第8話 入院前 8

 レンタカーを借り仏壇とそれをおく棚、それに実家にずっと預けっぱなしにしておいたクラッシク音楽のLPレコードを百枚ばかり家に運び込んだ翌週、僕は再びレンタカーを借り、中央高速にのって墓のある寺へと車を走らせていた。

 長野県にあるその寺まで高速を使っても四時間近くかかる。ときおり・・・長野って那覇よりもソウルさえよりも遠い、そんな気になるときがある。

 そんなこともあって昔は買ったばかりのカローラSR1600のアクセルを踏み込みっぱなしで到着まで一台も抜かせないなどという荒っぽい運転をしたこともあったけど、今はもうそんなことは決してしない。昔は行き帰りで2度満タンにしなければならなかったのに今はトヨタのアクアなら借りた時に入っていたガソリンが行って帰ってまだ余る。少なくとも燃費に関する技術の進歩ははなはだしい。

 それでも車は環境の敵ではある。本来なら使わないに越したことはない。しかし長野のひなびた街へ鉄道で行くのは時間がかかりすぎ(乗り換えを最低二回はしなければならない)バスで行くのも少しかったるい。荷物があればなおさらである。車に乗ると言ってもせいぜい年に一度か二度、許してもらおう。

 寺の副住職は二時ごろに時間が空くというので、それに合わせて僕は車を走らせた。普段なら一回で済ます途中休憩も二回することができた。昔ならその休憩中に喫煙所に走ったものだけど煙草を止めると休憩もどこか味気ない。というのは喫煙者の僻目ひがめかなぁ。

 のろのろ走らせた車は寺に一時過ぎに到着した。墓を洗い、買ってあった花を供え、線香を焚き、一周忌に来られなかった(病院周りをしていた時期だったし、Covit19とガンは相性が悪いらしいので無理をしなかったのである)無沙汰を詫びてからお堂に入り副住職と面会した。

 取り敢えず病気のことを伝え、万一手術が失敗した場合の時について読経のこと、墓の移転ないしは永代供養のことについて相談した。墓の移転については東京では心当たりの寺はないが、永代供養についての費用については明確な基準が聞けた。墓を移転することも可能だけれどそれなりに相手先で費用が掛かるであろうとも言われた。とは言え、僕自身にはそれを探すには時間がない。まあ、とりあえず聞きたいことは聞けたし、連れ合いも飲み込んだようなので万一のことがあればそれに沿ってすればいい事、その時は僕も文句の言いようのない存在になってしまっているのだから仕方ない。

 帰りは更にゆっくりと運転した。本来なら8時までに車を返さなければならないが、もともと帰着は無理な相談なので車は近くの夜間一律550円の駐車場に置いて、翌日返すことにしている。ついでに朝実家まで運転していって残ったいくつかの品物を運んでくることにした。

 それで、一通りの準備は済む。「小」終活である。これからもこんな小さな終活を積み重ねていくのかもしれない。少し気が滅入るけど、それが当世における人生の潔い終わらせ方なのだろう。

 一応、済ませねばならないことは終えると、予約した当日僕は連れ合いと共に病院へと向かった。

 前回、化学治療と放射能治療の女性医師に最後に確認したのは、どちらかの選択をすることでガン治療に貢献する可能性があるか、ということであったがあっさりと、

「ないと思います」

 というあっさりとした答えを得ていたこともあり、手術の希望を担当医に伝えると、すぐにそれに向けた診断が始まった。前にも書いたが足に痺れがあると伝えていたので血栓の検査と全身のスキャン、それと同時に事前のリハビリ準備として奇妙な形をしたプラスチック製品を渡された。何というか、エンジンに似た仕組みのスケルトンみたいなものであるが、それを持ってリハビリの部屋に行き説明を聞くと手術後の呼吸を助ける器具であった。入院の説明を聞くときに、

「決して入院時に忘れてはならないもの」

 として入院の同意書などの書類と共にそのプラスチック製品が挙げられていたから、よほど重要なものらしい。それを手に家に戻る。手術の四日前にCovit19の抗原検査をし、陰性ならその翌日に入院を許可される。万一陽性なら・・・たぶん相当複雑なことになるのであろうが、幸いにして抗原検査は陰性であった。

 という事で、僕は初めて本格的な「入院」を経験することになった。

 

 入院に慣れていないといったい病院に何を持っていったらいいのか(裏返せば何をもっていかないと困るのか)が良く分からない。とにかく、呼吸のリハビリのためのプラスチック製品と入院同意書を始めとする書類一式、それに入院の手引きに書かれていたものタオル、下着、洗髪用具や歯ブラシなどの入院生活に必要なもの(中には割りばしとかスプーンとかまで)をスーツケースに詰め、入り切らなかったものをバッグに入れ、それでもなお入りきらないものをリュックに詰め、まるで登山をするような格好で僕は連れ合いと共に病院に向かった。

 もちろんIT機器は欠かせない。パソコン、スマホ、イヤホン。病院には無線wi-fiがあるという。それにしても、今でも病院はなぜか「テレビ付き」の部屋を高く設定しているが、病院にいる時に必要なものはむしろPCやスマホであろう。テレビを否定するつもりはないが、テレビと冷蔵庫付きで割り増し5000円というのは時代錯誤のような気がするのは私だけだろうか。幸いにして割り増しなしの部屋(といっても四人一部屋の一角)が空いていたのでそこに潜り込むことができた。

 家から電車に乗って病院まで行った。そもそも体に支障を感じて入院をするわけではないから体は元気で、荷物を山のように持って行っても全然平気なわけでそんなところには多少の滑稽さがある。入院の説明を受け、荷物を全部手に持つと、エレベーターで7階まで登りそこで連れ合いとはお別れである。今はCovit19のせいで、どこの病院でも面会は制限、家族といえども病棟内への立ち入りは禁止であるらしい。

 という事で僕は人生で初めて本格的な「入院」をしたのだ。

 

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