第9話 ケイドロ
「……!」
「……!」
「……?」
飛び退いたのは同時。
廊下の角、そのすぐ先に、先ほどの、写真の女が仰向けで転がっていた。
どうやら同時に様子を伺ったらしかった。
手でなんとか体を支えて、「ひっ」とか言いながら、私たち二人に驚愕と恐れが入り混じった瞳を向けている。よっぽどびっくりしたらしい。
癖っ毛のショートカット。前髪が長いせいもあって片目が隠れている。写真だとロングヘアに見えたのは、白いワンピースの上に黒の半袖カーディガンを羽織っているからだったようだ。背中にはグレーのリュックサックを背負っている。どっからどう見ても、生きている人間だ。写真より若く見えた。十代後半、いいとこ二十代前半の垢抜けない顔立ち。綺麗めな正装っぽい格好とリュックサックがやけにアンバランスに見える。
私はすっと立ち上がった。
「……?」
不穏なものを感じたのか、恐れながらも徐々に後ろに這っていく女。
その姿を視界に収めつつも……、私には心の中で『いちについて――』の声が聞こえていた。
息を深く深く吐いて、スタンディングスタートの構えを取った。後方からも同じような吐息が聞こえてくる。空穂も私を真似しているに違いない。
続けて、『よーい』と、心の中で唱えた。
腕を入れ替える。
一、二、……。
『スタート!』
心の中で唱えたのと、女が猛ダッシュで逃げ出すのは同時だった。
最初こそ四つん這いで逃げ出す様が、パニックモンスタームービーにでも出て来そうな感じだったけれど、すぐに持ち直す。フォームは綺麗、走る様は華麗、そしてやたらと速かった。
それがまた私たちを興奮させた。
「行け! 確保だ! 捕まえろ!」
「あはははははははははははははは!!」
横で走ってる女の方がよっぽど怖い。
楽しいのか何なのか、何が琴線に触れたのか知らないけれど、爆笑しながら猛ダッシュする様は下手な妖怪とかよりもよっぽど怖かった。
カーブに差し掛かり、前方を走る女がちらりとこちらを確認。横の爆笑女に肩がびくっとなった。スピードが跳ね上がった。遅れて、叫び声が――……隣といい、前といい、よく大声上げながら走れるもんだ。
元の距離が近いのもあって、追いつかれるのを考慮したのか、階段を下りるような真似はしなかった。飛び跳ねて捕まえてやろうかと思っていたのに。息が激しくなってくる。瞬時の判断と勘は悪くない。手強い相手だ。見てみれば靴は白のスニーカーだった。
だんだんと離されていく。
口型の家とは言っても、ここの直線は、廊下の真ん中が途中で外側に折れていた。そこでイケるかと思いきや、身のこなしが速い速い。とてもじゃないけれど、スピードでどうにかなる相手じゃない。歩幅も全然違った。子供と大人。下手すれば、十歳以上の身長差は絶対的に厳しい。
正面玄関に突入した。
ここでも階段を下りずに駆けていった。このままだと、すぐに恵美寿と姫が居た場所だ。暗闇の中から現れる全速力で走る女幽霊と、後方から聞こえる少女の爆笑は、さぞや姫をビビらせることだろう。うまいことやってくれ、恵美寿。と、心の中で祈ることしかできない。
案の定、走る女のさらに前方から悲鳴が聞こえてきた。
混沌としてきた。走る走る。逃げる逃げる。走る逃げる。走る逃げる。走る逃げる。走る逃げる。
途中、恵美寿と姫が階段を下りて行くのが見えて一安心する。構っている暇はないけれど。
やがて一周半したところ。ちょうど正面玄関に再び入ったところで女を見失った。見失って逆に助かった。空穂と違うのだ、私は。
「ストッ……プ……はあ、ぜえ」
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