第2話

 次の日にはルシアンが天慶スキルを使えない無神者だと言うことが、街の噂になっていた。


 しかもルシアンが灼剣猟団をクビになった原因は、パーティーメンバーを襲ったためだとか、マルティンまがい商法をしているためだとか、根も葉も無い内容も込みだった。

 いったい、どこからそんな噂が流れたのか? を考えると、突発的にツボを叩き割りたくなるので考えないことにした。


(女なんてもう信じない……)


 心はささくれ立ち、やさぐれていた。それでも、働かなければならない。

 五万レドもするツボを買ってしまったため、金銭的にピンチだからだ。


 しかしながら、変な噂のせいで、どのパーティーもルシアンの加入を断ってくる。となれば、もう一人で仕事をこなすしかなかった。


「死にたい、なにもしたくない……あ、ソロで受けられるような依頼はありますか?」


 冒険者ギルドの窓口で相談するも、受付の女性からは残念そうな顔で首を横に振られた。


「今の時期はダンジョンも活性化しているので、ソロの方への斡旋は難しく……」

「え? メリルさんも裏切るんすか? 女は全員俺の敵ってことっすか?」

「……あ、では、幸運になるツボを売ってるんですが」

「お前もかよっ!!」


 泣きながら駆け去った。背後から「じょ、冗談ですよー!」というメリルの声が聞こえてくる。どうやらルシアンがマルティンまがい商法に引っかかったことも噂になっているらしい。

 外に出たところで盛大なため息を一つついた。


(もう俺は生涯童貞でいい。地母神ミリス様に俺の全てをささげる。あの世でミリス様とイチャイチャする……)


 七神教のうちの一つミリス教は地母神で処女神である女神ミリスを奉る教派だ。


(ちんこ切り落としてミリス様に奉納しよう)


 熱狂的な男性ミリス教徒の気持ちが今ならわかる。

 陰茎を切り落とすなんて気が狂っとると思っていたが、今のルシアンは女性というものに絶望していた。


(今日はミリス様の絵を買って帰ろう。ルガポジ先生の新作が発売する日だし……)


 女神ミリスの宗教画(裸)はルシアンのように女性に絶望した男の必需品だった。だが、神は人のように服を着ないから、決してエッチではないのだ。

 盛大なため息をつき、背中を丸めながら歩く。


(てか、天慶スキルが使えないってバレたの、やばくないか?)


 天慶スキルは七柱神と王神から授けられるギフトだ。天慶スキルを身に付ければ、あらゆる技術が努力や理解なく修得できる。生まれつき天慶スキルを使える者もいるが、普通は契神の儀式を経ることで神との繋がりを得るのだ。

 しかし、ルシアンは天慶スキルを使えない無神者、神との繋がりが絶たれた存在だ。ルシアンも幼い頃に地母神ミリスと契神したが、ついぞ一度も天慶スキルを使えたことは無かった。


(ま、女に騙されるのも当然か。ミリス様にだって俺は見捨てられてるわけだし……あ、これって、もう死ぬしかないんじゃね?)


 神に見捨てられた無神者は差別の対象である。

 天慶スキルが使えないと選べる職業が少なくなるし、貴族としてはその存在を抹消される。地方領主であるウィル家の嫡子として生まれたルシアンが、こうして生きていられるのは、母の惜しみない愛情故だ。だが、その母も病気で亡くなってしまった。

 亡くなる前に父親から逃げるよう言われ、今はこうしてその日暮らしの冒険者稼業だ。


(ま、腐ってもしかたがねーや。どうせ自分の人生に期待しても意味ないんだし、それでも生きていればいいことくらいあるさ。そういうことにしとこう)


 嫉むな、恨むな、奪うな。隣人を愛し、足らぬ者には与えよ。それがミリス教の教義だ。敬虔な信徒であった母からは常に言われてきたことだ。


(もうミリス様以外の女は信じないけど……)


 などと考えながら通りを歩く。

 道行く者の多くが武装をした冒険者だ。交易都市オラハムはダンジョンが近場にあるため、冒険者に向けた産業で成り立っている。一日中市場が開かれており、夜は歓楽街の火が消えない。人頭税が無いので、外部から多くの人が流れこんでくるのだ。そのため、様々な人種でごった返していた。


 エルフにドワーフ、獣人、さすがに魔族を見かけたことは無いが、隠れているだけなのかもしれない。当然、善人から悪人まで多種多様であり、お世辞にも治安がいいとは言えなかった。


 不意に腰の辺りに衝撃を受け、ルシアンは前につんのめる。


 なんだ? と思って振り返ろうとするが、背中から腰に手を回されていた。誰かに抱き着かれているようだ。


「ルシアン様、やっと……やっと会えました!」


 歓喜に震える声は、幼い少女のようだった。ルシアンは驚きながら「え?」を連呼し、その場を回る。だが、少女はルシアンを離さないため、一緒にグルグル回っていた。

 必死になって抱き着く手を放そうとするが、その細腕に見合わず、かなりの怪力だ。天慶スキルによる筋力強化でもしているのかもしれない。


「ちょっ! 放せよ!!」


 瞬間、解放された。正体を確認しようと振り返れば、襤褸切れをまとった白髪の少女だった。髪はザンバラに伸びており、顔は汚れている。年かさは十代前半の子供だ。

 少女は両目に涙を浮かべ、両手を胸の前で握りしめながらルシアンを見つめていた。


(浮浪児……?)


 だと思った。とっさにスリかと思い、胸元の財布に手を添えたが盗まれてはいない。


「なんだ、お前……?」


 少女は驚いたように目を見開き、悲しげに目を細めた。


「私をお忘れなのですか? 68番目の妻アムリです」


 忘れるもなにも、目の前の少女と知り合った記憶さえ無い。混乱するルシアンを見て、アムリと名乗った少女は「やはり頭が……」と涙をこぼす。


「意味ありげに悲しんでるとこ悪いが、クソ失礼な発言だぞ、それ」


「すみません! 他意はないんです! 記憶の話なので……」


 目じりの涙をぬぐい、それでも健気に微笑んでいた。汚れのせいで気づかなかったが、幼いながらもアムリはかなり整った顔立ちをしている。庇護者のいない浮浪児にとって、美貌というのはある種の負債とも言えた。

 行きつく先は良くて娼婦。最悪、慰み者にされて殺されるだろう。


 そんな最悪な未来が脳裏を過ぎってしまい、いたたまれなくなってきた。彼女の運命がそう決まったわけではないのに。


「……それで、俺に何の用だ? 金なら無いぞ」

「お願いは決まっています! また妻としてお傍に置いていただきたいのです!」


 要するに、新手のタカリなのだろう。


「悪いな、ガキンチョ。俺はミリス様にちんこを奉納するって決めてる」

「え?」

「俺のことを金か財布のように思ってるかもしれないが、あいにく金は無い。結婚したいなら、他を当たれ」


 いくらか小銭をめぐんで追い払おうと思った瞬間、襤褸切れの中から少女が財布を取り出した。


「ルシアン様のご面倒は私が見ます。どうかお納めください」


 重みのある財布を差し出してきた。なんとはなしに受け取り、その流れでヒモを緩める。銀貨が十枚ほど入っていた。銀貨一枚一万レドだから、この財布の中には最低でも十万レド入っている計算になる。


(やはり詐欺だな……)


 マルティンまがい商法に巻き込まれた今のルシアンに、隙は無い。乗せたら騙すやり方は詐欺師ポンジューが考案している。一般的にポンジュー・スキーム詐欺と呼ぶらしい。

 そもそも襤褸を着た浮浪児が、こんな大金を持っているのがおかしいのだ。


「ツボ二個分の大金だな。自分のために使え」


 そう言って財布を返し、踵を返す。


「お待ちください! ルシアン様!!」


 ぐいっとベルトを握られる。強引に振りほどきたくても、できない。子供とは思えない怪力ぶりだ。


「いやいや、あのな、おかしいだろ? 子供がそんな大金持ってる時点であやしさクリティカルだよ! もうやめてくれよ! これ以上俺をカモろうとかするなよ! 俺は女の餌じゃないっ!」

「あやしくありません! このお金は道中、商人の護衛をしたり、成敗した野盗から徴収したものであって……」

「それこそおかしいだろ! 子供が野盗を倒せるわけない! 嘘つくなら、もう少しディテールに凝ってくれよ! それともそんな嘘で俺を騙せると思ってんのか! バカにするなよな!」

「これでも魔術師としての腕前なら大陸で十本の指に入ります! ふんす!」


 得意げに胸を張っていた。


 話が通じないヤバい子供に引っかかってしまったようだ。このままだと、新手の「妻妻詐欺」なる特殊詐欺の第一被害者になりかねない。


「おい、ガキンチョ、アムリなんて名前の魔術師は聞いたことない。いくら俺でもそう簡単に騙されたり――」


 目の前に水が生じ、空中で流動していた。すぐさま水は蒸発するように消え去り、炎に変わる。次の瞬間、電流を帯びた炎は、小さな稲妻となって消えた。


 ルシアンは凝然と目を見開き、固まる。


「え?」


 魔術には系統がある。

 水・火・風・土・金・闇・光の七系統だ。

 契神した神に対応するため、普通は一つの系統しか使えない。多くて鍛治神ヴェーラの火と金の二系統だ。


 だというのに、アムリは水、火、金、の三系統の魔術を行使していた。


「これで少しは信じていただけましたか?」

「いや、今のどうやって……」

天慶スキルを使わず、魔術式を利用すれば、複数の系統の魔術を同時に使えるんです。ルシアン様から教わったものですよ」

天慶スキルが無くても……魔術が使える……?」

「はい。全てはルシアン様から受け賜わった知識です」


 魔術師には詐欺師が多いとも聞く。


「わかった。詳しく話を聞かせてくれ」


 一度騙されるのも二度騙されるのも同じだと腹をくくることにした。

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