第11話

 紫がかったの金の髪。菫色の瞳。その瞳の奥に、強い意志を宿した眼差し。凛々しく整った鼻梁と眉。形の良い唇。すらりとした上背に、無駄なぜい肉の一切ついていない肉体。


 昼行燈を気取っているとは聞いていたが、実際のところどうなのだろうか。とてもそのようには見えない。


 ジュリアス・クリスティアン・グリトグラ。


 文武両道の誉れ高き王国の星。多くの令嬢を袖にし、無能を気取りながらも国王から多くの政務を押し付け——じゃなかった、任せられている我が国の第二王子である。


 恐れ多くもその第二王子殿下が今、侯爵家の長男と長女であるわたくしたち姉弟と席を囲んでいる。


 大変光栄な状況である。——ここまで王子がわたくしたち姉弟のうきうきデートを覗き見していたという事実さえなければ。


「……」


「……」


「……」


 誰も口を聞かない。王族であるジュリアス殿下が口を開かない限り、身分が下の者が口を開くのはマナー違反であるとされているからだ。


「あの、だな」


 沈黙に耐えかねて、ジュリアス殿下がようやった口を開く。


「その、ジェフリーが休みを取るから理由を聞いたのだ。いつも通り、領地に戻ってヒューストン侯爵に報告に行くのかと。そしたら姉君——闇属性魔法の革命児である『バタールの魔女』と街で買い物だと言うじゃないか。しかも妙に浮ついているし。だからジェフリーの姉がどんな人物か、この目で確かめたくなった」


 バツが悪そうに言うジュリアス殿下。しかし——。


「わたくしに興味がおありなのでしたら、登城するようご下命をくださればよかったのではありませんか?」


 わたくしは反駁する。しかしジュリアス殿下は首を横に振った。


「それはよろしくないんだ。今の情勢で、俺が特定の令嬢に関心を寄せていると知られるのはまずい。もちろん封蝋をしたうえで手紙は出すが――一部の属性の魔法には、封筒を透かして中に書かれた文字を読み取る術があるだろう? だから離れたところから様子を見るに留めるつもりだったんだ。どの道ジェフリー以外の従僕は使えないし、俺も政務を休むつもりだったからな」


「闇よ、深遠に沈みしものよ。音を遮れ。『遮音《サウンド・ウォール》』」


 これ以上は聞かれるとよろしくない話になりそうだと判断したわたくしは、音を遮断する結界を個室に張り巡らせた。


 ジュリアス殿下はいくぶんか緊張が解けた様子で、小さくため息を吐いた。


「――察しがよくて助かる」


「いえ。宮廷はそこまで切羽詰まった状態ですの?」


「ああ」


 ジュリアス殿下は頷くと、苦虫をかみつぶしたような顔になる。


「兄上——セオフィラスのことは知っているな?」


 その言葉に、わたくしは頷く。


「兄上は光属性の魔力持ちで、魔力量も十分ある。ただの魔法師としてなら十分やっていけるだろう。ただ、政務に関しては、ちょっとな。勉強不足というかなんというか、書類仕事が致命的に向いてないんだ。――幼い頃から駄々をこねることが多くて魔法学は、まあどうにか身に着いたようだが、学業や他国語が碌に身に付いていない。グリトグラ語しか話せないんだ、兄上は。そんな人間が王になれると思うか?」


「不敬を承知で申し上げれば、難しいでしょうね」


「常識的に考えれば、そうなんだ。ただウィリアムズ、ディオール両公爵家は自派閥から人材を引っ張ってきて、兄上と義母上の権力を抑え込み、傀儡にして政治を行うつもりらしい。それならまあ、政務自体は滞りなく進むだろうが、両家による専横を他の貴族家が納得するかというと疑問が大きい」


 そこまで言って、ジュリアス殿下は小さく息を吸い込んだ。


「両公爵家がどこまでやるかにもよるが、最悪の場合、クーデターだな」


「では、ジュリアス殿下を立太子なされば済むことではありませんの?」


 わたくしの問いかけに、ジュリアス殿下は首を横に振った。


「そうもいかない。ウィリアムズ公爵を宰相に据えたのは、数少ない父の失策でな。人事権を実質握られて、俺の味方をしてくれる文官がほとんどいないんだ。しかも王族の裁決が必要な書類の八割九割はもちろん、王族の裁決が必要ないものまで俺のところに回してくる。そういうのはジェフリーが突き返してくれるんだが、ジェフリー以外はそこまで頭が回らない。有能な人材は兄上の方に回されている——そしてその有能な人材がほとんど仕事をしない」


 殿下の内心と事情を知っているであろうジェフリーは、黙って話を聞いている。わたくしも口を挟まずに話を聞くことにする。


「つまり兄上の派閥——というか、ディオール・ウィリアムズ派だな。奴らは俺に大量の仕事を押し付けて失態を犯すか潰れるかするのを待っているんだ。父上にしても、俺を強引に立太子できなくもないんだろうが、母上の実家——クリスティアン侯爵……俺の叔父だな。叔父上も代替わりしたばかりで家中をまとめるのに手いっぱいだ。幸い、騎士団や魔法師団の多くは俺を推してくれているからなんとか持っているものの、後ろ盾がない以上、俺が立太子したところで、文官たちが言うことを聞かなければ政治は回らない」


「なるほど。だから能力差が歴然であるのにジュリアス殿下が立太子されないのですね」


「そういうことだ」


 わたくしが納得した様子で答えると、ジュリアス殿下は頷いた。


「――で、それと、今回の覗き見、わたくしの弟のお尻を触ったりだとかメイド服を着せて給仕をさせたりするのとどのような関係が?」


 わたくしが静かに言うと、ジュリアス殿下の肩がびくりと跳ねた。


「ジェ、ジェフ! お前、秘密だって言っただろう!?」


「そうですね。おっしゃっておられました。ただお言葉を返すようで恐縮ですが、僕は『かしこまりました』とは申し上げましたけど、『秘密を守ります』とのお約束はしておりません」


 ジェフリーがぷいとそっぽを向いて詭弁を述べると、ジュリアス殿下があからさまに動揺した様子で言い訳を始めた。


「ははは、拗ねた顔もかわいいなぁジェフリーは……いや、そうではなくてだな。先にも言った通り、俺が特定の令嬢に関心を寄せているなどと言う噂が流れては、色々と問題があるんだ。まず、権力基盤を固めてからでないと、兄上が立太子することになった際の俺の処遇がどうなるかわからないだろう? だが俺は徹夜をすることも多くてな。癒し! そう、癒しが欲しかったんだ!」


「わたくしのかわいい弟のお尻を触るのが癒しだと?」


「そうだ。ちょうど手にしっくりくるサイズ感なんだ」


 真面目な顔して何を言っているんだ、この人。でも——。


「我が弟はかわいいですからね。癒しを求めてついふらふらと引き寄せられてしまう気持ち、よくわかります」


「わからないでください、姉上」


「そう言った事情であれば――『お手付き』にさえしなければ、わたくしとしては何も」


「姉上ェッ!」


 ジェフリーの悲鳴は無視して、わたくしはジュリアス殿下の瞳を真っ直ぐに見つめる。


「それで、ジュリアス殿下から見てわたくしはいかがでしたの?」


 そうお尋ねすると、ジュリアス殿下は何とも言えない顔で頭の後ろを掻いた。


「変わった令嬢だなと思った。服装に疎いと思ったら、宝飾品にはやたら詳しいし」


「わたくしが詳しいのは宝飾品というよりは、鉱物類全般ですわね。魔道具を作る上でどうしても必要になる知識ですから。相場は大体わかりますし、真贋も見抜けますわ。もちろんそれに全部弟に選ばせるというのも、姉として癪だったのもありますけれど」


「なるほど——『バタールの魔女』と呼ばれるわけだ」


 苦笑して見せるジュリアス殿下に、わたくしは眉を顰めて問い返す。


「その……『バタールの魔女』と言うのはなんですの?」


「ん? ジェフリー、説明していないのか?」


 ジュリアス殿下がジェフリーに水を向ける。——これはつまりジェフリーは知っているということね。


 ジェフリーがあからさまにそわそわし始めた。これは言い辛いことなんだろうな……。


「ええと、姉上は社交の場にお出にならないのでご存じないかも知れませんが……」


「いいわ。はっきり仰いなさい」


「姉上は闇属性の魔法を自在に操り、敵対した相手を呪い殺す恐るべき魔法師——つまり魔女であると、ご令嬢がたが噂しているようです。それで『バタールの魔女』……と。元はヴァネッサ嬢が姉上の技術を『天才的』と評したのが始まりのようですが、それに尾ひれ背びれがくっついて、そのような綽名がついたようなのです」


 ヴァネッサが諸悪の根源か! くっ、あの女、その内『ギャフン』と言わせてやるわ!


「それでしたら、扇もドレスも漆黒にした方がよろしいかしら。魔女らしくて」


「後生ですからやめてください姉上」


「おほほほ、冗談よ」


「姉上が言うと冗談に聞こえないのです」


「でも漆黒の扇はアイテムとしてありね。メグ、手配して置いてね」


「御意に」


「姉上ェッ!」


 そんなわたくしたちのやり取りをジュリアス殿下はぽかんと眺めていたが、やがてくつくつと笑い始めた。


「本当に愉快だ——仲が良いのだな、君たちは」


「そんなことありません」


 頬を膨らませるジェフリー。あらあら、そんな顔してもますますかわいいだけよ?


「ええ、我が家は上位貴族としては、かなり仲の良い方でしょうね。跡目争いなんかもございませんし、その跡目であるジェフリーもご存じの通り優秀ですもの」


 わたくしが自慢げにいうと、ジュリアス殿下はまた笑った。


「本当に仲が良い。我々も見習いたいところだが、権力が絡むとどうにもな」


「お察しいたしますわ。セオフィラス殿下についてお愚痴——じゃなかった、お噂は社交に疎いわたくしでも色々と伺っておりますもの」


「ああ、ブリジット嬢はヴァネッサ嬢と仲が良かったな」


「ええ。王立魔法アカデミーは女性が少ないので、同級生で女性はわたくし含めて、三名しかおりませんの」


「ブリジット嬢とヴァネッサ嬢の他には、スザンナ嬢だな。八大属性すべてを扱える異端児だと聞いている」


「よくご存じで」


「ジェフリーから聞いた。ジェフリーに個人的な話を振ると、姉君の話ばかりするからな」


「で、殿下ッ」


 からかうようなジュリアス殿下の声に、ジェフリーが顔を真っ赤にする。


「本当のことだろう? だからこそ、俺も興味を持ってここに来ているわけだし」


「だからと言って尾行は感心いたしませんわ」


「それは、純粋に申し訳ないと思っている。こういうとなんだが、ご令嬢がたは、外面を取り繕うのが上手いからな。だが身内だけの場では『素』が出る」


 まあ確かにそれはその通り。四六時中令嬢として気を張っていては、息が詰まる。わたくしみたいに「プライベートな場ではだらしない」令嬢も珍しくないだろう。最悪なのは使用人に当たったりする我儘で傲慢な令嬢だが。


「それでだな——その姉弟仲の良さを見込んで、『姉』としての君に強力を仰ぎたいことがあるんだ」


「わたくしに、ですか。弟ではなく」


 ジュリアス殿下の真剣な申し出にわたくしは驚いて一瞬目を丸くする。


「うん。一度ジェフリーにも相談はしたのだが、結局解決できなくてな」


「ジェフリーに解決できない問題——それはわたくしが伺っても良い話なのですかしら?」


「構わない。王家の話ではあるが、ごくごく私的なことだからな。社交界に出入りしている者なら誰でも知っている話だ」


 う゛っ、すいません。社交に疎くて。


「俺の妹——カチュアのことはもちろん知っているな?」


「ええ。お名前だけであれば」


「三年前、母上が身罷っていらい、あれはどうにも情緒不安定なきらいがあってな。気にいらないことがあるとすぐかんしゃくを起こして、魔力を暴走させるんだ。幸い風属性だから物が壊れる程度で大事には至っていないのだが、乳母も侍女たちも手を焼いていてな。俺は年の離れた男きょうだいだし、どう接していいかわからないのだ」


 ジュリアス殿下の言葉にわたくしは少し考えてから答えた。


「魔力暴走だけの問題であれば、すぐに解決できますわ。まだ市場には出ておりませんが、魔力暴走を抑制する魔道具を開発したのです。ただ、問題の根本はそこではないのですよね?」


「察しがよくて助かる」


「その年頃の子供なら、かんしゃくを起こすこと自体は珍しいことではありません。ただ、それだけでは片づけられない頻度で魔力暴走が発生しているのですね?」


「その通りだ」


 ジュリアス殿下が、わたくしの言葉に頷く。


「これはあくまで仮定の話として聞いていただきたいのですが」


 わたくしは前置きをしてから、慎重に言葉を選んで話し始める。


「魔法学に精通しておられる殿下に今更申し上げることでもないでしょうが、魔法の中には、物質だけでなく、精神に作用するものも存在します。例えば火属性や雷属性の魔法であれば、目標を興奮状態にするようなものなど」


「それが妹に使われていると?」


「現場を拝見していないので明言はできかねますが、その可能性は高いかと。クラリッサ王妃殿下の血筋にどうにかして瑕疵を付けたいのでしょうね。ただ、精神に干渉する魔法には高い制御能力が求められますから、無詠唱での発動は困難です。今のように『遮音』の結界が張られていれば——護衛にあたられている方や侍女のどなたかが察知するでしょうし——恐らく何らかの魔道具が使用されている可能性がきわめて高いでしょう。魔道具の起動に詠唱は必要ありませんから」


 わたくしが私見を述べると、ジュリアス殿下は顎に手を当てて唸った。


「なるほど、魔道具か。盲点だった……カチュアについている侍女の持ち物を徹底的に探らせるか?」


「それは——難しいのでは? 侍女や護衛騎士となればそれなりの身分を持っている方が大半でしょう」


「そうか。文官はほとんど第一王子派だからな……」


 わたくしの指摘に、ジュリアス殿下が考え込んでしまう。


 王城に勤める侍女や護衛騎士は貴族出身の方が大半。その持ち物を調べるとなれば、それなりの手続きが必要となる。手続きを担当するのは文官。今の宮廷においては、文官のほとんどに第一王子派の息がかかっている……。


 つまり、ジュリアス殿下が表立って動くのは難しいということだ。


 ジュリアス殿下、すっかり考えが煮詰まってしまったみたいね。


 そこにジェフリーが口を挟んだ。


「ジュリアス殿下、発言の許可を」


「このような場で畏まらずともよい。——何か考えがあるのか、ジェフリー」


 ジュリアス殿下の問いに、ジェフリーは力強く頷いた。


「ございます。それは——」


 ジェフリーの献策。それは大胆で、わたくしにとっては少々迷惑なものであった。

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