第47話『目醒め、羽搏く』

 魔術旧家からの要請を受け、蛇島司を止めるべく彼との決闘に踏み切った黒乃雪華。


 双方の承諾条件によって、敗れた場合雪華は『生徒会長』辞任、蛇島は学園を去る事となる。強大な影響力を有する両者の戦いが近付くにつれて、学園は異様な空気感に呑み込まれつつあった。




 ◇◇◇




 そして迎えた、決闘当日。


 学園の多くの人間が注目を寄せるその一戦に、闘技場には蒼や如月兄弟といった多くの実力者が姿を見せていた。




 一方で観覧席の一角にて、凄まじい威圧感を放つ集団。その中央に座すのは、蛇島と同様に旧家の人間から恐れられている二人の人物。


「この戦い……どちらが敗けても失う物は大きいだろうな」

「フン……興味が無ェな」


 不良集団『大文字一派』のNo.2である『諸星 敦士』が示した懸念を、獅堂が無関心に一蹴する。彼等の周囲には一年ルーキーながらも名の通った強者である壬生や愛染に斯波・鬼丸といった、錚々たる顔ぶれが揃っていた。




「ただ、この戦いは……どうにも

「…………?」


 その時。退屈そうな表情のまま獅堂が口にした言葉に、諸星は訝し気な目を向けていた。




 ◇◇◇




 闘技場内、武装管理室。


 決闘を行う両生徒の武器が一時的に預けられ、検査されるこの場所は、関係者以外が立ち入る事は不可能である。しかしその一室へと、足を踏み入れる数人の影があった。


「なあ……本当に、やるのか……?」

「当たり前でしょ……今更怖気付いてんじゃないわよ……!!」


 その五人程の人影は、小声で言葉を交わしながら部屋の中を進んで行く。


「こうするしかないんだ……じゃないと、俺達が標的にされる……!!」

「…………そうですね……蛇島君には悪いですけど……」


 そして室内中央のスタンドに立て掛けられた、三つの武装の前で立ち止まった。




 雪華の大鎌と――――蛇島の片手斧と円盾ラウンドシールド


 攻撃反射障壁を展開する蛇島の術式は、盾へと付加する事で最大の効果を発揮する。彼の戦闘能力の根幹を成すその装備ファクターを前にして――――




 ――――五人の生徒達は、魔術を発動しようとしていた。


「いいな…………!!」


 緊張した面持ちで、その内の一人がそう口にする。






 しかし。




「――――っ……あのさ……!!」


 魔術の発動直前に、別の少年が声を上げた。




「やっぱ……やめねーか?」

「ッ、アンタね……この期に及んでまだ……!!」

「分かってる。分かってるよ…………けどさ」


 その制止の声に少女は苛立ちを見せるが、少年は微かに笑ったまま続ける。




「蛇島は、いい奴だからさ。……俺らなんかの為に怒ってくれるような奴は、そうそう居ないだろ?」


 彼が零したその言葉の中には、確かな尊敬の念があった。


「あいつみたいな人間にこそ……ちゃんと、魔術師になってほしい。その方がきっと、良い未来に繋がる気がする」

「……ま、確かに……このやり方は流石に間違ってるわな……」

「正直、彼を裏切ると後が怖いですもんね」


 そう言うと周囲の少年や少女達は、緊張の糸が切れたように魔術の発動体制を解いていく。そして最後の一人となった少女も、長い溜息の後に憮然とした表情で手を下ろし背を向けた。




「……これで全員、高校中退……晴れて経歴キャリアに傷入りってワケね。上等よ……!!」

「ハハ、編入先探さねーとな〜」


 内容に似つかわしくない明るい口調で言葉を交わしながら、彼等は揃って部屋から退室して行く。




 遠ざかっていく足音。その通路の曲がり角の陰で――――蛇島が一人、煙草を燻らせていた。




 ◇◇◇




 そして。


 闘技場にて、雪華の前に姿を現した蛇島。しかし――――




「…………どうして……?」


 ゲートを潜って来た彼の手にあったのは、一振りの片手斧。


 何故最も重要な武装である筈の、『盾』を持たずにこの場に現れたのか。しかし蛇島がその理由について、口を開く事は無かった。




 そして、激闘の末に――――






 ――――蛇島は、雪華に敗れた。




 ◇◇◇




 蛇島を破り彼に代わる新たな『三強』へと台頭した雪華は、生徒会連合という一大勢力の絶対的トップとして君臨し、蒼や獅堂以上の影響力を有する事となる。




 その数日後。




 蛇島司による、他生徒への暴行事件が発生した。




 ◇◇◇




「クソッ、巫山戯るなよ!!」

「漸く排除出来たかと思えば……あの小僧、一体どういうつもりだ……!?」


 魔術旧家の男達が憤慨していたのは、彼等の子息に対し蛇島が起こした暴行事件について。


 雪華を動かし決闘によって彼を退学に追い込む事に成功したものの、ここまで直接的な報復に打って出る事は男達にとっても想定外であった。




「いずれにせよ……奴はもう終わりだ。これまで我々に楯突いて来た事、存分に後悔してもらおうではないか……!!」


 しかし自ら東帝を去る事を選んだ蛇島には今、バックに付いているコミュニティが存在しない。旧家の権力を用いれば、捻り潰す事など造作も無かった。




 その時。


「や、どーもどーも。中々物騒な相談をされてるようで……」

「ッ、貴様……!?」


 密談に割り込むように、突如その部屋に入室して来た一人の人物。


 日本国内で三人のみであるS級魔術師ランカーウィザードであり、魔術界に彼を知らない人間はいない。現在は東帝で教師も務めているその青年、『桐谷 恭夜』の登場に男達は動揺を見せる。


「桐谷……貴様此処へ何をしに来た……!?」

「お、それ聞いちゃう?まァ俺もヒマじゃねーからな、サクっと本題行こうか」


 そう返した恭夜は、徐ろに懐から何かを取り出した。その手にあったのは、一つのボイスレコーダー。




『――――盾さえ無ければ、奴の強さは半減する。キミ達がやるべき事は……分かるな?』

『っ……けど……』

『ま、断ってもらっても構わないけど……もしあのクズを庇うと言うのなら、君らの居場所は保障しかねるね。簡単な話だろう?』


 そこから聞こえて来たのは、男達の子息である数人の生徒の声。その内容は誰が聞いても明らかな、旧家の人間による一般生徒への『脅迫』だった。


『一度しか言わないよ。……奴の盾を、破壊しろ』


 自分達の子供の声を、聞き間違う筈も無い。捏造だ、などという弁明は無意味だろう。




「いやァ、俺の教え子は優秀でね。んだが、煙の立ちそうなトコにはしっかりアンテナ張ってんだわ」


 生徒会副会長である"あの男"に目論見を暴かれていた事を知り、その場の誰もが血の気が引いた表情で押し黙る。




「つってもまー、アイツの素行にもちーっとばかし問題はあったと思うんですよ、ハイ。だから今回は、お互いしばらく停学っつーコトで手打ちにしときませんかね?」


 しかし恭夜はあくまで双方に非があると認めた上で、彼等が面子を保つ為に譲歩可能なギリギリの条件ラインを提示してきた。


 主導権は恭夜が握っており、状況は完全に支配されている。『最強の魔術師』と謳われるこの男の提案を、彼等が拒否出来る道理は無かった。






「……余計な真似を……」


 部屋から退室しようとしていた恭夜だったが、背後で男達が吐き捨てた忌々し気な呟きにふと足を止める。




「――――何かカン違いしてるみてェだから、教えといてやろうか」


 振り返った恭夜は、笑みを浮かべつつ滔々と語り出した。


東帝ウチの生徒はこの国の未来を担う人材であって、テメェらの足の引っ張り合いの為の道具じゃねェんだよ。雪華をトップに担ぎ上げたのも、メリットがあったから見逃しただけだ。まァ実際アイツには人を束ねる『適性』もあった……ただ、司を勝手な都合で弾き出そうとしたコトについては別の話だ。俺の教育しごとの……邪魔してんじゃねェぞコラ」


 その口元とは裏腹に、サングラス越しからは剣呑な眼光が向けられる。全身が粟立つような圧力に当てられ、男達は慄然とした表情のまま硬直していた。


「それからな……テメェらのクソガキ共がデケェ面して好き勝手やれてんのは、澄香さんの温情気紛れで許されてるからってコト忘れんな。俺はあのひとほど甘くねェぞ」


 そして恭夜は恐ろしく冷淡な声音で、その場の全員を見下ろしながら最後の言葉を言い残す。




「今度またナメた真似してみろ。……一族郎党、まとめて潰してやっからな」




 ◇◇◇




「――――結局アンタ、『盾』は使わなかったのね。あの子達は壊さなかったのに」


 夕暮れ時の校舎裏に座り込み、一人煙草を吸っていた蛇島。彼に声を掛けたのは、白衣を纏い眼鏡を掛けた女性教師、『冴羽 怜』だった。


「一本寄越せ。火も」

「…………」


 特に咎める様子も無くそう要求して来た彼女に、蛇島は無言でライターと煙草の箱を投げ渡す。受け取ってその中から一本取り出した冴羽は、火を着けると彼から少し離れた場所に腰を下ろした。




「言っとくけど……退学については受諾しないわよ。アンタみたいなロクでなしの役満ボンクラでも、貴重な人材は逃さないってのが東帝ウチ方針スタンスだから」

「…………」

「余計なコトしやがって、とでも言いたげね。アンタだって"遊び場"が無くなるのは不本意でしょーが。つーか今回は久々に恭夜と大和さんが結構キレてたもんねー、今頃旧家クズ連中はビビり散らしてると思うと良い気味だわ」


 沈黙したままの蛇島の心中を察しながら、愉快そうに笑みを零す冴羽。


 雪華に敗れた彼は自らの宣言通り東帝を去ろうとしていたが、その意向を学園が受け入れる事は無かった。しかし旧家の生徒による不当な介入が行われたアンフェアな決闘の結果と言えど、敗北の事実が消える事は無い。一連の事態が収束して尚、蛇島は鬱屈とした感情を持て余していた。




「気に食わないなら……もっと強くなる事ね。仲間の立場だけじゃなく、自分の面子も守れるくらいに」

「…………るっせェな……言われなくても解ってんだよクソババア」

「ハハ、まだ減らず口叩けるだけの余裕はあるみたいで安心したわ」


 しかし冴羽の焚き付けるような言葉に、蛇島がここに来て初めて口を開く。その苛立たし気な声を聞きながら、冴羽は微かに笑みを浮かべていた。


「まーでもアタシは、アンタが人並みの情を持ってた事にちょっと驚いた。……見直したわよ」

「あ……?」


 腰を上げた彼女は、そう言い残し蛇島に背を向け歩き出す。




「それは甘さなんかじゃない……強さよ。胸張んなさい」




 遠ざかって行く冴羽の背中。陽が沈みつつある空へと、静かに長く煙を吐き出した。




「…………クソッタレが……」




 ◇◇◇




 そして――――




「成程な……つまり司にとっちゃこの勝負は、雪華さんとの再戦リベンジマッチってワケか」


 一年前に端を発する彼等の確執を未来の口から聞かされた日向は、この戦いが持つ『意味』を理解していた。医務室のモニターには依然として、フィールドにて激戦を繰り広げる雪華と蛇様の姿が映し出されている。






 氷属性範囲術式


『コールドフォース』


 雪華の膨大な魔力から変換された、爆発的な冷気の波動。空間を覆うように襲い来る氷属性の魔力を、蛇島は強烈な魔力斬撃で砕き散らす。


 反射盾シールドによる防御の弱点であった範囲攻撃を、蛇島は更なる攻撃迎撃能力の強化によって克服していた。


 攻守反転を防ぐべく氷の連弾によって追撃を仕掛ける雪華だったが、蛇島は戦場フィールドを跳ね回るように疾走しその尽くを躱し切る。


 以前と同様に戦型スタイルは攻撃的であるものの、彼が得ていた"経験"はその戦闘能力に『合理性』と『戦略性』を齎していた。


 しかし理論と根拠を有した戦略的な戦闘スタイルは、より優れた知力を持つ雪華に対しては予測と対応の余地を与える事にも繋がる。


 現に蛇島の攻撃よりも、雪華の防御の方が一手早い。


 次々と撃ち放たれる斬撃を、先回りするように展開された氷壁が防ぎ止める。しかし霧散し煙と化した魔力が、雪華の視界を塞いだ僅か一瞬。


 次の瞬間には、上空へと跳躍した蛇島が渾身の一撃を振り下ろしていた。




 そしてやはり雪華もまた、それより速く反撃の術式を繰り出している。


氷属性魔力×形成術式


『アイシクルバレット』


 理論と技術に裏打ちされた、正確無比かつ無駄の無い一手。同時に彼女は思い出していた。




 ――――『非合理』にこそ愉悦を見出す、蛇島司の"戦闘狂"としての本質を。




 蛇島は振り下ろした筈の刃を引き寄せキャンセルし円盾ラウンドシールドを突き出していた。


 一瞬でもタイミングを見誤れば、勝負を決し兼ねないギャンブルめいた判断によるその戦闘行動はーーーー結果として雪華の魔力弾に対する、完全なカウンターとして機能していた。


 反射術式によって跳ね返された氷の弾丸は、凄まじい速度で雪華へと叩き込まれ彼女の身体を防御魔術諸共吹き飛ばす。辛うじて急所への被弾を防ぎながら体勢を立て直すが、それまでに蓄積していたダメージは雪華の動きを着実に鈍らせていた。




 着地し片手斧を担ぎ上げた蛇島は、首元から流れる一筋の血を拭う雪華と睨み合う。戦況は鬩ぎ合い拮抗しているように見えるが、連続攻撃によって雪華の反撃をも押し込みつつある蛇島が僅かに優勢とも見て取れた。




 その時。




「一つ…………訊いてもいい?」

「…………あ……?」


 戦闘の最中にも関わらず、唐突にそう切り出した雪華へと胡乱気な目を向ける蛇島。この状況で問いを投げ掛けるなど、正気の沙汰ではない事を彼女自身も理解していた。




「天堂君や大文字君に有って……私には何が足りないと思う?あの二人に追い付く為に、何が必要なのか……考えてみても、分からなくてね」


 同じ『三強』などと目されてはいるが、今の自分は蒼や獅堂よりも"弱い"。雪華が彼等に対し明確に遅れを取っている『戦闘能力』は、現代魔術師にとって最も重んじられているステータスの一つである。


 しかし自覚しているだけでは、その力量差は決して埋まらない。




「――――……前提がそもそも間違ってんな。


 そんな彼女へと蛇島が返したのは、意外にも真っ当な見識だった。


「"持ってる"のはアイツらじゃねェ。お前の方だろ。……下らねェ」

「っ…………」


 一度決別した関係性だからこそ、敵対しつつもフラットな視点から『黒乃雪華』という魔術師人間を傍観し理解している部分があった。


「その程度の事も自覚出来ねェなら……この先オマエがアイツらに勝つ事は無ェよ」


 その言葉を最後に、蛇島は武装へと魔力を収束させ攻撃体勢に入る。撃ち出されるのは、これまでの術式とは一線を画す速度と威力の斬撃。




無属性攻撃術式


斬首スキャッフォルド断刃スラッシュ




 迫り来る一撃を前にして、雪華の脳裏を数多の経験が巡っていく。


 学園を束ねる者の責務として、総てに於いて傑れ、秀でていなければならないと考えていた。立場は雪華を確かに強くした――――しかし同時にそれは、己を封じる『枷』となっていたのではないか?


 疑念と共に彼女が思い起こしていたのは、亜門に勝利した日向の姿。


 天を仰ぎ笑う彼の姿は、蒼や獅堂と同じ"強さ"を追い求め"勝利"を渇望する人間の在り方だった。




 戦いを愉しむ事など、許されないと思っていた。しかし優秀な後継は、着実に育ちつつある。ハル、絵恋、そして『神童』と謳われる少女。


 蛇島がしがらみと断じたこの繋がりを捨てる事が、彼女自身に何を齎すのかは分からない。それでも次の世代を信じ、託さなければ――――自分は先へと進めない。そう本能で、理解していた。






 一秒にも満たない思考。過ぎ去る瞬間。




 氷属性魔力×強化術式


氷撃脚アイシクルレッグ


 刹那。氷を纏い繰り出された雪華の蹴撃が、魔力斬撃を撃ち上げ吹き飛ばした。






「確かに――――もう、任せていい頃なのかもしれない」


 蹴り上げた左脚を引き下ろしながら嗤う雪華の表情には、今や一片の迷いも見えない。




「やっと……自分に我儘になるってワケね……」


 その戦いを観ていた千聖もまた、静かに、しかし楽し気に笑っている。





「ありがとう、蛇島君。私は…………私の為だけに、戦うわ」


 蛇島と相対する彼女のその背中には、氷属性の力とは異なるもう一つの『翼』が揺らめいていた。




 訪れる、覚醒の刻。


 孵化した一人の魔術師は――――羽搏き、翔び立つ。



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