枯れた花の名前を知る時

はじめアキラ

枯れた花の名前を知る時

 子供の頃の親友、月夜つきやと再会して俺が最初に思ったことは、“詐欺やん!”だった。


「お前……なんでそんな縦にばっか身長伸びてんの?しかもイケメンなの?爆発しろや」

「おまっ……蓮司れんじ!再会して最初に言うことそれか!酷くね!?」


 幼稚園から中学生まで、ずっと一緒だった友人は。俺の言葉にずっこけてそう言った。

 家に突撃してもいいか、と彼から連絡が来たのは。連絡先を書いた葉書を出してから、約一週間後のことだった。年賀状でのやり取りはしていたものの、逢うのは実に十二年ぶりになる。十四歳で月夜が転校していって以来、自分達が顔を合わせたことは一度もなかったがためだ。

 男の一人暮らしのアパートは、お世辞にも綺麗とは言えない代物である。酒とツマミとお菓子を持って乗り込んできた月夜は、俺の部屋を一目見るなり“きったね!”と声を上げたのだった。


「蓮司……昔からだらしないのほんと変わってねーな!脱ぎ散らかした服、ベッドに投げっぱなしにしとくなよ。つか、地面にいろいろ散らばってるもんなんだこれ。漫画?本棚あるじゃん、しまえって」

「うっさいわー!床でごろごろしながら漫画読んでるとそのまましまい忘れるんだっつーの。それに一度仕舞ったらもう一度出さないといけなくなるじゃねーか。めんどくせ!何度も読み返すのに」

「で、それが積もり積もって、そこの漫画の山になってると。本棚の意味ねー」

「やっかましー!」


 子供の頃は、何処に行くのも二人一緒だった。だからこそ、正直彼と再会することに不安があったのも事実である。もし、月夜が別人のように変わってしまっていたらどうしよう。子供の頃の楽しい思い出が、全部壊れてしまう結果になったらどうしようと。

 それは杞憂だった。彼は髪を金髪に染めて、いかにもチャラ男という外見にこそなっていたものの(ついでに、ムカつくほど長身モデル体型のイケメンになっていたものの)、中身は子供の頃とちっとも変っていなかった。二人の時の明るいノリも、ちょっと口煩くて綺麗好きなところも含めて。


「せっかく来たんだし、アレやろーぜ」


 どうせ彼もそのつもりだろ、と俺は用意しておいたトレーディングカードゲームを取りだした。子供の頃に流行し始めて以来、十二年過ぎた今でも老若男女問わず世界的に流行し続けているゲームだ。何でも、“世界で一番売れたカードゲーム”としてギネス記録をしたとかいう話もある。きっと彼もやっているだろう、と思っていれば案の定、月夜もにやりと笑ってバッグからデッキケースを取り出してきた。


「悪いが蓮司、俺は中学生の頃よりずーっと強くなってんぜ?」




 ***





 新しいパックが出るたび、ルール改定が入るたび、内容が煩雑になり難易度が上がってくることで有名なそのゲーム。どうやら俺と同様、彼もずっとプレイし続けていたということらしかった。何でも最近はカード本体がなくても、アプリで世界中の人と対戦できるようになっているらしい。

 会社の同僚やら、オタク仲間やらと続けていたこともあって、俺は結構自分の力量に自信があったのだが。月夜と対戦した結果、三回連続で俺が負けるという事態に陥っていたのだった。


「お前いつの間にドラゴン使いになったの。ていうか、そのデッキ回りすぎてドン引くレベルなんですけど」


 テーブルの上には、俺の惨敗の結果が明確に刻まれている。エースモンスターを召喚して勝ったと思ったのに、召喚直後に落とし穴に落ちるだなんて運がないとしか言いようがない。しかも墓地ではなくて“ゲームから除外”されるゾーンに吹っ飛ばされるという悲しさ。そりゃあ、相手の伏せカードを警戒していなかった自分が悪いのだが。


「お前昔から早い展開に弱いよなあ!すぐテンパるテンパる」


 散らばったカードを元に戻しつつ、月夜はからからと笑う。


「そういえば、子供の頃の対戦成績覚えてるかよ。体育の成績も喧嘩の強さもお前が上だったのにさ、こいつで俺に勝てたことほとんどなかったよな。俺の記憶通りなら戦績は俺の四百八十五勝、二十一敗だ」

「待て待て待て待て、なんでそんな細かい数字覚えてんの!?え、俺もっと勝ったことあったよな!?」

「無いデスー。お前が勝ったの、俺が手札事故して自滅した時くらいだからな」

「ええええええ」

「でもって今俺が三連勝したから、実際四百八十八勝なわけだな、俺の!」

「えええええええええ」


 なんでそんな数字まで覚えてるんだ、と俺は頭を抱えるしかない。とりあえず一端休憩して、彼が持ってきてくれた紙袋を開けることにした。中には俺が大好きなビールとサワーの缶が何本か、さらにおつまみのチーズとクッキーが入っている。

 ついでに何か封筒のようなものもちらりと見かけた。緑色の封筒には、表に“蓮司へ”と書かれている。


「あ、その手紙は今ここで開けるなよ、マジ恥ずかしいかんな!」


 月夜は焦ったようにストップをかけてきた。


「一応そういうもんも入れとかないといけねーかなと思ってさ。お前が忙しかったら、ツマミも酒もこの場で飲まないで置いてって帰るつもりだったし。それ見るのは俺が帰ってからにしてくれよ、な?」

「はいはい、わかりましたよ。つか月夜、俺が好きなサワー覚えててくれたんだ。氷塊シリーズほんと好きなんだよな、安くてウマい」

「俺も好き。後味がいい。特に王道のレモン味がいい」

「わかってんじゃんー」


 懐かしい相手とカードゲームをしたことで、なんとなくお互い昔に戻ったような気分になっていたのだろう。学生のようなノリで騒ぎつつ、まずはビールで乾杯した。こんな風に彼を気軽に家に招くことができるのも、多分今日で最初で最後になるかもしれないと思うと少しだけ切ない気持ちになる。理由は簡単、自分はもうすぐこのアパートを出ていくことになるからだ。流石に独り暮らしでなくなるともなれば、そうそう気安く友人を家に呼ぶこともできなくなってしまうだろう。

 少なくとも、このごっちゃりしたアパートで、遠慮なく騒ぐことはきっと難しくなる。月夜にも月夜の生活があるだろうから尚更だ。


「俺が大阪に行っちゃったから無理だったけどさ」


 ビールを煽りながら、月夜が言った。


「中学の時約束したの覚えてっかよ、蓮司。成人式の夜に集まって、一緒に鍋パしようって言ったじゃん?」

「あー約束したな」

「で、その時俺、お前に言ったんだとな。その時には、もっと強い男になってお前をびっくりさせてやるからなって」

「したした、そんな約束」


 よく覚えてるなあ、と俺は感心してしまう。もっと強い男になってみせる――月夜が俺にそんなことを言ったのは、当然理由があったのだった。そう、中学までの月夜は今と違ってチビで華奢で、女の子みたいに弱弱しい少年であったのである。

 幼稚園の頃から、そんな彼はいじめられてばっかりだった。そんな月夜をいつもすぐ傍で守っていたのが、当時彼よりずっとタテにもヨコにも大きくて、兄貴分を気取っていた俺であったのである。頭が良くて人当たりが良かった彼と違って、俺にあったのは運動神経の良さと喧嘩の強さだけ。体育の成績以外では、全部月夜に負けていると思っていた。――彼は自分に感謝してくれていたようだが、なんてことはない、月夜を守ることは俺のアイデンティティの確立でもあったのである。

 自分は彼より強い。優れたところがある。彼を守ることで、そういう自分にどこかで酔いしれていた。今考えると、なんとも器の小さい男だったと恥ずかしくなるものである。


「今の俺はどうだよ、少しは強そうな男になったか?お前がびっくりするくらいにはよ」


 にやり、と笑う月夜。俺はまじまじと彼を見つめて、一言。


「強そうっつーより、チャラい。とりあえず俺に身長10cmヨコセ」

「ひでえ!」

「いやだって、あのチビが俺よりデカくなるとかなんだよ!背高くて成績良くてイケメンかよふざけんな俺のアイデンティティ返せ!」

「大丈夫だ、蓮司は最初からイケメンじゃねえから!」

「んだとコラ!」


 ああ、段々と言っていても空しくなる。ぽこぽこと彼に拳を振り下ろしながら俺はため息をついた。


「もう俺の護衛はいらないですか、そーですか。あー、お前のヒーローやってた時は、ちょっと俺もカッコよくなれたつもりだったんだけどなあ」


 我ながらみみっちいとは思うが、元より遠慮するような仲でもない。そう、かつての俺は、この幼馴染のヒーローを気取っていたし、そう自称していたのだ。女の子ではないけれど、女の子のように可愛い弟分に慕われるのがすごく嬉しかったというのもある。


「いらなくねーよ。俺は嬉しかったぜ?お前にいつも助けて貰えるの。お前は、本気で俺のヒーローだったよ」


 月夜はどこか、眩しそうな眼で俺は見て言う。


「女の子みたいな顔も、チビな背丈も、運動音痴なのも全部コンプレックスだったからなあ。お前に勝てるのは勉強とカードゲームだけだし、いじめっ子に一人で立ち向かう力もなかった。……でもお前がいつも助けてくれるようになってからいじめられなくなったし、俺もぼっちじゃなくなったんだよな。本当に感謝してる、ありがとな蓮司」


 改めてそんなことを言われるのは、本当に照れくさい。頬が熱くなったのを隠すように、俺は明後日の方向を向いた。


「あーいやーまー……と、とにかく。お前も今は東京務めなんだろ。俺も一人暮らしじゃなくなるし、仕事もお互いあるし、気軽に会うのは難しくなるかもだけど……たまには新居に遊びに来いよ月夜。あいつも、お前なら歓迎するだろ」

「ははは。気持ちはありがたいけど、遠慮するわ。もうお前は俺じゃなくて、あの子のヒーローだからな。俺のヒーロー横取りしおってからに!って嫉妬向けない自信ないぜー」

「おいおい、嫉妬深い男は嫌われんだぞ」


 そう。俺がここから引っ越す理由は一つ。小さな一戸建てを立てて、もうすぐ“彼女”と二人で暮らすことになるからだ。

 来月、俺は結婚する。

 だからこの、大学の頃から住み慣れたアパートとも、もうすぐおさらばというわけなのだった。


「そうだ、凄く申し訳ないんだけどさ」


 唐突に、月夜が眉を下げて言った。


「蓮司の結婚式。どうしても都合つかなくて、行けそうにないんだわ。悪かったな。正直それで、前祝もかねて今日遊びに来たっつーのもあるんだわ」

「ありゃ、仕事か?しょうがないな」

「おう。ご祝儀は出すからさ、お前は精々幸せになりやがれ」


 彼は酒好きなのだろうか。さっきから、手元の缶を開けるペースが早い。だいぶ顔も赤いし、酔いも相当回っているように見えるのだが。

 少しの疑問は、彼がレモンのチューハイを開けて俺に渡してくれたことで、あっさりと吹き飛んでしまった。


「それでは辻蓮司つじれんじクンの結婚を祝してー……カンパーイ!」

「お、おう!乾杯!……ってこれ最初に飲む前にやらないと意味ねーじゃん!」

「あっはっは、確かに!」


 何故、彼が引っ越し前に突然家を尋ねて来たのか。

 何故、新居に来るのを遠慮すると言ったのか。

 そして。




『今の俺はどうだよ、少しは強そうな男になったか?お前がびっくりするくらいにはよ』




 彼がどんな気持ちで、あの台詞を口にしたのか。

 彼が帰った後、彼が残して行った手紙を見て俺は泣き崩れることになるのである。

 今更何か、出来ることがあったわけではないかもしれない。それでも思わずにはいられなかったのだ。

 枯れた花の名前を知るには、あまりにも俺は遅すぎたのだと。

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