第1話-8.呪いの宝石、夢を見る

 フィオナは大きなパンケーキの上で眠っていた。

 ゴロンと寝返りを打つと、ふわふわが全身のいろいろなところに伝わってくる。

 にへへへー、と笑みがこぼれた。

 とても快適で気持ちがいい。

 私、こんなに幸せでいいのかしら。


「お前にそんな資格はない」


 突然声がした。

 フィオナは驚いて跳ね起きた。

 辺りは暗く何も見えなくなっていた。

 パンケーキも消えている。


「汚らわしい呪いが人間にでもなったつもりなのかしら」


 背後から別の声がした。

 振り返るが何も見えない。

 しかし、視線は感じる。


「貴様、よく笑顔など見せられるものだな」

「人にはあれだけのことをしておいて」

「忌々しい化け物め。お前さえいなければ」


 声とともに気配が増えていく。

 姿は見えないが、あらゆる方向から突き刺さるような視線を感じる。

 体が震え、脂汗が滲んだ。

 自分を取り囲んでいるのが誰なのか、フィオナにはもうわかっていた。

 忘れられるわけがない。

 これまでにフィオナが――『災いを呼ぶ死神の石』が破滅させてきた人間たちの声だ。


 やめて。お願いやめて……。


 フィオナは両耳を塞ぎ、その場にうずくまった。

 しかし声は止まない。それどころかどんどん増え続ける。

 一本の腕が伸びてきてフィオナの肩を掴んだ。

 フィオナは悲鳴を上げてそれを振り払い、その場から逃げ出した。

 自分を捕まえようとする無数の腕を必死にかわして、走って、走って、走り続けて……ふと気が付いて立ち止まると、いつの間にか何の声も聞こえなくなっていた。

 取り囲んでいた気配も消えている。

 フィオナは安堵した。膝に手を当て、肩を上下させながら息を整える。

 そして顔を上げた。


 目の前に死者たちの顔が並び、フィオナをじっと見つめていた。




 フィオナはハッと我に返った。

 全身が汗が滲んでいる。いや、宝石なのだから実際は汗などかかないのだが、それに似た感覚だった。

 嫌な夢だった。だから眠るのは嫌なのだ。

 不安に駆られて周囲を見回す。

 記憶が混濁している。

 ここは一体どこだっただろう。

 ……ああ、そうか。


 ランスターさんの屋敷だ。


 書斎の棚の裏にある隠し部屋の、宝石箱の中。

 人から人へ点々と渡り歩き、辿り着いた先がランスターさんのところだった。

 ランスターさんは森に囲まれた屋敷に一人で暮らしている老人だった。

 どうも私が『災いを呼ぶ死神の石』だとは知らずに私を買ったらしい。

 宝石から現れた私を見てとても驚いていたが、私が呪いのことを説明してもまるで怖がらなかった。

「訳あって、ここでずっと一人で生活していてね。為すべきこと十分にやったから、もう未練もない。私の命で良ければ好きなようにすると良い」

 そう言うとランスターさんは隠し扉を開け、他の貴重品と同じように『災いを呼ぶ死神の石』を隠し部屋の宝石箱の中に入れてしまったのだ。

 それから私はランスターさんと暮らし始めた。

 といっても、数日に一度くらいで宝石から出て、少し話をするだけだった。

 私が宝石を手放すよう説得しようとするのだが、ランスターさんは無関係な世間話を話し始め、ついつい私もそちらに興味を惹かれているうちに肝心の説得はうやむやになってしまう。そんなことの繰り返し。

 私と話をするときのランスターさんは何故か楽しそうだった。

 商人から私を購入するときのやり取りから察するに、恐らくかなり高い地位の人だったのだろう。

 しかし、いろいろな話をしてくれたが、何故か自分の昔のことは一切話さない人だった。

 だから私も尋ねはしなかった。


 数年後にランスターさんは亡くなった。

 定期的に屋敷の様子を見に来ていた使用人たちがランスターさんの遺体を見付け、引き取っていった。

 老衰とのことだったが、きっと私の呪いのせいだったのだと思う。

 私が殺したのだ。


 その後、屋敷は施錠され、そのまま放置された。

 新しい住人がやって来ることはなかった。

 ランスターさん以外は誰も隠し部屋の存在を知らなかったらしく、私を含む貴重品類もそのまま置き去りにされた。


 私はといえば、ずっと宝石の中に引きこもってた。

 宝石の中で目を閉じ、耳を塞いでいた。

 何も考えないようにしていた。

 誰にも気付かれず、ただここに存在するだけ。それだけで十分。

 寂しくないといえば嘘になるが、誰かを不幸にするくらいなら我慢できる。

 呪いの宝石なんて誰にも知られないほうがいい。こうしているのが相応しいのだ。

 あわよくば、この世の終わりまでそうしているつもりだった。



 しかし、気が遠くなるような時が過ぎたころ、突然隠し部屋の扉が開く音がした。

「へえ、こんな部屋まであるのか」

 声がした。当たり前だがランスターさんの声ではなかった。

 誰だろう、と思っていると、私が入れられていた宝石箱の蓋が開いた。

「随分と溜め込んるな。誰が住んでたのか知らないが助かった。それにここなら……」

 宝石箱を覗き込んでいたのは浮浪者のような見た目の男だった。

 どうやらこの屋敷に盗みに入ったらしい。

 浮浪者はブツブツと独り言を呟きながら自分の荷物を床に降ろすと、宝石箱の中からよりにもよって私を選び取り、上機嫌に口笛を吹きながら屋敷を出た。


 私は何も言わなかった。

 言動から察するに、私をどこかへ売りに行くのだろう。

 初めから手放すつもりならばわざわざ姿を見せる必要はない。放っておいていい。

 しかし、これでまた厄介者として転々とする日々に逆戻りか。

 まあ仕方ない。

 宝石に自分の人生を選ぶことなどできないのだから。

 せめてこの浮浪者から私を買い取る愚か者をどうやって驚かしてやるか、演出でも練っておくとしよう。

 浮浪者は何やらしきりに周囲を警戒しながら街の中をうろうろ歩き回った。

 そしてやがて、一軒の小さな質屋を見つけて立ち止まった。


『オーエン質店』


 店の看板にはそう書かれていた。

 浮浪者は店へ歩いて行き、玄関のドアノブに手を掛けた。




 ――気が付くと、フィオナは見覚えのない天井を見上げていた。

 枕代わりにしていたクッションに抱き着きながら寝返りを打ち、ウトウトしながら思考を巡らせる。

 ここ、どこだろう。

 ベッドの上……ああそうか。トワル。新しい私の持ち主の家だ。

「私、あのまま寝ちゃったのね……」

 のそっと体を起こし、んー、と伸びをする。

 室内が微かに明るい。窓から光が差している。ただし日の出からそこまで時間は経っていないようだ。

 よく覚えていないが、何かの夢を見ていた気がする。

 フィオナは身支度をしながらぼんやり考えた。

 夢を見るなんて……というか、これほどまともに眠ったことなんていつ以来だろう。

 宝石の中にいるときは眠ろうなんて気分にすらならなかったのに。

 この御札の影響なのだろうか。

「ていうかこの札、顔洗うのに邪魔ね」

 ひょっとしたら水で濡らせばふやけて剥がれるのでは、と思いついて試してみたが、ベトベトして気持ち悪くなっただけで剥がれも千切れもしなかった。

 やらなきゃよかった、と渋い顔をしながら札のひらひらする部分をタオルで挟んで吸水させる。


 そんな感じで支度を整えると、ようやく頭がスッキリしてきた。

 そして自分でも何故かはわからないが、唐突にこんな考えが頭に浮かんだ。


 私をトワルに売ったあの浮浪者、まだランスターさんの屋敷にいるのではないだろうか。

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