世の中には触れてはならない世界がある…
「………ふー、ふーう……」
とある伯爵は、妻に目を向け首を振った。
今、彼の妻は痩身に効果があるという薬草茶を飲んでいる最中である。
その効果は、少し前まで『肉饅頭』と呼ばれていた皇弟殿下が半分以上も細くなるという奇跡を起こして見せたのだ。
それを見た夫人は、飛びついた。
彼の妻はぽっちゃりしているのを気にしていたからだ。
別段、ぽっちゃりでもいいではないか。
己自身もポッテリした腹を持つ伯爵は、そう思いながら目の前の妻の顔を見た。
怖い……………。
それしか言葉に出来ない表情である。
白い肌を青白く変え、榛色の瞳は血走っている。
肩で息をしながら、ボタボタと汗を流す頬には、明るい茶色の髪が張り付いていた。
そんな状態になりながらも、彼女は
「…マギー。無理なら飲める薄さから始めた方が良いと言われたのだろう?そんなに辛いのなら、倍に薄めてはどうだい?」
妻をーーついでに自分の精神状態もー案じ、伯爵は優しい声で語りかけた。
「………旦那様。旦那様は黙っていて下さいませ。これはアタクシの意地というものなのですから…」
ギロリと親の仇を見るような視線を向けられ、伯爵は説得を諦めた。
「……そうかい。無理はするんじゃないよ?」
これ以上は意固地にさせるだけだと、伯爵は部屋を後にした。
食堂では目の前に並べられた食事の量に悲しくなった。
「あたくしは美のためにですが、旦那様は健康のために必要なのですわ!!」
そう言って叫ぶ妻に、料理長が負けた……。
食卓から肉が減り、野菜が増えた。
ちなみに、量も半分にされている。
「……マギー。もう少しだけ量を増やせないかね?」
毎日毎日、物足りない気分で過ごしている。
いや、最初は妻だけだったのだが、恨めしそうに、獲物を狙う捕食者のような目で、妻に見られながら食べるのは、精神的に堪えた。
だから、平等にしようと同じ食事内容にしたのだが、まさか量まで同じにされるとは思わなかった。
おかげで伯爵は、貴族なのに飢えることの辛さを少し知った。
孤児院や浮浪者への配給は、次からもう少し増やしてあげようと思ったほどである。
そうして、減らされた食事と心労により、彼のポッテリしていた腹は引っ込んだが、頭のてっぺんが薄くなってきた。ついでに、胃がキリキリと痛むことも増えた。
社交で集まった場所では、似たような男達が増えていて、皆が皆、疲れていた。
美を追求する女達に口を挟んではいけない……。
彼らは皆、等しく同じ想いを抱いていた。
そして、彼らは皆、妻達の姿に体調を崩した。
ある者は頭皮が悲しいことになり、またある者は家に帰ろうとすると胃がキリキリと痛むようになった。
そんな彼らに、ある日。どこからか届け物が送られてきた。
差出人不明の怪しい物ではあったが、事前にとある噂を聞いていた彼らは、有難くそれを使用した。
とある薬師が、妻達を見守る夫達を不憫に思い、それぞれの体調にあった薬を送り付けてきている。と。
その品にはある特徴があり、それを真似する事が出来る者がいないということで、それを確認した後、彼らは薬の効果に救われていった。
夫達が薬の効果に安堵した頃、それぞれの妻達にも効果が現れ始めた。
明らかに目に見え始めた効果に、妻達の機嫌は良くなり、ついでに付き合わされていた夫達も食生活が改善された為か、それなりに見え良い姿へと変わっていく。
一年が過ぎる頃には、帝国内は見映えの良い貴族が増えた。
彼らの多くは夫婦円満で仲睦まじかった。
それ以降の帝国は、【美の国】と呼ばれ始める程に、健康で美しい者達が溢れることとなっていったーーーー。
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