二十年後の代償

はじめアキラ

二十年後の代償

 小学校からの幼馴染である美子よしこから相談を持ちかけられたのは、愛犬の散歩した帰りのことである。

 近所に住んでいる自分達が、買い物や散歩の帰りに遭遇し話し込んでしまうことは珍しくもない。私の場合、最近は高い確率で柴犬のリッキーを連れている。お散歩大好きなリッキーは、私が専業主婦で家にいるのをいいことに、毎日三回も四回も散歩に連れていってくれとおねだりするのだ。ただし、雨の日だけは例外。トイレのことがあるので連れていかないわけにもいかないのだけれど(リッキーは家でトイレをしたがらないのだ。柴犬には多いのだという)、濡れて冷たくなるのが嫌なのかリードを持ってくると非常に渋い顔になる。

 お前元々はお外犬やんけ、なんて心の中でツッコミを入れながら連れ出すのが常だった。幸い今日はポカポカ温かい小春日和なので、本人(本犬?)もうきうきと足取り軽やかに散歩に出てくれたのだけれど。


「おはよう鞠絵まりえー!今日もいい天気ねえ!」


 子供の頃から変わっていない、ぽやぽやとした笑顔で挨拶してくる美子。買い物袋を下げているあたり、彼女も買い物の帰りといったところだろう。リッキーは美子のことが嫌いなわけではないのだが――私と彼女が遭遇すると九割九分その場で井戸端会議が始まって長引くので、頻繁にあくびをするようになるのだった。そして、話し始める前からその場で伏せをして退屈そうな顔をする。空気が読めていると言えばいいのか、態度が露骨すぎると言えばいいのか。

 ただし、今日だけは少しそのリッキーの態度が違っていた。美子の服の匂いをくんくんと嗅いでいるのである。何か変わった匂いでもするのだろうか――残念ながら、私にはいつもと変わらないようにしか思えないのだが。


「あらリッキーちゃん、わかるの?そういえば、“この日”にリッキーちゃんと遭遇するの、初めてかもしれないわねぇ。リッキーちゃん、まだ一歳だし」


 四十代というより、すっかり六十近いオバチャン然とした様子でリッキーの頭を撫でる美子。


「実は、薔薇のお花を貰ってるの、私」

「薔薇?」

「ええそうよ。実は春頃になるとね、いつも私にお花を送ってくれる人がいるの。もう二十年にもなるのよ。さっき出かける前にも受け取ったばかりなの。写真取ったから見る?」


 彼女はバッグからスマートフォンを取り出すと、すいすいと指を滑らせた。なお、リッキーは既に美子に興味をなくし、伏せをしてぼーっと遠くを見ている。明らかに、当面ご主人に構われないことが分かってスイッチを切っている顔だ。賢いのやら、怠惰なのやら。


「へえ、綺麗じゃない」


 私は素直に感嘆の息を漏らした。スマートフォンに撮されている写真には、満開の一本の赤い薔薇が画面いっぱいに映し出されている。その周囲には、可愛らしい黄色のつぼみの薔薇が三本。まるで、真ん中の赤い薔薇を華やかに祝福しているかのよう。

 花に関してけして明るい私ではないが、きっと高いものなんだろうなと考える。つぼみがついているのは珍しい気がするが、それが却って良いバランスで可愛らしい印象だ。


「って、これ誰かから愛の告白されてるんじゃない?あんまり花言葉とか詳しくないけど、赤い薔薇が愛の告白に使われるってことくらい私だって知ってるもの」

「あら、そうなのー?」

「そうよ。確か“あなたを愛してます”じゃなかった?ていうか、黄色の薔薇も告白みたいなものだったと思う。えっと……」


 思わず私のその場で携帯を取り出して、ゴーグル先生で検索をかけることにする。

 黄色の薔薇も、素敵な花言葉があったはずだ。


「あ、やっぱり」


 そしてヒットしたのは、三種類。“友情”、“平和”、“愛の告白”だ。どんな花も、花言葉は複数あることが多いため、一概に告白とは言い切れないが。赤い薔薇と組み合わせるならこの場合、“愛の告白”が一番ぴったりと来るだろう。


「黄色の薔薇は“愛の告白”よ、美子!誰かに慕われてるんだってば。ほら、あんた昔から男の子にも女の子にもモテモテだったじゃない。今はただの愉快なオバチャンだけど」

「ちょっとそれどういう意味よ、もう!」


 けらけらと笑う美子。そう、昔はあまりオープンにはできなかったが――親友であった私は、美子が“男女両方イケるクチ”であったことを知っているのだ。彼女とは、小学校から高校までずっと一緒の学校だった。時々“女の子”の恋人らしき人物を連れているのも見かけたことがあるのである。

 今でこそ大食い旦那に影響されてか、幸せ太りしたぽっちゃり主婦と化している彼女だが。昔は背が高くてスポーツ万能な、なかなかの美少女というヤツだったのである。残念ながら、三十代で結婚してからは、幸せと引き換えにいろいろなものを失ってしまった感が否めないけれど(まあ本人が毎日楽しそうだからそれでいいのだろう)。


「もしかして学生時代とかOL時代にこっそり美子のことを好きだった男の子や女の子が、今でもひそかに美子を思っていて薔薇を……ってことない?」


 人妻だろうがなんだろうが、片思いをするのは自由。ストーカーにでもならない限り迷惑ということもない。四十代といえど、私も一人の女。他人の恋の話は、いつだって美味しいごはんも同然なのだ。


「もう、想像力逞しすぎ。ないない、そんなのないわよ」


 手をひらひら振りながら、彼女は笑った。


「だって、いつも同じ色じゃないのよ、送られてくるのは。花言葉とか、特に意識してるわけじゃないでしょ。確か、薔薇って色ごとに全部花言葉が違ったはずだし」




 ***




 その時は、特に気に求めなかった。送り主に覚えがないというのは少し不気味であったけれど、天然でぽややんとしている美子は純粋に喜んでいるようだったから尚更である。花に明るくないのはお互い様だが、可愛いものや綺麗なものが大好きというのもお互い様だ。彼女は薔薇が送られるたび、花瓶に活けて玄関や居間飾って楽しんでいるのだという。今度実物を見せてあげるわね、と笑っていた。

 薔薇が送られてくるのは、四月から五月にかけてのことだそうだ。今の薔薇は温室栽培であるだろうから、季節が合致して送ってくるというわけではないのだろう。なら、何かそこに意味でもあるのだろうか。例えば、送り主にとって四月から五月にとても大きな思い入れがあるとか、美子に親切にでもしてもらったお礼であるとか。


――暇だし、ちょっと調べてみるとしますかねー。


 検索をかけてみよう、と思ったのは単純な興味だった。子供も既に手のかからない年になっていた私は、そろそろパートでも始めて家計の足しにしよう、かなんて呑気なことを考えながらパソコンを立ち上げたのである。その時ふと、彼女の薔薇の一件を思いだし、ついでに調べてみようと思った――ただそれだけの話であった。

 あの日の後も、彼女とは何度も話して薔薇の写真を見せて貰っている。美子は律儀に、薔薇が送られてくると必ず写真を取って保存しておくのだそうだ。よほど嬉しかったと見える。まあ、ストーカー以外からの、特に悪意のない贈り物。お花を迷惑がる人間もいるが、美子はそうではない。喜ばしいと思うのも自然なことではあるだろう。


――えっと、確か……なんて言ったっけ。最初は、赤い薔薇に、黄色いつぼみだった、わよね?


 赤い薔薇の花言葉も、黄色い薔薇の花言葉も前向きなものばかりであったはずだ。

 それから、彼女は“送られてくる花の色は一種類ではない”とも言っていた。

 赤というより緋色に近い色であったり。黒だったり、黒っぽい赤であったり。


――うわあ、流石、メジャーな花だけあるわ。え、これ、花言葉だけで何種類あるの?


 気楽にキーワードを入れて検索してみた私は、ずらずらと並んだ言葉に驚かされることになるのである。

 色だけでもとんでもない数の花言葉がある上、なんと本数や部位でも花言葉が変わってくるらしい。とりあえず色から確認してみることにする。

 赤色は、“あなたを愛しています”や“熱烈な恋”だ。しかし、少し色が一般的な“赤”と違ってくるだけで、花言葉は変わってきてしまうらしい。

 例えば、緋色になると“灼熱の恋”という花言葉ああるのだという。中には青や緑にも花言葉があるらしいが――青や緑の薔薇なんて、この世に存在するものなのだろうか?青い薔薇は実質不可能である、なんて話もどこかで聴いたことがあるような気がするのだけれど。


――えっと、赤と黄色はもう調べたでしょ。で、緋色は“灼熱の恋”。黒は“貴方はあくまで私のもの”“決して滅びることのない愛、永遠の愛”?ちょっと行き過ぎてて怖い気もするけど……え。


 その時。私はある二つの花言葉に眼を止めて、眉をひそめた。

 彼女に送られた薔薇の中に、ややネガティブな花言葉を持つものがあることに気づいたからである。

 例えば黄色の薔薇は、友情や愛の告白以外にも意味があったらしい。なんと真逆に近い言葉、“愛情の薄らぎ”“嫉妬”などの意味をも持つのだそうだ。

 そして、赤と黒の中間――黒赤色に至っては。


――……“死ぬまで憎みます”、って……。


 少しだけ、背筋が寒くなった。思えば、彼女はいろんな色の薔薇を送られてきているとは言っていたが。それでも一般的に見る全ての色を貰っていたわけではないらしい。白やピンクの薔薇も貰ったことがあるの?なんて尋ねたら、それは無いと言っていたからだ。

 花言葉のバリエーションがありすぎるせいで、深くは考えていなかったが。もしや送り主は、意識もしないでランダムに薔薇を送りつけてきていたわけではないのだろうか。

 そこに、何か込められたメッセージがあるとしたら。

 少なくとも黒赤色を選ぶような、マイナスなものがあるのだとしたら。


――そういえば、此処に書いてある。薔薇って、色だけじゃなくて、本数とか状態とか組み合わせでも花言葉が変わってくるんだって。


 そういえば、一番最初に見せてもらった薔薇は。赤い満開の薔薇に、黄色いつぼみが三本という組み合わせだった。あの時は“色”の花言葉しか調べなかったし、つぼみをつけるなんて可愛いわね、くらいにしか思わなかったけれども。

 もし、そこにも意味があるのだとしたら。


「……!」


 私は思わず椅子から立ち上がっていた。美子は言っていた。薔薇は二十年もの間、送られ続けていると。

 二十年前――何かがあった?この、春に?


「美子!」


 私は椅子を蹴倒す勢いで駆け出し、電話に飛びついた。いつも恋愛に奔放だった彼女。連れている恋人は、男の子でも女の子でもさほど長続きしたことはなかった。私達が一緒であったのは高校まで――大学生の時の彼女と、社会人になってからの彼女を自分はよく知らない。最近引越しで家が近くなったのでまたよく顔を合わせて話すようになったというだけのことである。

 自由奔放で、天然なのが彼女の可愛いところだった。

 けれどそれは、あくまでも友人の眼から見て、であったのかもしれない。恋人になった人間からすれば許せないようなところが、彼女にはあったのだとしたら。


『おはよう、鞠絵まりえ。あー、もう昼過ぎだからおはよう、はおかしいかしら。どうしたの、急に』


 スマートフォンで電話をかければ、彼女はいつも通りのほほんと返事を返してきた。私は一瞬躊躇する。彼女は、何の危機感も抱いていない。下手なことを話して、パニックにさせていいものか、どうか。

 でも。


「……ごめんね、美子。どうしても訊きたいことがあるの。大事なことなのよ」


 思い過ごしならいい。でも。


「貴女、二十年前っていうと丁度……“株式会社クンティエルOS”に勤めてた頃よね。で、OLやってた」

『そうよ。それがどうかした?』

「……その時、恋人がいたりした?それも“女の人”で“人妻”。……その人を、手酷くフったりとか、してない?」


 薔薇の花言葉は、状態でも組み合わせでも変わる。

 満開の薔薇は、“私は人妻”。

 黄色の薔薇の中に赤い薔薇が混じっているのは、“あなたがどんな不実でも”。

 そして、薔薇のつぼみ三本と開花した薔薇一本の組み合わせでは――“あのことは永遠に秘密”。

 もし、美子が本当に、人妻に手を出した挙句こっぴどくフって不幸にした、なんてことがあったとしたら――辻褄があってしまうのだ。


「黒赤色の薔薇が混じってたわよね。あの花言葉が一番危ないの。“死ぬまで憎みます”。……美子、恨まれるようなこと、してない?」


 気のせいだったら、それでいい。友人が不幸にならなければ、それで。


『……もう!鞠絵ってば気にしすぎよ!』


 そして、美子はあっけらかんと言ったのだ。


『社会人時代に付き合った人なんか、多すぎてぜーんぜん覚えてないわ!いいじゃない、私は当時結婚してなかったんだからさ』





 ***




 その後。

 黒薔薇を抱いた津久井美子つくいよしこの遺体が河川敷で発見されるのは、僅か一ヶ月後の事である。



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