懺悔室

久田高一

懺悔室

 ロイ神父はたった今懺悔室に入ってきた男を知っていた。名はキース・ドリントン。小さな商社に勤めており、教会の斜向かいの家に妻と住んでいる。こう言っては失礼だが、あまりぱっとしない、毎週日曜日に教会で会っていなければすぐさま忘れてしまいそうな夫婦であった。

 キースは神妙な面持ちで、次のように語った。



 神父様、懺悔いたします。私は先ほど罪を犯しました。他人の身体に危害を加えたのです。

 私は子どもの頃から、あらゆる事柄が、他者より劣っていました。だからか、他人に影響を与える人間、例えば、教師とか、小説家とか、ロックスターなどに強い憧れを抱きました。しかし、教師になるための試験には3回続けて落ち、小説を書こうと思っても何もアイディアが浮かばず、ギターを習おうにも、手先が不器用過ぎてまともに弾けたものではありませんでした。なんとか今の勤め先と妻を得てからは、他人に影響など与えなくとも十分幸せだと、自分に言い聞かせ暮らしてきましたが、抑圧された分、本来の幼い憧れはますます強くなっていきました。

 転機となったのは、日本には「漆」という肌に触れるとかぶれる塗料があると知ったことと、道ばたに落ちているハンカチを拾ったことが結びついたときです。自分でもなぜこんなことを思い付いたのかはわかりませんが、漆を染みこませたハンカチを道ばたに落としておけば、それを拾った人に苦痛という影響を与えることができると思いました。それに――私は、私の思い付いた行為は犯罪であると感じていました――警察に怪しまれたとしても、趣味の漆塗りに使ったハンカチを落としてしまったとでも言えば、怒られることはあったとしても、まさか捕まることはないだろうと考えたのです。何の取り柄もない私にもできる、他人に影響を与える方法を見付けた私は興奮しました。影響と言っても私の憧れた良い影響ではなく、他人を傷つける悪い影響でしたが。

 私はすぐに漆を取り寄せました。妻には日本の漆器に興味があって、自分で漆塗りをしてみたいのだと言っておきました。

 決行の機会がやってきました。妻が昨日から、旧友達と2日間の旅行に出かけているのです。行く先は東部の観光地だと言うので、私は西部の観光地に出かけて行き、名前も知らない路地で、人目につかぬよう漆を染みこませたハンカチを落として来ました。これから、このハンカチを見付けた親切な人は、私のせいで苦痛に苛まれることになるのだと想像すると、背筋がぞくぞくしました。

 そして、ああ、私は、つい先ほどまで大きな満足感しか感じていませんでした。家に帰り着き、教会が目に入った途端良心が目覚めました。もしかすると今まさに、私のせいで苦痛に苛まれている人がいるかもしれないことを思うと、いても経ってもいられなくなり、懺悔しに参った次第です。



 言い終わると、キースは神父の言葉を待たずに懺悔室を出て行ってしまった。キースは自首しにでも行ったのだろうか。神父はただ、キースのこれからを思い祈った。

 キースが出て行ってから30分ほど経った頃であろうか。今度はキースの妻、サナ・ドリントンが懺悔室に入ってきた。手には旅行鞄をぶら下げていた。神父は驚いたが努めて冷静にサナに話を促した。サナの懺悔を要約すれば、次のようなものだった。



 神父様、私は罪を犯し、その報いを受けました。それをここに懺悔します。

 私は不貞を働きました。夫に嘘をついてある若い男と旅行に行き、一晩の間、この手で彼に触れました。すると、ああなんということでしょう!彼に触れた手がじんじんと痛むのです。これはきっと神様が私に与えてくださった戒め、罰なのですね。悔い改めます。この愚かな私をどうかお赦しください!



 妻は夫と違い、神父の言葉を待っているようだったので、神父は一つ質問を投げかけた。

「サナ、あなたは旅行中、ハンカチを拾ってやりませんでしたか。」

 サナはきょとんとして答えた。

「ええ、神父様、拾いました。汚れてはかわいそうだと思って、側の縁石に除けておきました。それが何か?いけなかったでしょうか。」

「いえ、であれば結構。」

 神父は妻のお望み通り、赦しの文句を伝え、彼女を帰した後、十字架の前に跪いた。    

 確かに主は私達を見ておられるのだ、改めてそう強く思った。どうかあの夫婦が救われますように。神父は2人のために祈った。

 ただ、その表情はいくらかしかめられているように見えた。

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懺悔室 久田高一 @kouichikuda

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