第8話 ジャイアントボア戦

「な……何で"ジャイアントボア"がこんなところに出て来るのよっ!!」


 エストが驚くのも無理はない。かく言う俺も割と驚いている。


 "ジャイアントボア"は牛ほどの大きさを持った、巨大なイノシシの魔物である。野生のイノシシがマナの影響を強く受けて変異を起こし、そのまま種として確立した存在らしい。


 彼らは普段山や森、林などの深いところに生息しているはずである。森の浅い場所をうろつくなんて、ましてや草原にまで出て来るなんて普通は考えられない。


 とは言え、絶対にあり得ないとまでは言い切れない。


「たぶん、エサ場でエサが取れなくなったのか、それとも縄張りに何か異変でもあったのか……ってところだろう。……何にせよ面倒だな……」


「いや、面倒とかそう言う問題っ!? あいつは――」


「来るぞっ!!」


 こちらに向かって、ジャイアントボアが地響きを立てながらまっすぐに突っ込んで来る。俺達はばっと左右に分かれて回避。


「……ええいこの、オラァッ!!」


 すれ違いざまにエストが切りつける。ジャイアントボアのくぐもった声。通り過ぎていく魔物の側面に傷がついているのが見える。


 だが、ジャイアントボアは止まらない。大きくUターン。再びこちらへ軌道を向ける。


 何の理由で森から飛び出て来たのかは分からない。最初の突進は、進路上にたまたま俺達がいただけだったのかも知れない。


 だが、今や魔物は完全に俺達へ狙いを定めている。敵意のこもった目を向け、獰猛なうなり声を上げ、ジャイアントボアは草を蹴り上げこちらへと一直線に爆走して来た。


 だが、ジャイアントボアは曲がるのが苦手な魔物だ。確かにあの巨体から繰り出される突進は恐ろしい威力を持っているが、軸をずらしてやれば十分に回避できる。


 ……個人的な事を言えば、こういう突進攻撃には何か苦手意識があるんだけど。いや、トラウマってほど大げさなもんでもないけど、何しろ前世では車に轢かれたのが死因だったもんで。


 俺の前世事情はともかく、先ほどと同じように側方へと逃れる。同じくすれ違いざまにエストがチェーンソーを一閃。魔物は苦悶の唸り声を上げる。


 それでもジャイアントボアは速度を緩めない。野生動物は人間に比べてはるかに苦痛に強いと聞く。魔物も同じなのだろう。


「いいぞエスト! その調子で焦らず確実に攻撃を重ねて行けば――」


「……ねえノル、大切な話があるわ。落ち着いて聞いてちょうだい」


 手元でチェーンソーの駆動音を唸らせながらエストが言った。


「――マナ切れよ」


 チェーンソーの駆動音が小さくなり、そして完全に沈黙した。


「……はい?」


「だから、マナ切れ。だってこの子、魔導具アーティファクトなのよ? マナがなければ動かない道具なのよ? ……そのマナは一体どこから供給されてるのかって話よ」


「……さいですか」


 つまり、エスト自身のマナを使ってそのチェーンソーを動かしていた、と。


 ブルースライムとの戦闘で、マナをずいぶん消費していた、と。


 でもって今、エスト自身のマナを使い切った、と。


 ゲームで言うところのMP切れ、と。


「そして、マナ切れの私にろくな攻撃手段は残されていないわ。できる事と言えばただ避け続けるだけ。……ノル、手詰まりよ。こうなったら何とか逃げる手段を考えないと」


 エストは逃げると言っているが、ジャイアントボアの脚力から逃れるのは難しいだろう。


 それに森ならまだしも、ここは広い草原である。岩や低木、地面の起伏はあってもジャイアントボアから逃れるのに役立ちそうなものは見当たらない。


 ……せっかく、魔物との戦闘はエストに全部任せようと思ってたのに。仲間の力で楽してクエスト完了できると思ってたのに。


 ええい、もうしょうがねえ。


「体力切れを狙うのが一番現実的かしらね。あいつだって無限に走り続けられる訳じゃないもの。がんばってこのまま突進を避け続けて――」


「いや。俺がやる」


「は? ……はあっ!?」


 俺は杖の先端を魔物へ向け、魔術の準備をする。


 意識を集中。


 俺の体内に宿るマナを切り取り、"塊"としてまとめる。俺の意思をマナの塊へと干渉させ、一種の安定状態を崩す。訓練で何度も叩き込んだ通りに、素早く確実にマナの性質を変容させる。


 完了。特定の魔術的性質を持ったマナの塊が、姿勢を低くした猟犬のように俺の中で発動の瞬間を待つ。


「待ちなさいよノルッ!! あなた、魔術はファイアボールしか使えないんでしょっ!? いくら何でも――」


「避けろっ!!」


 ジャイアントボアが俺達に向けて三たび突っ込んで来る。


 回避。


 ジャイアントボアは大きくUターン。誘導ミサイルか何かのように、執念深くこちらに狙いを定めている。


 撃つならば、距離が十分に離れている今が好機だ。


「――ファイアボール!!」


 スポーツ選手よろしく、声を出して気合を入れながら発動。


 杖の先端に火球が生まれ、バレーボール大へと瞬時に膨れ上がる。


 ほぼ同時に射出。鼻先をこちらへ向けた直後のジャイアントボアへと一直線に飛ぶ。


 真正面から直撃。爆発音。


 火球が膨れ上がり、周囲へ高熱を撒き散らしながらジャイアントボアの体を飲み込む。二階建て家屋の屋根にまで達する高さまで炎が上がり、大気を焦がす。熱気をはらんだ風が四方へと吹き抜け、周囲の草花を同心円状に強くなびかせる。


 炎を突き破って、焼け焦げたジャイアントボアの姿が現れる。だが、走っている訳ではない。突進の勢いのまま転がるように地面を滑り、土を削って周囲へ派手にまき散らす。


 やがて勢いが弱まり、ついには停止。ジャイアントボアはほんの少しもがいたきり地面に倒れ伏し、そのまま動かなくなった。


「……やったみたいだな」


 一秒、二秒と観察し、ジャイアントボアが再び動き出さないと確信してから、俺は杖を下ろした。


 エストの方を見る。


 彼女は目をまん丸にし、ジャイアントボアと俺へ交互に視線を移していた。


「おーい、エスト?」


「……え。いや、ノル。あなた、ファイアボールしか使えないって……」


「ああ。今使ったのが、俺のファイアボールだ」


「…………マジ?」


「マジ」


「……ウソでしょ……」


 呆然とした様子でエストがつぶやく。


「……何なのあの威力。あれ、下手したら並の魔術師の中位魔術以上に強力なんじゃないの……? ねえ、実はあなた中位魔術使えるんじゃ……」


「使えないぞ」


「……そ、そうなの……」


 エストが大きなため息を吐く。


「……ノルが当然のようにジャイアントボアと戦おうとした理由がよく分かったわよ。あれだけの魔術を使えるのなら、問題なく倒せるわよね……」


「……? 確かにジャイアントボアはそこらの魔物より危険度は高いが……そこまで警戒するような相手か?」


 もちろん、戦う力を持たない一般人にとってジャイアントボアは恐ろしくて危険な魔物であるだろう。だが、俺達は相応の戦闘能力を持った人間である。十分に立ち向かう事ができる。


 突進はほぼ直線的な攻撃だから回避はそう難しくはない。避けた後に落ち着いて攻撃していれば問題なく倒せる。


「……あなたねえ……」


 俺の疑問に、エストは半ば呆れた風につぶやいた。


「……あのね。ジャイアントボアは普通、十分な経験を積んだ中堅どころの冒険者が相手するような奴なのよ? 間違っても、私達みたいな冒険者になって初日の駆け出し初心者が挑むような魔物じゃないの」


「…………マジ?」


「マジ」


「……爺さんから"訓練"と言われて、何度も一人で戦わされて来たんだが……」


「…………あなたのお爺さんも色々ぶっ飛んでるってのがよく分かったわ……。どう考えても訓練で戦わされるような相手じゃないわよあいつは……」


 何かドン引きされた。


 ……そうか。


 やはりあのクソジジイは、この世界の一般基準で見てクソジジイだったのか。あの訓練シゴキを前に俺はつねづね鬼ジジイだとは思っていたが、客観的に見ても奴は鬼畜クソジジイだったのだ。


 取りあえず、家に帰ったらジジイが使ってる枕からワタを抜き取って、代わりにいらないメモ紙詰めといてやる。


 エストは気を取り直したように、ジャイアントボアの死体へと近づく。しゃがみ込んで、死体の損傷をざっと確認。


「……この焦げ具合じゃ、毛皮には期待できないわね。二人だけじゃ解体も難しいし……お肉も諦めた方がいいかしらね。まあブルースライムの死体は売れるだろうし、取りあえず魔石だけ回収して後はギルドの人達に任せましょうか」


「だな」


 スライムのゼリーは、薬の材料などに使われる。魔石共々ギルドに引き渡せば、それなりの値段で売れるだろう。


 何にせよ、これで本当にクエスト終了である。


 魔物の死体を一箇所に固めて目印を残し、最後にざっと周囲の安全を確認した

後、俺達はピクシスへの帰路についた。



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