第3話・8/14修正版

 リュカの部屋はいつでも簡素だ。


 アンジェリカの部屋と違って豪奢なものは一切なく、必要最低限の家具しかない。そんななかで目を惹くのが武具の類だろう。美術品としてではなく、実用品として、整頓されて置かれていた。


「いらっしゃると思っていました」


 ため息まじりにぽつりと言った。リュカは貴族の淑女にしては珍しく髪の毛を短くしている。切れ長な目尻には、憂いのような色を帯びていた。歳はテオドールの一つ下の十五歳。十五とは思えぬ艶のようなものがある。


 互いに椅子に座ってみつめあった。リュカが目くばせをすると、侍従の女性はなにも言わずに部屋を去っていく。アイコンタクトと小さなボディーランゲージだけで意思疎通が可能なのは、間諜、いわゆる<蟲>の家に生まれた能力故だろう。


 リュカは間者を取りまとめる家の娘として生まれたため、諜報技術や遁走術に最低限の戦闘訓練を受けている。並みの男では数人がかりでも勝てはしない。


「細かい説明は不要だと思うけど……」

「テオ様の口から聞きたいですね」


 抑揚なく無表情にしゃべる。怒っているわけではないのだ。蟲として思考を読まれないように鍛えられてきた結果、こうして表情の起伏が乏しくなってしまっている。

 とはいえ、幼い頃からのつきあいであるため、表情から感情は読み取れずとも、声のトーンでなんとなく把握はできるようになった。


「スヴェラート様の勘気をこうむり、領地没収、爵位剥奪。俺は王国全土に仕官差し止め状を流された。領地の引継ぎが終わったら、晴れて平民様だ」


「……テオ様がその気になれば、フロンティヌス家など滅ぼせたのでは?」


「怖いことを言うな。できるわけないだろ……」

「そうでしょうか? テオ様が城に立てこもり、一月でも耐えれば、フロンティヌス公爵家は勝手に瓦解するかと思いますが?」


 実際、そのとおりだ。


 自分の地位と領地を守るためならば、方法はいくらでもあった。五年ほどフロンティヌス家に仕えてきたのだ。人材の能力や思考方法は全て把握している。策謀によって思いどおりに動かすことなど、わけがない。ヴォルフリートやフレドリクの元で軍師として育てられてきたのだから、それくらいできて当然だ。


「……無理だよ」


「テオ様ならば、籠城している間に敵国に蟲を飛ばし、動かすくらいはするでしょう? グスタフ様やフレドリク様は、おそらくテオ様の説得役として、アルベイン領を囲うでしょうが、手は出しません。その隙に敵国であるアウレリア王国が公爵領境に進軍。フロンティヌスの三翼を欠いた状態では国境を守れません。グスタフ様たちが転進したところで、打って出て背後を突けば、フロンティヌス軍に打撃を与えられるでしょう。その後、グスタフ様たちがアウレリア王国と戦っている間に、周辺領地を切り取り、マソン家を後ろ盾にすることで、確固たる立場を取れるはずです。テオ様ならば、これ以上のことを思いつくのでは?」


「机上の空論だ。そんなにうまくいかないよ」


 スヴェラートに反旗を翻すとなれば、義母を筆頭にしたアルベール派閥の者にテオドール暗殺の大義を与えてしまう。その辺も躱そうと思えば躱せるが、内部から瓦解する可能性はおおいにありえた。


事前に対処するとなれば、義母とアルベールを粛正しなければならなくなる。


 そんな未来はさすがに御免だ。少なくとも、弟に対しては家族の情があるのだから。


「そこまでうまくいかないにしても、スヴェラート様の求心力は落ちるでしょう? そうなれば、再び周辺貴族が反旗を翻し、西部はまた混沌とした乱世になるかと。そのなかでテオ様の才覚があれば、西部統一は容易だと思われますが?」

「買いかぶりすぎだ。俺はそんなに人望も影響力も無いよ」


 笑いながら目をそらすが、リュカはジッと射抜くような瞳で俺を見た。


「私はてっきりそこまで考えて、スヴェラート様を厳しく諫めていたのかと思っていましたが……」


 痛いところを突いてくる。


「でなければ、テオ様がスヴェラート様のような暗愚を直接的に諫めるなどしないはずです。本当に行動を変えてほしければ、暗愚の周囲を切り崩すか……暗殺……」

「しないよ!! お前は俺をなんだと思ってるんだ!?」


「乱世の梟雄」


「そんなわけないだろ! だいたいお前や家臣のみんなは俺を買いかぶりすぎなんだよ! 俺はいつもただひたすら半泣きになりながら無茶振りに応えてただけだって!」

「普通は応えられない無茶振りだったと思いますが……」


 リュカは女だが、テオドールとともに戦場を駆けていた。本人がそう望んだからだ。

 そのため、テオドールの苦労や働きぶりも把握している。


「ということは、やはり……」


 ため息をつく。


「……今の立場を失うために、わざとスヴェラート様を怒らせたのですか?」


 勢いよく目をそらした。


「な、な、なにを言ってるんだい? 俺がわざとスヴェラート様を怒らせた? ハハハハ、ありえないだろ。これでも百人弱の家臣を抱えてるんだぞ?」


「ですからご自分から辞めることができなかったのでは? そんな身勝手は許されないと思っていたのでは?」


 もうダメだ。


 隠しても隠しきれるとは思えない。情報戦においてテオドールがリュカに勝てるはずないのだ。


「ああ、そうだよ! 貴族なんてやめたかったんだよ!!」


 全て吐き出すことにした。


「お前は引くかもしれないけど、本当に嫌だったんだ!! 十一で戦場に放り出されて、そしたらもう大人だから、というわけわかんねー理屈で! 戦、戦、戦の連続だよ! こっちは死にたくねーから、全力で頭使って、敵倒してさ! そしたら、敵からは悪魔だ小鬼だとか言われるし!! ヴォルフリートのクソ野郎からは無茶振りばかり!! ヴォルフリートばかりじゃねーぞ!! グスタフのクソ親父なんて、三日で城を落とせとか言ってきてさ! 自分でもできねーことを俺に命じるな!! それで必死にやったら、今度はフレドリクの腹黒ジジイに、落とした要所を敵から守れ。尚、援軍はなし、みたいなこと言われてさ!! 無茶だろ!」


「無茶でしたね」


「ここ五年で切り取った領地って八割、俺のおかげだからね!! しかも、敵からの恨みは全部、俺に向けられてるしさ!! 少しは褒めてもいいんじゃないかな!?」


「褒めてはいたと思いますが?」


「褒め方が雑なんだよなー!! なんか領地増やすとか言うけど、たいがい増えたところは、痩せ地だし、領民の忠誠心低いしさ! がんばって領民の信頼勝ち取っても、またすぐに領地替えだよ! でも、いいさ。俺の政策のおかげで、領民は楽になれる。そう思ってたら、次の領主の悪政で反乱起きてんじゃねーか! 俺の苦労はなんだったんだよ!! しかも、その反乱農民を俺が鎮めろだと!? 鎮まらないなら殺せだと!? よくそんな命令できるな!!」


「……ありましたね」


「必死になって説き伏せて反乱は鎮めたけどさ、結局、バカ領主のせいで、また反乱起きて、俺が仲良くしてた領民皆殺しだよ! 俺の苦労はなんだったんだよ!!」


 そのほかにも上げればキリがないほど、苦労と苦痛と無茶振りばかりだ。

 それでもヴォルフリートとフレドリクにグスタフという、頭のおかしい大貴族に囲まれ、なじられ、働かさせられた。こいつらから離れたいと思っていたのに、変に気に入られてしまい、気に入られれば気に入られるほど、無茶な仕事ばかり押し付けられた。


「がんばればがんばるほど、辛くなるってどういうこと? おかしくね?」

「そうですね。おかしいと思います。お辛かったんですね……」


「ああ、辛かったよ! あげくの果てには公爵家に入ってフロンティヌスを守ってくれとか、クソ君主がのたまって寄越してきたのは、アンジェリカだ! 俺は嫌だったんだよ!! 見た目はよくても性格悪いって噂ばかり聞いてたからさ! 丁重にお断りしたよ、何度も!! でも、聞いちゃくんねーんだもん!! そのおかげで他の貴族には嫉まれて敵視されるしさ、どれだけ俺が嫉妬貴族どもに金をバラまいてご機嫌うかがってたかわかる? ほんと、マジで余計な金だよ!! しかも、アンジェリカはアンジェリカで超浪費ばっかだし! 女を知らなかった俺に様々なトラウマをぶち込んでくれて、十三にして不能だよ!! ふざけんな!! 今、一番ヤりたい盛りだってのに、裸の女を見ても、なんとも思わねーよ!! あげくの果てにはリュカに勘違いされて、美少年を部屋に寄越されるしさ!! 違うから! 俺、男に興味ねーから!!」


「……その節は申し訳ありませんでした」


「そんな風に俺を重鎮扱いするから、義母上にも暗殺されかかるんだぞ!! 俺、あの人のこと普通に好きだったのに!! 昔は優しくていい人だったのに!! 俺は何度もアルベールに家督は譲るって言っても信じてもらえねーんだもん! 派閥作って家を割ろうとするしよ!! 骨肉の争いとかやめてくれよ!!」


 リュカもさすがに何も言えないようで、悲しそうな顔をしていた。


「それでもがんばったんだ……がんばって、がんばって、俺が辛い目にあう分、領民とかたくさんの人が幸せになればいいって……自分で言うことじゃないかもしれないけど、俺って領民に優しい政治を敷いてたと思うんだ……」

「……はい、そう思います」


「なのに、どうして農民が反乱起こすんですかね? なにが不満なんですかね? 税だって他の貴族に比べて低いだろ? 戦だって常備兵と志願兵しか連れていかないだろ? 法整備もかなり平等にしたし、農地開墾に財政出動もさせたし、商売も奨励して、富ませたじゃないか……俺はそこそこいい領主だったと思うんだが?」


「はい、善政を敷いていたと思います」


「なのに、スヴェラートに踊らされて、農民が蜂起っすわ。臣下の領地で民煽るとか頭おかしくね? 鎮圧したらしたで、領民に血も涙も無えみたいな噂話流されるし!!」

「その辺はこちらで処理したので問題は……」


「俺のがんばりを誰も理解してくれなかったってことだろ!! がんばればがんばる分だけ足を引っ張ってくるってどういうことなの!! あんなに辛い思いしてたのに!! 主君も! 家臣も! 家族も! 領民も! 俺のことなんて考えてくれなかったじゃないか!!」


 シャウトし、続ける。


「もう嫌なの!! 貴族として生きていきたくないの!! 領地も爵位もいらないから、俺に真っ当な人並みの幸せをくれよっ!!」


 洗いざらい叫んでしまった。

 ここまで醜態をさらせば、リュカとてテオドールを見捨てるだろう。そうであってほしい。

 全てを捨てて自由になりたいのだ。


「ふぅ……」


 全てをシャウトして、心がだいぶ晴れやかになった。


「お前たちには悪いと思ってるよ。俺のわがままで迷惑をかけるのは事実だ。でもな、このまま貴族続けてたら、たぶん、俺、戦場でわざと敵に殺されてたと思う」

「……無茶な一騎駆けの理由はそれですか?」

「まあ、後半の戦は死んでもいいや、くらいには思ってたね」


 だが、死ねなかった。自棄になって槍を振るったり魔術を使っているだけで、いつの間にか敵を倒していたのだ。そんな戦い方をすれば武名は広がり、グスタフやヴォルフリートのような脳筋には勇猛だと気に入られる始末。


「スヴェラートへの諫言は、うまく転がれば、俺を僻地に飛ばすんじゃないかな? と思ってたんだ。結果、領地没収、爵位剥奪という俺の目的以上の成果をあげてくれた。スヴェラートのことは人間として嫌いだけど、マジで心の底から感謝だけはしてる。彼には幸せになってほしい」


 あの暗愚っぷりでは、この先、待っているのは不幸だけだが、幸せになってほしいと思う。


「とはいえ、こんな本心、言うわけにはいかないだろ? 弱音を吐けば、家臣に嘲られて、ガチで暗殺……いや、その場で斬りかかられてもおかしくない」


 西部騎士道において、弱音を吐くのは万死に値する。骨肉の争いは日常茶飯事だし、領民が領主に逆らうのは、隙を作った領主が悪いし、領主に逆らう領民は尚悪い。見せしめに皆殺しにしないテオドールが責められるような文化だ。


 椅子にもたれかかり、天井をみあげた。


「もう疲れた……自分以外の誰かのために生きるのは……」


 リュカは「そうですか」とだけつぶやいた。


「責めないのか?」


「……責めません。お気持ちは理解できるので」

「お前のそういうところが俺をダメにする……」

「テオ様の都合のいい逃げ場になるのが、妻としての使命ですから」


 これだから間諜一族の女はおそろしい。妻という職務に対して意識が高すぎる。


「それで、貴族をお辞めになられたあとは、どうなさるのですか? 早めに逃げないとスヴェラート様に殺されますよ?」


 テオドールはフロンティヌス家の内情を知り過ぎている。リュカの懸念どおり確実に暗殺者が送られてくるだろう。更には義母のファビオラも動くかもしれない。


「いろいろ済んだら、すぐさま逃げるよ」

「その後はどうするのですか? 蓄えのほとんどを家臣団の支度金やアルベール様へとお譲りなさってるではありませんか」

「やることは決めてある」


 ずっと夢に見ていた職業があるのだ。


「秘密にしてたが、俺にはやりたいことがあったんだ」


 予想していたのかリュカは苦笑を浮かべる。


「俺、吟遊詩人になろうと思ってる」


 そう、それがテオドールの夢だった。


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