拭いたあと、お礼ということで俺もお茶会に誘われた。
ここで誘いに乗らないのも失礼だろう。
俺は不思議とそう思い、女の子の向かいの席に座った。
「自己紹介がまだでしたね。私の名前は……
春子と名乗った女の子は、様子を窺うように上目遣いで俺の顔を見つめてきた。
「春子……」
「レディーに名乗らせておいて自分は名乗らないのかな?」
「あっ! ごめん」
給仕をしている燕尾服姿の女性に促され、俺は慌てて自分の名前を名乗った。
「俺は
「トオル、くん……」
サクラザキさんは胸に手を当てて、俺の名前を小声で呟く。
まるで大事な宝物を胸の奥にしまい込むかのように。
一方、燕尾服姿の女性は親しげにウインクを浮かべた。
「ボクの名前はアオ。気軽に『アオちゃん』と呼んでくれてかまわないよ」
「わかりました。アオさん」
「あはは。トオルくんはお茶目さんだなぁ。気に入ったよ」
さん付けで呼んだら、アオさんは狐のような吊り目を細めて楽しそうに笑った。
「冷める前に紅茶をどうぞ」
「いただきます」
サクラザキさんに続いて、俺も紅茶をいただく。
紅茶を口に含んだ瞬間、口の中に果実系のほのかな甘みが広がった。
新緑のような爽やかな香りが鼻を抜けていく。肩の力が抜けていくようだ。
俺はスッキリとした気分でアオさんに感想を述べた。
「美味しいです、この紅茶。この香りは桜……ですか?」
「ご名答。ダージリンをべースに桜の花をフレーバーに使った特製の紅茶なんだ。ボクもお気に入りでね。よく春子ちゃんに……」
アオさんはそこまで言うと、慌てたように腕時計を見た。
「おっと! もう時間だ。今日の最終便がくる。トオルくんの帰る場所はここじゃないだろう? 乗り遅れないようにね」
「あっ! そうですね」
電車に乗り遅れそうだったから急いでいたんだ。
呑気にお茶をしている余裕はない。
「紅茶ありがとうございました、アオさん。それじゃあ、えっと……」
俺は慌てて席から立ち上がりアオさんに礼を述べる。
それからサクラザキさんに声をかけた。
「またね、サクラザキさん」
初対面の女の子にどう声を掛けていいかわからず、俺は曖昧な笑みを浮かべる。
「はい。また…………」
サクラザキさんは頬を緩めて、柔らかな笑みを返してくれた。
その笑顔を見て、俺の心は訳もわからず締めつけられる。
それと同時に疑問も生まれる。
――サクラザキさん。
何もない所からいきなり現れたキミは、いったい何者なんだ?
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