仮題;ネクロマ

平 四類

第0話;登場☆魔法少女!


 魔法少女ヒロインが登場するまでのシナリオはいつも同じ。

 人々の間に普段と変わらない日常のひとコマがあって。

 多くの場合、彼らは幸せそうな顔をしている。

 突然、そこに悪しき存在わるものがやってきて、皆の日常を粉々に破壊する。

 もうダメ。もうお終い。

 幸福だった日々は、もうここまで。

 そんなふうに嘆く人々の前に、魔法少女は颯爽と現れる。



 春。

 いつもと変わらぬ夕方だった。

 駅のエントランスは老若男女様々な人でごった返している。

 定時よりも少しだけ早く帰宅することができたサラリーマンが意気揚々と帰路に就く。手には駅地下で買った少し高級な唐揚げ。反対の手にはビールの入ったビニール袋を持って、頭の中は今夜の晩酌のことでいっぱいだった。

 

 サラリーマンと部活終わりの女子高校生がすれ違う。

 使い込まれて袖口のよれたジャージを羽織って、テニスラケットの入った鞄を肩にかけている。髪は後ろでひとつにまとめていて、歩くたびにその束が揺れていた。

 コンビニで買った揚げたてのコロッケを美味しそうに齧り付く。サクッという小気味いい音がして、食べた箇所から湯気が上がる。

 彼女はコロッケに集中していたせいで、目の前を歩く人影に気付くのが遅れた。


「危ないよー!」

 高校生は声を聞いて不意に足を止める。

 顔を上げると、幼稚園児、または小学生低学年ほどの少女が道を塞いでいた。

 高校生が何だろうと思って少女の後ろを見ると、妊娠中らしき女性が少し困った顔で少女を見ている。

「あ……」

 さっきまで、買い食いに夢中で気が付かなかった。

 少女が声をかけてくれなければ妊婦とぶつかっていたかもしれない。

「大丈夫、気にしないで」

 高校生が謝ると、女性はそう言って手を振った。

「この子、お姉ちゃんになるってわかってから色々過敏なの」

 妊婦は少女の頭を撫でる。

「妹が生まれるの! わたし、お姉ちゃんなんだよ!」

 快活に笑って、乳歯の抜け始めた歯を見せた。

 嬉しそうな少女の表情に、女子高校生も頬が緩む。

 母親と少女は挨拶をして駅の方へ歩いていった。

 高校生も軽く頭を下げて、反対方向へ歩いていく。まだコロッケからは湯気が出ていた。



「お姉ちゃん、か」

 車道を挟んだ対面の歩道。

 向こう側で起こっていた一連の出来事をぼんやりと眺めていた少女は呟く。

 少女は頭髪をウルフカットで整え、所々にピンクのメッシュカラーを入れていた。髪の間から覗く小さな耳には、不釣り合いなほど金属製のピアスをいくつも開けている。

 一方、服は高校指定のスカートとシャツ。上に大人しいクリーム色のセータを重ねて着ていた。

「……大丈夫。すぐだから」

 肩にかけたスクールバッグを押さえる。

 鞄の外からの感触で、それ、、が中に入っていることを確かめた。



 突如、駅の方から悲鳴が上がる。

 人々の反応はそれぞれだった。

 即座に顔を向けて、何があったのか知ろうとする人。

 取り敢えず視線だけ動かし、煩わしそうな表情をする人。

 顔すら向けず、興味なさげに帰路に着く人。

 耳を劈く悲鳴は珍しいが、特別人々の行動を変えるほどのものでもない。

 その程度、日常の枠から出ることはない。


 続く悲鳴。

 今度は複数人から上がったものだった。

 下を向いていた人が、手元の携帯端末を見ていた人が、顔を上げて声のする方を見る。

 そして叫ぶ。

 波紋の様に続々と悲鳴は拡がっていく。

 周辺にいた全員の顔が恐怖に染まるまで時間はかからなかった。


 駅前のビルが斜めに裂ける。

 切り取られたビルの四階より上の部分が真下にある歩道へ落下した。

 煙霧が立ち上がる。

 降り注いだコンクリート塊に辛うじて当たらずに済んだサラリーマンは、状況を理解できずに立ち尽くす。

 目の前の巨大なコンクリート。

 ビルの一部であったそれには窓がついていた。

 はっと我に帰る。

 今コンクリートが落ちてきた場所。そこにはさっきまで人がいたはず、、、、、、だ。

 煙が晴れて、足元の赤い水たまりに気づいた。

 

 彼は駅の反対方向へ走り出そうとする。

 しかし不運にも、彼の頭上に切り取られた広告看板が落ちてきていた。

 足に激痛を感じて転倒。

 痛みに呻きながら恐る恐る見ると、彼の左足は不自然に折れ曲がっていた。

「あああ……」

 いつの間にか手に持っていた荷物が消えている。

 埃臭さの中に、不思議と香ばしい匂いがする。見渡すと、車道に砂利にまみれて黒く汚れた唐揚げが落ちていた。


 壁に手をついて片足でなんとか立ち上がり、必死の形相で駅を離れる。

 焦る感情とは裏腹に、身体は亀のような速度しか出せない。

 誰か、助けてくれ。

 心の底からそう思った。

 警察でも消防でもなんでもいい。足が痛い。この場から逃げたい。

 なんなら漫画コミックのヒーローでもヒロインでもいい。

 けれど現実はそんな都合良くいかない。

 それを知っていたから、彼は残った足で必死に歩いた。



 悲鳴と轟音が響く。

 砂煙の中、ポニーテールの高校生は自分の手が濡れていることに気がついた。

 匂いを嗅ぐと、アルコールの香り。

 すぐそばに穴の空いたビール缶が落ちていた。

 膝を擦りむいたようで痺れる痛みがあったが、他に怪我はない。

 立ち上がって、その場から離れる。


 度々何かが崩れる音がして、細かいコンクリート片が降ってきた。

 大きな音がした方を見ると、ビルの一部がそのまま落ちてきたようで、瓦礫の中から人間の手足がはみ出しているのが見えた。

 吐き気に襲われる。

 立っていられず、しゃがみ込む。

 目を瞑ろうとしたが、途切れることのない悲鳴がより鮮明に聞こえるだけで逆効果だった。


 地獄。

 不意に頭をよぎった単語。

 これは夢だ。そう思った。

 起きたら本当は何も起こってなくて、登校したらいつも通り朝練が始まる。

 だが、膝の痛みはいつまで経っても消えなかった。

 お願いします。

 全部無かったことにしてください。

 脳裏に浮かんだのは、子供の頃に夢見たテレビの中の魔法少女ヒロインだった。

 悲鳴。痛み。阿鼻叫喚。

 願いながらも、半分くらいは諦めだった。

 そんな都合の良い存在なんかいない。

 けど、もしかしたら。



 妊婦は目を覚ます。

 数分間、意識を失っていたようだ。

 起きて最初に認識したのは悲鳴だった。

 どこからともなく人間の叫び声が聞こえてくる。

 精神が絶望に染まっていくことを感じながら、近くにいるはずの自分の娘を探した。

 名前を呼ぶ。

 返事はない。

 腹部を押さえながら辛うじて歩ける場所を探す。道のほとんどは大小の瓦礫に塞がれて、彼女では通ることが出来なかった。


 少女の甲高い声が聞こえる。

 巨大な瓦礫の向こう側。

 女性はすぐに駆け寄って隙間から覗いた。

 目にしたものは到底信じられるものではなかった。


 歪み。

 多色の絵の具を一斉に混ぜ合わせたような、テレビの砂嵐のような、目の粗いモザイクのような。

 二メートルはありそうなその歪みが、少女の前に立っていた。

 自身の目がどうかしてしまったのか、と女性は目を擦る。

 しかし、変化はない。歪みの正体は認識できない。

 そのうえ歪みを見つめると、気付かぬうちに自然と目を逸らしてしまう。黒点が消える錯視図のように歪みを捉えることができなかった。

 自分の眼球が激しく動いているのを感じる。


「来ないで!」

 少女が叫ぶ。

 母親は咄嗟に自分の娘へと視線を移した。

 知らぬ間に転んでしまったのか、スカートの裾から覗く幼い脚は赤く染まっていた。

「……**」

 歪みが声のような音を発する。

 まるで早口言葉を逆再生したような音声は、とても理解できなかった。

 歪みの一部が手の様に細くなり、少女へと伸ばされる。

「いやっ……!」

 少女は歪みに背中を向けて、道路を走る。

 小さな身体は瓦礫の隙間を縫って、未知の存在から十メートルほど離れることに成功した。

「****」

 再び声を発した。

 刹那の間のあと、少女の近くにあった瓦礫が切断された。

 コンクリートと鉄筋で構成された物質を、まるで豆腐を切るかの如く容易に。


 少女は眼を見開いて、その様子を眺めていた。

 ごくりと唾を飲みこんで理解する。

 自分もこうなってしまう。

 歪みからさらに距離を取ろうと走り出すが、恐怖から身体が思い通りに動かない。

 瓦礫を避けようとしたところで脚が絡まって、アスファルトに肩から倒れ込む。

 仰向けになって、後ろを振り返った。


 歪みはまだそこにいる。

 うまく見つめられないために、輪郭も距離感も曖昧であったが、聞こえてくる足音から近づいてきたことだけはわかった。

「う……あぁ……」

 少女の瞳に涙が溜まる。

 溢れ出しそうなところで必死に堪えた。

「う……ううん」

 お姉ちゃんになるんだから。


 そう思うとなぜか力が湧いてきた。

 大丈夫。もう怖くない。

 建物が壊れるのも、悪い怪物も。

 テレビで、アニメで、たくさん見てきた。

 だから知っている。

 こういう時には、彼女たち、、、、が助けに来てくれる。絶対。


「――**」

 歪みが声を発する。

 相変わらず内容はわからない。

 だが、これから起こることは明瞭に予想できた。

 少女の切断。

 コンクリートを両断する一撃が、より柔らかい人体に対して効果のないはずはなかった。


 結末を悟って絶叫する母親。

 だが反して少女には恐怖も絶望もなかった。

 だって大丈夫だから、と。

 一分も疑うことなく、その存在を信じて。



 不可視の刃が飛来する。

 少女のいた場所に大きな斬撃の後を残す。

 しかし、そこにあるはずの少女の遺体は、見つからない。

「……**?」

 歪みから初めて感情のようなものが伺えた。

 身体を左右に揺らしてものを探すような素振りを見せる。


 かしゃん、と。

 少女のいた位置から遥かに離れた瓦礫の上に、人間が降り立つ。

 黒とピンクのメッシュ。大量のピアス。高校生の制服。

 輝く夕日を背にして、腕に無傷の少女を抱えていた。


「ん。もう大丈夫」 

 メッシュの女子高校生はゆっくりと少女を降ろす。

「歩ける?」

 肩と膝の怪我を見て尋ねた女子高校生に対して、少女は爛々と瞳を輝かせて何度も頷く。

 涙はどこかへ消えていた。

「偉いね。さすがお姉ちゃんだ」

 頭をくしゃくしゃに撫でて、不器用に微笑む。

 髪型を乱されるのを少しだけ嫌そうにした少女が口を開く。

「……おねーちゃん、魔法少女?」

「どうだろうね」


「****」

 会話を遮るように歪みが音を鳴らす。

 声に反応して、高校生の黒い瞳は真っすぐに歪みを捉えた、、、

「じゃ、アイツやっつけるからさ、そこら辺に隠れてて。……あと、わたしがどうなったとしても絶対に近付かないで。安心しててよ。わたし、無敵だから」

 少女は力強く頷くと、少し離れた瓦礫の影に隠れた。

「……」

 少女の様子を横目で確認して、女子高校生は懐からステッキを取り出す。

 二十センチほどの長さで、ピンク色の柄の先に金属の装飾。中央にはブリリアンカットされた赤い宝石が埋め込まれていた。

 まるで子供向けの玩具のような愛らしいデザインで、制服を着た彼女にはあまりにも不釣り合いなアイテム。

 その杖を頭上に掲げて呟いた。


「ネクロマ☆チェンジ」


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