冷凍マンモス殺人事件
みよしじゅんいち
前編
ロシア。シベリア地方南部の都市イルクーツクから、カーゴトラックで西へ5時間。モンゴル国境に近い東サヤン山脈の麓の雪原で、トナカイの群れが視界に入った。ディレクター兼カメラマンの本田純がカメラを回す。僕はビーフジャーキーを食べながら「発掘現場はまだ遠いんですか」と、通訳兼ドライバーのリュドミラ・フォーミンに尋ねる。彼女は前を見たまま「もうすぐだ」と言う。赤いフレームの眼鏡。どことなく横顔が日本人に似ている。日本人のルーツのひとつがこの地方にあることと何か関係があるのだろうか。「トナカイを追うならハンターの流れ弾に気を付けた方がいい」表情を変えずに彼女は言う。
トナカイはいつの間にかいなくなり、気が付けば目前に重機が並ぶ大規模な掘削現場が広がっていた。トレーラーハウスの脇にトラックが停まる。「浅野くん、準備はいいかな?」本田ディレクターの声に「いつでもどうぞ」と笑顔でうなずき、僕は肩と首をひねってストレッチする。
「ズドラーストヴィーチェ。こんにちは」後ろから銀髪サングラスの男に声を掛けられて僕の体勢が崩れる。「プロジェクトリーダーのブリュハノフです」がっしりした太い腕を差し出す。
「はじめまして」本田が握手をする。「MHK取材班の本田です。日本語お上手ですね」
「前のリーダーに鍛えられました」
「ええと、フォーミンさん。通訳をお願いできる?」
「はい」
既にメールで伝えてあった、特別番組「よみがえるマンモス(仮)」のコンセプトを本田はマンモス復活プロジェクトのリーダー、古生物学者のアレクサンドル・ブリュハノフに要領よく伝え直す。この番組にとって、発掘作業の撮影は山場になるはずだった。「浅野くんも挨拶」と促され「どうも、浅野宗介です。役者やってます」と頭を下げる。
「いま、道中でトナカイの群れに出くわしました。この辺りよく出るんですか?」
「滅多に見られない。もしかしたら、彼も近くに来ているかもしれないな」
「彼?」
「ああ、マンモスハンターさ。彼の本業はトナカイ猟師なんだが、ずいぶん前にワシントン条約で象牙の貿易が禁止されただろう? あれでマンモスの牙がいい商売になったらしい。どっちが本業か分からんくらい儲かるって話だ」
「そんな人がいるんですね」色んな生き方があるものだと感心する。
「鼻が利くのさ。本当を言えば、この場所も彼に教えて貰ったんだ」
「浅野くーん。発掘現場の取材するよ」本田が大きな機械を指して手招きしている。金田一小五郎なら、と僕は考える。前に出演したドラマで当たり役だった、探偵の金田一小五郎なら、あれが何の機械か推理してみせるところなのだが、レポーター役の今日の僕には見当がつかない。素直にブリュハノフに訊くことにした。
「何ですか、あの機械?」
「あれは熱線装置だよ。凍てついたツンドラの地面は、掘るとすぐ永久凍土にぶち当たる。だから、昔は川のそばじゃないとマンモスの発掘はできなかった。それを解決してくれたのがこの装置さ。見ててごらん」
ブリュハノフが装置を触ると地面の付近が赤熱して、凍土を融かし始めた。
「すごい威力ですね」技術の進歩に心が躍る。
「ただ、やりすぎるとマンモスが焦げるので注意が必要だ」
「ブリュハノフ」またも後ろから声を掛けられる。猟銃を背負っているところを見ると、彼が噂のマンモスハンターのようだ。何事かブリュハノフに耳打ちしている。
「移動しましょう。状態のよさそうなマンモスの牙があっちで見つかったらしい」
熱線装置をトラックに乗せて移動していくと、確かに地面から牙が生えていた。発掘作業の撮影が始まる。僕がそれらしくレポートする中、どんどん掘り起こされていく。マンモスハンターはどこか遠くの雲を双眼鏡で見定めているようだった。やがてマンモスの肌が湯気を立てているのが見え始める。
「これ、触っても大丈夫ですか、ブリュハノフさん」
「もちろん」
「なんだかビーフジャーキーみたいな質感ですね」
「なかなか筋がいいな。前のリーダーはクローンの元となる細胞核を冷凍マンモスから取り出す本番に備えて、ビーフジャーキーでトレーニングを積んだそうだよ」
「そうでしたか。それで実験は上手く行ったんですか?」ひょんなことでほめられて僕は上機嫌になる。
「ははは。そのとき上手く行ってたら、我々は今ごろここでこうしていないさ。ただ、そういえば。10年前の実験、失敗じゃなくて盗まれたって噂がある——」
「ん、んんっ。浅野くん」本田が咳ばらいをする。「脱線してるよー。ちゃんと古代のロマンを掘り下げようね」
冷凍マンモスの全体像が見えてきた。体高4mくらいの大人のマンモスで全身がミイラ化している。
「かなり状態がいい。クローンにも期待が持てそうだ」とブリュハノフが言う。
しかし、初めて見るその姿は異様で、どこか少し不自然な印象があった。
「あの、お腹がかなり大きいみたいですが、妊娠しているんでしょうか?」
「さあ、何だろう。あとでCTにかけてみないと何とも言えないな」
「あと、おでこの所の傷、どうも銃創みたいに見えるんですが」
「いやいや、浅野くん。銃創はないでしょう、銃創は」本田がカメラの脇から口を挟む。「古代人が戦ったんでしょう、槍の傷痕じゃないの?」
「なるほど。槍ですか」
「いずれにしても分析が先だな。少し時間がかかるから、みなさんはトレーラーハウスで休んでいてください」
「そうですね。じゃあ、お言葉に甘えましょう。寒くなってきました」本田が言う通り、さっきから雪がちらつき始めていた。
「予報だと今夜は吹雪になるみたいだから、発掘の方も大急ぎで片付けますよ」
トレーラーハウスの中は分析機器と書類が散在していて、雑然とした様子だった。お邪魔しますと声を掛ける。一足先にマンモスハンターが中にいて、中央のテーブルで悠然とホットミルクを飲んでいたが、我々は無視を決め込まれているようだった。部屋の奥でごそごそしていた丸顔の人が出てきて、柔和な声で「どなたですか?」と尋ねられた。
「MHK取材班の者です」
「ああ、聞いてます。どうぞ中へ。考古学者のレオニード・シチェルビナです」と日本語で握手を求められて、立ち位置的に僕が代表して握手することになった。「役者の浅野宗介です」
「散らかっていてすみません。前のリーダーの荷物の整理もできていなんです。この棚の書類全部整理しないといけなくて」スポーツ刈りの頭を掻きながら申し訳なさそうにしている。
「いや、ペチカがあるだけありがたいです。しかし、このチームは日本語が得意な人が多いですね。フォーミンさん、あんまり出番ないかも——」
そう言い掛けたとき、マンモスハンターが無言で立ち上がった。迫力に気おされていると、彼はどこかイライラしているような調子で入り口まで歩き、ドアの窓から双眼鏡で遠くを覗くようにした。かと思うと、またテーブルに戻って鼻を鳴らし、ミルクを飲み干した。マグカップがテーブルに置かれて鈍い音を立てる。そのとき「痛っ」と声がした。通訳のフォーミンが何かの機械に躓いて尻もちをついていた。「あんまり、うろうろしない方がよさそうだね」と本田が言う。
「シチェルビナさん、日本語はどこで覚えられたんですか?」
「20年ほど前に日本に留学していました」
棚の難しそうな書類の束の中に、カラフルなチラシがあったので何気なく手にしてみると、マンモスと雪男の絵が描いてあった。
「これ、何でしょう?」
「はい? ああ、サーカスのチラシですね。1か月ほど前にやってたんです。マンモス VS 雪男とか何とか」
チラシの裏には女性の写真が載っていた。どこかで見たような顔だなと思ったけれど、誰だかは思い出せなかった。ただのデジャビュかもしれない。
「そういえば、前のリーダーさんって、どんな方だったんですか?」
「野心家でした。目的のためなら手段を選ばないって感じの。でも、1か月前に失踪しちゃったんです。五十嵐庄一さんって名前でした。——ブリュハノフさんは元々サブリーダーだったから、引継ぎだとかはそんなに心配なかったんですが」
「え。ああ、日本人だったんですね。そういえば、ブリュハノフさん、前のリーダーに日本語を鍛えられたって言っていました」
「はい。五十嵐さんもブリュハノフさんと同じ、古生物学者でした」
「ところで彼とは長い付き合いなのですか?」とマンモスハンターのいる方におそるおそる視線を送る。
「いえ、そうでもないですね。ここの発掘現場の紹介で縁ができたようです」
そのときトレーラーハウスのドアが開いて、ブリュハノフが姿を現した。ドアの隙間から雪と風が吹き込んでくる。
「あ、どうも。お帰りなさい」
「思ったより吹雪が激しい。ホワイトアウト寸前だ」
「お疲れさまです」
「ちょっとそこどいてくれるか。こいつを分析したい」
ブリュハノフが検体を装置にかける。
「この装置は?」
「マンモスがいつ頃死んだのか。年代を調べるんだ。炭素14年代測定法って聞いたことあるか」
「炭素14」
「放射性の炭素さ。自然界に存在する割合はほぼ一定だが、死んで代謝がなくなると崩壊して減っていく。どれだけ残っているかでいつ頃死んだかが分かる。むかしは崩壊時のベータ線を測ってたから時間がかかったが、この装置ならすぐに結果が出るんだ——と、約2万年前だな」
「2万年前のマンモスですか」
「ああ、しかもだ。さっきCTに掛けたんだが、腹の中には古代人が一人まるごと入っている」
「ええっ!? マンモスは人を食べたりしませんよね?」
「ああ。草食だからな。シチェルビナ、意見を聞かせて貰えるか?」
「おお、なんだなんだ」本田が興奮気味につぶやく。「すごいじゃないか。これぞ太古のロマン、古代のミステリー——」
「——もし本当だとすると」シチェルビナが重たい口を開く。「これは古代史がひっくり返る大発見になるかもしれない」
「というと」
「はっきりとは分からないが、マンモス葬っていう可能性がある。たとえば、こうしておけば遠い未来に死者が蘇ると考えた。エジプトのミイラみたいな発想だが、それより1万年以上早い」
「こりゃ盛り上がるぞ。特番だけで済ませるのは勿体ないな。報道した方がいい」本田の目が燃えている。
「今は吹雪いているから撮影は無理だな。今日はここへ泊って明日出直すべきだ」ブリュハノフが冷静に告げる。
「あの、ちょっと待ってもらえますか——」何かがおかしい。めまいの中で今日の出来事が次々とフラッシュバックし、僕の中の金田一小五郎が目を覚ます。僕は霊感に打たれたようになる。「みなさん、聞いてください。これは殺人事件です!」
「殺人事件? なるほど。まあ、古代にも殺人はあったのかもしれないね」落ち着いた声でシチェルビナが言う。
「ほう。根拠は何だい、浅野くん?」本田が僕に絡んでくる。
「しかも、犯人はこの中にいます」僕は緊張しながら部屋の中を見渡す。
「わはは。浅野くん、探偵ドラマに出たことがあるからって、ちょっとそれはないんじゃないのかい。タイムマシーンでも使ったっていうの?」
「いいえ」
「じゃ、あれじゃないかな。ほら、超古代文明のマンモス型生命維持装置によって、さっきまで古代人が生きてたっていう。そういうその、オカルト的な何か―—」頼むから、少し黙っていて欲しい。
「そういうのでもありません。僕の推理を聞いてください」
本田があきれ顔で肩をすくめる。
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