第27話

「おい。そこの凡愚な女」


 凡愚な女? 誰のことかしら——わたくし、『バタールの魔女』と呼ばれるくらい優秀な魔法師ですから、凡愚ではないわね。きっと他の誰かのことだわ。


「おい!」


「オイさーん! 呼ばれてますよォー!」


「だからお前のことだ! ブリジット・ヒューストン!」


 なんだ、わたくしのことでしたの?


「はい。わたくしがブリジット・ヒューストンでございますが、何様でいらっしゃいますか?」


 顔を見た瞬間にわかる。髪の色、瞳の色、顔かたちに至るまでエイプリル王妃殿下によく似ている。ご尊顔を拝見するのは初めてだけれど、この方がセオフィラス第一王子殿下だろう。


「貴様、おちょくっているのか」


「おちょくるだなんて、とんでもないことでございますわ。初対面の令嬢をさして、凡愚呼ばわりだとか、『おい』呼ばわりだとか下町の庶民の殿方のような呼びつけ方をなさるから、それなりの対応を取らせていただいただけにございます。——それで、あなたはどこのどちら様で、わたくしに何用でございますの? 実はわたくし今夜、ある殿方から熱烈なアプローチを受けておりまして、お答えを返さなくてはいけないのです。それだけで頭と胸がいっぱいでして、初対面の令嬢を凡愚呼ばわりする礼儀知らずなお方、略して凡愚な方とお話をしている余裕がございませんの」


「誰が凡愚だッ!」


「凡愚だなどとは申しておりませんわ。『初対面の令嬢を凡愚呼ばわりする礼儀知らずお方』と言うのは面倒なので、凡愚な方とお呼びしているだけではございませんか。ああ、あなた様の理解力のなさがあらぬ誤解を生んでしまいました……なんと悲しいことでございましょう」


 わたくしは扇で口元を隠して、悲しげな表情を作って見せる。


「でもわたくしはあきらめません! あなた様のご理解が得られる日まで呼び続けます! 凡愚な方、と!」


「やっぱりバカにしているだろう、お前!」


 そんなやり取りを凡愚な方(推定セオフィラス殿下)としていると、ヴァネッサが視界の端に入る。


 その唇がこのように動く。


『や・っ・て・お・し・ま・い』


 わたくしは、ヴァネッサに向けて力強くサムズアップした。ヴァネッサはなんか首を激しく横に振っているけど、きっとあれは喜びと激励の仕草ね!


「それでわたくしに何か御用ですの? セオフィラス殿下」


「お前、やっぱり知っていたではないか!」


「それはそうですわ。だってあなたエイプリル王妃殿下にそっくりですもの」


「そう、そうだ! 貴様、母上を侮辱しただろう!」


 セオフィラス殿下の言葉に、わたくしは首を傾げる。


「侮辱などした覚えがございませんが——ただ厳然とした事実を並べて差し上げただけです。だって、エイプリル『第二』王妃殿下が王国に何ら貢献していないことは事実でございましょう? 社交には熱心でいらっしゃるようですが、他国語はロクに扱えないため外交はできない、慈善活動は行わない、その割に宝石やドレスを買い漁って国庫を食い荒らし、御子の教育にも失敗していらっしゃる。この事実の羅列を侮辱とおっしゃるのなら、エイプリル王妃殿下の王国への貢献を指摘していただけますかしら?」


 何も言い返す様子のないセオフィラス殿下に、わたくしは追い打ちをかける。


「で?」


「で、って……」


「あなた様のおっしゃる凡愚な女に言い返すことすらできもしないセオフィラス第一王子殿下? ご用件はそれだけですか? 大切な婚約者を放り出して他の令嬢の元に来たのですから、よほど重要なご用件がおありだと思ったのですが」


 さすがに怒られるかなーと思いつつ、ちらっと一番高い席に座っておられる国王陛下の方に視線を向ける。


 めっちゃ笑い堪えてらっしゃるじゃん。


「ああ、でも——わたくしには大事な用件がございましたわ」


 扇で口元を隠したまま、わたくしは目を眇めてセオフィラス殿下の目を見据える。


「あなた様の婚約者であり、わたくしにとり掛け替えのない友人であるヴァネッサ・ウィリアムズ嬢のことですわ。研究と勉学に忙しいヴァネッサ嬢をやれ茶会だ、やれ夜会だと社交の場に連れまわし、その癖一切口を利くななどと厳しく言いつけ、不満があれば怒鳴りつけるなど、随分丁重な扱いをなさっているそうですわね」


 わたくしの言葉に、セオフィラス殿下は鼻を鳴らした。


「だからなんだ。俺が俺の婚約者をどう扱おうが、俺の勝手だろう」


「まあ、それ、本気でおっしゃっておられますの?」


 わたくしはわざとらしく驚いた顔を作って見せる。


「ではお尋ねしますが、セオフィラス殿下? あなたは王として何ができますの?」


「は?」


「ええ、ですから。あなたは王として何ができるのか、何をなさるのかを問うておりますの。王権を欲する方ならば、当然どのような治世をこの地に布くのか、展望がおありでいらっしゃいますわよねェ?」


「王は王として君臨する。それ以外に何をする必要がある」


「それはつまり、王様として偉そうにはするけど何もしないという理解でよろしいですかしら?」


「——勝手に解釈しろ」


「はい! かしこまりました! 勝手に解釈いたします!」


 わたくしはぱしんと扇を閉じて、にっこりと満面の笑みを浮かべた。


 そして、力いっぱい息を吸い込む。


「会場のみなさーん! 聞いてくださーい!」


「!?」


「セオフィラス殿下はァ、王権を引き継いでも何もしないしィ! できないんですってェ~~~~ッ!!」


「ちょ、ちょちょちょ、ちょッ、や、やめろ! やめろやめろやめろ! だ、誰がそのようなことを言った!」


 慌ててわたくしの口を塞ごうとするセオフィラス殿下をひょいとかわす。


 セオフィラス殿下はズルっと滑って転んだ。さすがに会場からも失笑が漏れる。


「躱すなァ!」


「好いてもいない殿方に触れさせるほど、わたくしの体は安くありませんの。ねえ、それよりセオフィラス殿下?」


 わたくしは閉じた扇で、セオフィラス殿下の顎をくい、と持ち上げる。


「あなた、自覚していらっしゃるの? そう、例えばジュリアス殿下はグランド・グラ・ユーリエ大橋の建造指揮を任されておいでですけれど、あなた様は国王陛下に何か任されておいでなのかしら?」


「そ、それは……」


「ジュリアス殿下の元には徹夜をしなければならないほど裁可待ちの書類が持ち込まれてくるそうですけれど、あなた様の元にはどれだけの書類が持ち込まれてくるのかしら?」


「う、うう……」


「おわかり? 誰もあなた様の能力になど期待しておりませんのよ? 光属性の魔力がそこそこあったところで戦場に出なければお飾りにすぎませんし、あなた様がなれるのは『王』ではなく『あやつり人形』ですわ。そしてそれすらもディオール公爵家とウィリアムズ公爵家の後ろ盾あってのこと。そしてディオール公爵家の評価は急落し、ウィリアムズ公爵家の息女をあなたは粗雑に扱っておられる。今でこそ公爵閣下も情勢を見守っておられますが、かのお方の宰相としての権力地盤は盤石。あなた様如き、いつでも切り捨てることができるのですよ? この意味するところがわかって?」


「う、うううう……」


「あなた様は道化にすらなれない哀れな飾り物……わたくしがあなたの立場なら、どのように身を振れば良いのか。世を儚んでしまいそうですわ……ああ、本当に、無能な殿方って可哀想……」


 またオーディエンスから「バタールの魔女……」というつぶやきが聞こえたけれど、無視。


 ちらりと視界の端にヴァネッサの姿を移る。その唇の動きを読んでみると——。


『や・る・わ・ね』


 ふふっ、わたくし、やるでしょう。わたくしはヴァネッサに向けて力強く親指を上に向けて立てて見せた。ヴァネッサが首をぶんぶん横に振っているけど、何か言いたいことが他にあるのかしら?


「うわーん! 母上ェーッ!!!」


 あっ、セオフィラス殿下が拳で涙を拭いながらどこかへ走り去ってしまったわ。


 これじゃあダンスが踊れなくなるわね。ヴァネッサにはちょっと悪いことをしてしまったわ。

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