第26話

「ごきげんよう、ブリジット・ヒューストン嬢」


 ヴァネッサやジェフリーと離れて一人になったわたくしに声をかける者がいた。


 強い光属性の魔力を示す金の髪に金色の瞳。けばけばしいゴールドのドレスに、過剰な宝飾品。エイプリル・ディオール・グリトグラ。ディオール公爵家の息女にして第二王妃。——おそらく今もっとも、国王陛下が疎んじているであろう女性。


 セオフィラス殿下がお生まれになったということは、その、つまり——陛下とこの人、やることはやっているのよね。性格の合わない人でも抱けるって、男の人の感覚はよくわからないわ。うーん、高級娼婦のような感覚なのかしらね。王族は後継者を残すためにそういう教育を受けるっていうし。


 ――だとするとジュリアス殿下もそういう教育を受けたのかしら。そう考えるとなんだかもやもやしてきたわ。これって嫉妬、というものかしら。


「顔色が優れないわね。やはりジュリアスとは気が合わないのではなくて?」


「やはり、とは?」


 こんな中味のない女に気圧されるのは癪だ。わたくしは悠然とした笑みを浮かべて、正面からエイプリル殿下に向かい合う。


「ほら、あの子は政務や戦の才はあっても、女嫌いでしょう? どの令嬢と結婚してもうまく行かないのではないかと、義理の母子とはいえ心配なのよ」


 ほお、憎い女の娘をあの子呼ばわり。


 面白い女だ。


「な、何を笑っているの」


 おっと、笑いが外に出ていたらしい。でも仕方ないわよね。


「だってエイプリル殿下がジュリアス殿下のことをさもよくご存じであるかのように仰るんですもの。わたくし、可笑しくてつい」


「な、何が可笑しいと言うの。確かにお腹を痛めて産んだ子供ではないけれど、わたくしはあの子の義母よ!」


 わたくしはこの日のために用意した黒い扇を取り出して、口元を隠してくすくすと嗤う。


「これが可笑しくなくて何が可笑しいと言うのでしょう。エイプリル第二王妃殿下におかれましては、ジュリアス殿下の養育に一切関わっていないのではなくて? まあ貴族の家では育児は乳母が担うものですけれど、それにしても、ねえ? お腹を痛めて産んだ子の出来が悪いからって、出来の良い方の母親面を今更なさるなんて、ふふ。わたくし、滑稽で滑稽で。てっきりディオール公爵領ではそのような冗談が流行っているのかと思って、笑ってしまいましたの。冗談でなかったのならごめんあそばせ? ああ、でも冗談にしても大して面白くありませんでしたけれど」


 わたくしがそう言って目を眇めると、エイプリル王妃殿下の顔が真っ赤になる。


 うふふ。効いてる効いてる。


「いくら侯爵家の娘だからって、不敬よ! 牢に放り込まれたいの!?」


 わたくしは扇を閉じて、ぱしっと自分の掌を叩く。


「ええ、どうぞ! できるものならやってごらんなさい! ですが権威というのは振りかざすべき時に振りかざしてこそ意味があるもの。わたくしに不敬罪を突きつけるのはご勝手ですが、我がヒューストン家もなんの意味もなく侯爵位を授かっているわけではありませんのよ? 無意味に権力を振りかざし、ディオール家よりも長らく王家に忠誠を誓ってきた我が家と明確に敵対したあなたをこの場の皆様方がどうお思いになるのか、見ものでございますわね?」


「こ、この小娘……」


 わなわなと震えるエイプリル王妃殿下を見て、わたくしは再び扇を開き、口元を隠す。


「そもそもエイプリル第二王妃殿下? あなた、王家に嫁して来られてどのような貢献を王国にしてこられましたの? お隠れになった第一王妃殿下は清貧なる暮しを心掛け、王室から充てられた化粧料を慈善事業に回す、とても民思いなお方でしたが、あなたは? まさか。まさか。まさかとは思いますけれど貴族との社交にばかりかまけて、そのように浪費を繰り返し、それで王妃としての務めを果たしているだなんて思っていらっしゃいませんわよね? 強いて言えば王子をが出産なさったことかしら? ですがそれもあなた方の専横が原因で政争のタネになっておりますわよね。そのうえヴァネッサ・ウィリアムズ嬢と御子であるセオフィラス第一王子殿下の不仲は、社交界はおろか庶民にまで知れ渡っている。本来であれば、ヴァネッサ嬢に辛く当たる第一王子殿下をお諫めするのがあなた様の役割でございましょう? それを怠るどころか一緒になってヴァネッサ嬢を叱責する、そんなあなた様を国母として仰ぐ者がどれだけいらっしゃるのかしら?」


 わたくしたちのやり取りを見ていたオーディエンスから「バタールの魔女……」というつぶやきが聞こえたけれど、無視。


「——そのような体たらくだからあなたはいつまで経っても『二番』なのですわ、エイプリル『第二』王妃殿下?」


「こ、こ、こ、こ、この小娘ェーッ!」


 顔を真っ赤にしたエイプリル王妃殿下が掴みかかろうとしてくる。——が様子を見ていた近衛兵に羽交い絞めにされ、取り押さえられる。


 それでもまだじたばたと暴れ回るエイプリル王妃殿下は、近衛兵に拘束され、どこかに連れていかれて行った……。


「おお、怖い怖い」


 わたくしは扇をぱたぱたと揺らし、去っていくエイプリル王妃に軽蔑の目を向けた。


 これでエイプリル王妃の権威はもはやカスほども残るまい。小娘に少しばかり挑発された程度でああなるようでは、どのような教育を受けて来たか、お里が知れるというものだ。


 さて——他に誰か動く方はいらっしゃるかしら?

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