こどものあそび

水乃戸あみ

第1話 秘密基地

「秘密基地つくりたい!」


 千真(ちま)ちゃんはあまりの暑さにぐでんとなっている三人に向けて、いつものように唐突に言い放った。

 そうして、誰も反応しないのを見てとり、再度言い放った。


「秘密基地つくりたーい!!」


 公園に響き渡る大音声。奥様方に聞こえてなければいいけど。

 しばしの沈黙。やがて三人が同時に口を開いた。


「ばか?」

「暑さで頭でもおかしくなったんですか」

「あ。黒揚羽いるよ。見て見て」


 公営住宅の片隅にある小さな公園。

 朝はおじいちゃんおばあちゃんのお散歩コースで、昼間はご近所の奥様方の井戸端会議場、夕方は子供たちがボール片手に飛び回り追いかけっこ、夜は飲んだくれてぐでんぐでんになったサラリーマンたちの共同墓地。

 そして休日は、暇で、特にすることもない、あたしたちのような、この団地に住まう小学生たちが、ただなんとなく、特に理由もなく集う場所。団地に住まう子供たちの憩いの広場。

 見渡しても、今はあたしたち以外に誰も目に付かなかった。

 公園の片隅にはそこそこ大きい屋根付きの四阿(あずまや)が設置されている。

 昼過ぎ。日陰になっていて、幾分ひんやりとした木のテーブル。四方に分かれて座るあたしたち――千真ちゃんだけは椅子の上に乗っかって仁王立ちだけど――の目の前を今、一匹の黒揚羽がひらひらと舞っていた。

 見つめることしばし。

「はあッ!」

「ちょーっ!?」

 千真ちゃん、まるで蚊でも潰すかのように、その二枚の手のひらをぺちーっと黒揚羽に向けて放った。『真剣揚羽取り』という、どうでもいい言葉があたしの中で生まれる。あ。『真剣黒揚羽取り』の方が格好いいな。あたしはくすっと笑う。その表情を隣に座る空穂(うつほ)ちゃんが泣きそうな表情で見てきた。

「いや、ちが、そうじゃなくって……、てか千真ちゃんっ!」

「なあに?」

 両手を合わせたまま、その手を頬に当てて、首を傾げて、ぶりっこする仕草にイラーっとする。

「空穂ちゃんが可哀想でしょ!」

「そっち?」

 隣で姫(ひめ)ちゃんが呆れた声をあげた。んが。ちょっと違ったか。

「そんなでっかい虫潰したらばっちいでしょ! バイ菌付いちゃうよ! 除菌! 大事!」

「えぇ……」

 またまた姫ちゃんが呆れた声を上げた。ん? あれ? 違う?

「てか、その仕草かわいくないよ?」

「はあ」

 姫ちゃんは頭を抱えて首を振る。あたしもこれは違うと思った。

「ふぐう」

 いけない。空穂ちゃんがひくひく言い始めた。あたしはどうしようとわたわたしてみるも、正直、このクラス一の泣き虫っ子がなんで泣いてるのか、いまいちわからない。だからとりあえず姫ちゃんに振る。

「姫ちゃん!」

「……何故そこで私に? ……千真さん、いい加減離してあげたら?」

「空穂ちゃん空穂ちゃん。ほら、こっち見てこっち」

「……?」

 千真ちゃんが両手を合わせたまま、そろりそろりと笑顔で空穂ちゃんに近づいていく。そうして、千真ちゃんがひくひく言ってる横で、手のひらをぱっと広げた。

「わあ」

 黒揚羽が千真ちゃんの手の中で、呼吸をするようにゆっくりと羽を動かしていた。黒揚羽はしばらくの間、そうしていたかと思うと、やがて、四阿の外の、真夏の日差しに向かって羽ばたいていった。太陽がきらんと光った気がして、あたしは顔をしかめる。

「はあ」

 なんだ。生きていたのか。

 焦って全身に汗が滲んだ。Tシャツの袖で汗を拭う。責任取って、面白いことじゃなければ許さないから、とばかりにあたしは千真ちゃんを睨めつける。

「で? なに? 秘密基地?」

 こくりこくりと腕組みして頷く千真ちゃん。

 仕草一つ一つがイラッとするのは、千真ちゃん特有。いつものこと。

「あんなの、男子たちの遊びでしょ」

「ふっ。ですってよ。姫さん、言っておやりなさいよ」

「いや、知りませんけども」

「我を誰と心得る。さあ、その名を呼んでみたまへ、白幸姫(しらゆきひめ)」

「はあ。あなたこそ麗日千真(うららかちま)さまー」

「そう。我こそが既成概念の破壊神。麗日千真であーるー」

「なにそれ」

 千真ちゃんがまたわけのわからないことを言っていた。きせいがいねんってなに? まあ、いいや。姫ちゃんも見た目に似合わずノリいいなあ。


 麗日千真(うららかちま)。十才。

 あたしと同じクラスの女の子。突然わけのわからないことで喚き始めるのが特徴。それは毎回、元ネタがあったりなかったり。

 髪型は長めサイドポニー。右だったり、左だったり。今日は右。活発な印象に似合わず、クラスの誰よりオシャレさんで、イヤリング付けてたり、ネックレス付けてたり、ブレスレット付けてたり。今日は全部盛りだった。あたしは羨ましくって、たまに貸してもらったり。

 意外と博識。本好き。ハイパー小学生。

 白幸姫(しらゆきひめ)。十才。

 白くない。黒い。いつもすっごいふりふりの付いたドレスみたいな黒い服着てる。今も。

 あたし知ってる。こういうの黒歴史って言う。前にそれ言ったら一日中口利いてくれなかった。

 転校生で取っつき難いのもあって、友だちはいなかったけれど、千真ちゃんが最初に仲良くなってからはあたしたちとよく一緒に遊ぶようになった。

 同じ団地だったってのもあるけど。

 髪型はシンプルなストレートロング。

 絵が上手くて、あと、音楽にやたらと詳しい。あたしたちが知らないアーティストをたくさん知っている。一度聴かせてもらったことあるけど、あたしには微塵もいいと思えなかった。雑音。

 パシャリ。

 写真を撮る音が聞こえたから、見てみると、さっきの黒揚羽を空穂ちゃんが七インチくらいのタブレットを構えて写真撮影していた。反対に座っていたから見えたけど、ものっすごいズームな上に、元々数世代前のタブレットっていうのもあって、なにがなにやら。

 本人がにこにこしてるからいいけど。

 玉仁和空穂(たまにわうつほ)。九才。

 三月三十一日誕生日の遅生まれな女の子。すぐ泣き、よく泣き、すぐ泣き止む。涙腺が脆く、感情が高ぶりやすいらしい。

 タンクトップにすっっっごい短いホットパンツ。基本露出高めの格好をする……割に、指摘されると恥ずかしがる。たまに分かっててやってるんじゃないかと思う。

 この中だと一番意味不明な子。千真ちゃん以上に。天然ってこういう子のこと言うんだろうなー。

 髪型はオレンジのボブ。派手。

「恵美寿ちゃ~ん。男子がやる遊び……その心は?」

 千真ちゃんが下から睨めあげるように、具体的に言えば、ヤクザかヤンキーみたいにポニーを揺らして訊いてきた。あたしは特に考えずに答える。

「えっと。イメージ?」

「とは?」

「だって。ああいうのってやんちゃなイメージあるというか……。なんか変な場所入ってったり、しちゃいけないことやってたり……」

「しちゃいけないことって?」

 あたしは自分のイメージを上手く言葉に出来なくてもどかしくなる。姫ちゃんをちらりと見ると、困ったあたしを見て取って、口を開いてくれた。

「秘密基地――そう言うからには、人の出入りのあまりない場所を指しますよね?」

「ま。そうだろね」

 千真ちゃんがすぐに同意する。

「私もそういう場所じゃないと秘密基地、とは言えないと思います。そういう人の出入りのない場所に――具体的に言えば、他人の敷地かもしれない土地に――入って行って好き勝手するわけですから、そういうのを気にしない、やんちゃな、向こう見ずな男子たちが、よくやる遊びというイメージがどうしても私や恵美寿さんの中にはあるわけです」

「そうそれ!」

 言いたいことを全部言ってくれた。姫ちゃんがあたしの方を見、少し首を傾げて溜息をついて、そのまま言葉を続けた。

「そして、そういった場所を秘密基地にするには少々危険が伴います」

「危険?」

「……千真さん、あなた分かってて訊いてません? 頭良いんですからそのくらい分かるでしょうに」

 千真ちゃんはこんなんだけど、この中、っていうより、学年中の誰より頭が良い。テストの成績はいつもオール百点。ついでに言っとくと体育の成績も割りかしいい。

 姫ちゃんはけっこう気にしがち。二番手に甘んじてるってやつ? 頭のこと。

 運動は……うん。

「分からん! さぁっぱり分からん!」

「……だから、他人の敷地に入ったら普通に法律違反でしょう。不法侵入罪」

「じゃあじゃあっ。山や海は?」

 よいしょ――と、元の位置に座って、空穂ちゃんが身を乗り出してきた。興味津々だ。というか、この子、けっこうなアウトドア派。すっごい外に行きたがる。

「長野に海はないでしょう……。山だって他人の敷地かもしれませんし、それが誰の敷地かもすぐには判断付きません。勝手に入って行って、基地を作った後、怒られて壊されて――なんてことになったら、目も当てられないでしょう」

「あ。そっか」

 しゅんとなる空穂ちゃん。

 そんな空穂ちゃんをぽけっと眺めながらあたしは言う。

「……ていうかさ。ここでいいじゃん。それぞれの家でもいいじゃん」

「かーっ! 分かっとらん! 分かっとらんよー! この子はっ! ほうら、姫さん。言っておやりなさいよ!」

「いや、もういいですから。その下り」

 姫ちゃんが肩をすくめた。

「秘密基地……その言葉を聞くだけで胸が踊らない?」

 仁王立ちしていた千真ちゃんは、同じ格好をしているのに飽きたのか、机に仰向けで寝そびり始めた。格好は腕組みのまま。その視線は、頭上に座る姫ちゃんを見ている。鼻の穴まで見えそうな位置。

「まあ……分からなくもないですけど」

「ぷよぷよ~」

「邪魔だなあ」

 空穂ちゃんが千真ちゃんのシャツを捲っておヘソの辺りの肉を揉み始めた。あたしも手持ち無沙汰でなんとなく千真ちゃんの肉をつまむ。

「おい。人肉啄むメスどもよ。お前さんたちの答えを聞かせてもらおうか」

「わたしはやるやるー!」

「えー。犯罪はやだなー」

 お母さんに怒られるのはごめんだ。千真ちゃん家はいいかもしれないけどさ。うちはそこそこうるさいし。

「ふむ。それなんだがね――。古今東西、秘密基地遊びは我々のような子供たちの間で、連綿と繰り返されてきた遊びの一つだ。鬼ごっこやかくれんぼと同じく、秘密基地遊びは今でも子供たちの間で行われているのは皆も知っての通りだと思う。

 しかし同じ遊びでも、メンコやコマ、フラフープや一輪車、ビーダマンにバス釣り、トレカにヨーヨーなどの、その時代時代を象徴するような遊びは、一過性で、爆発的に流行りはするだろうが、同時に廃れるのも早い。秘密基地と違ってな。それが何故だか、分かるかね?」

 なんか語り始めた。とりあえずそのまま聞くことに。

「どうしても道具がいるわけだ。そして、古くもなる。金もいる。吾輩が今、例として挙げた遊具が当時の値段で一体幾ら掛かるか。興味があったら調べてみてくれ。笑えるぞ」

 知らんがな。そのまんま言う。

「知らんがな」

「つまりな。その裏には大人たちの商魂が見え隠れするわけだ」

 無視された。

「商魂?」

 姫ちゃんが訊き返し、千真ちゃんはニヤリと笑う。

「ああ。魅力的なキャッチコピーとCM。その言葉に踊らせれた子供たちは、自分の親にせがみ、ブツを手に入れる。しかしだ。実際ブツを手にしてみれば、遊ぶ用途は極端に限られている。相手がいなければどうにもならない物も多い。高いが故に、所有している者も限られている。娯楽溢るる今の時代――時代を経るに連れ、子供たち皆が一様に! 同じおもちゃに興味を持つということもない! ほうら! どんどん萎まる購入層!」

「はあ」

 まあ、あたしたち団地住まいだもんね。そんなにお金持ってないもんね。

「そこで秘密基地だ」

 戻った。

「道具はいらない。場所さえあればいい。不法侵入罪? 他人の敷地? ホワイ? 何故。

 ならば、その辺にいる大人たちは――いっそ、みんなのパパたちでもいいけれど――、秘密基地遊びをやって捕まった経験がお有りか? ないだろう? よしんば注意されて終わりだ。『おーい、糞ガキどもー。勝手に入るんじゃねーぞー』ってな、具合で!」

「メンコから後の下り、必要だったかしら?」

「いらないよね」

 姫ちゃんが首を傾げて疑問を口にした。あたしも同意しとく。

 あと、割と道具いらない? 秘密基地って作るのに。

「ふっ。恵美寿。大人たちが捕まっていないのは何故だと思うね?」

「え? 時効?」

「ちがーう!」

「うーん……大人たちみんながみんな、秘密基地遊びやってるってわけじゃないと思うけど……まあ、だとしてもってこと? ……子供だから?」

「そう! 結論! 子供のうちは何やったっていい!」

「その着地はおかしいのでは……」

 姫ちゃんが呆れた声をあげてる横であたしは衝撃に目を見開く。

 そうだ。あたしたちはまだまだ子供。十才。小学四年生。

 だったら!

「そっか……! 子供のうちは犯罪にならないってわけだ……!?」

「そう! そして、例え捕まったとしても、盗みとかめっちゃ悪いことならともかく、ちょっと人ん家の敷地勝手に入っちゃいました~ってくらいなら、将来的にはいっそ武勇伝として語れるかも!?」

「武勇伝!?」

「武勇伝! 武勇でんでんででんでん!」

「千真ちゃんすごーい! 頭いいー! かぁっこいいー!」

 すごい。目から鱗おちおち! 武勇伝だって! 秘密基地って響きも格好いいけど、あたしは武勇伝の方が好き! そういの欲しかった! 一個は欲しかったの!

 あまりの衝撃に千真ちゃんのお腹をぺちぺち叩く。面白がって空穂ちゃんもぺちぺち叩く。ぺちぺちぺちぺち大合唱。ぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺち。

「うへ。うへへへ。やめろや照れくさい。ちょ、ちょっ、いだ、あいだっ、あだだだ」

「天才! やっぱり天才だよ! 千真ちゃん!」

「いや、あほでしょ……あなたたち……」

「姫ちゃんはやりたくないの?」

「……やる」

 姫ちゃんが真っ赤になって恥ずかしそうに呟いた。

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