第9話 入院中 1

 入院したのは手術の4日前にあたる金曜日であった。前日にCovit19の抗原検査を行うわけで、ぎりぎりに検査を行うのは病院としては正しい処置であろうが、万一陽性と判明したらその患者の気持ちはいかばかりであろう?

 まあ幸いなことに・・・というべきなのか、抗原検査を無事クリアしたので、僕は予定通りの日程で病棟のエレベーターの出口で連れ合いと別れ、若い女性の看護士さんに連れられて四人一部屋の病室の廊下側のベッドに陣取ることとなった。

 手術前から入院するのは、当然健康状態の管理や食事の制限をするためだが、Covit19の所為せいでそれまでは許可さえあれば出入りが可能だった病棟からでることはできなくなった、という話だ。あの伝染病のせいでさまざまな不都合が生じている。とりわけ重大な疾患であるガンにおいては手術にしろ、化学療法にしろ、免疫の低下を伴うので他より厳しい扱いになるのは仕方なかろう。おかげで一日一万歩、という僕の日常の健康法は難しくなった。つくづくCovit19が流行し始めた際の中国政府とWHOの愚かな対応には腹が立つ。


 僕の指定された病室は既に三名の病人たちが立て籠っている部屋であった。入院初心者である僕としては病室の仁義というものを全く知らない。牢名主に挨拶に行く新入りの収監者のような儀式は必要なのであろうか?そのさい、手ぬぐいに銀一分でも忍ばせていくべきなのであろうか?もし仁義にもとる行いをすれば、松本清張の「佐渡流人行」に収められていた一編の小説のように(それは単なるいびきのせいだったのだが)夜、誰もいないのを見計らって水に濡らした和紙で口を塞がれ窒息死でもさせられるのであろうか?いや、そんなことをしなくても必要な点滴を抜けば・・・。などとくだらない妄想をしていたが、そもそも全員もう命の崖っぷちにいる人々なので、人のことなど構っていられない状況であることが次第にわかって来た。

 病室の患者はそれぞれ何らかの手術を受け、その予後として入院しているケースといったん退院した者の予後の悪化に伴い再入院を強いられた組に分かれているらしい。そんな中で一番元気なのは何を隠そう僕である。なんせ、手術も受けていない身であるから一般人と変わりはしない。そう言う意味では一番危険な人物である。

 そのせいか、新入りを迎えてもみなしんとしている。


 入院患者は患者衣というものを着るのが原則だが、これは手術直後には強要されても単に入院しただけならば普通の寝巻みたいなものを着ても構わないことになっている。家から持参したユニクロで購入したばかりのルームウェアを着て僕は病院の中を散策してみた。正確には病院の中の僕がいる階の中である。点滴用の器具をつけて歩き回っている患者もいれば、何もつけずに自由に散歩している患者もいる。入院中にベッドに縛り付けられないようにするための共用スペースもある。ここに二週間以上いなければならないというのは苦痛ではあるが、しかし病状によってはもっとはるかに長く滞在している患者もいるのだろう。

 そんなことを思いながらうろうろしていたら、さっき僕を病室に連れて行ったのと別の女性看護士が、とっとっと、と早足で僕の方に近づいてきた。

「西尾さんですね?」

 さきほどの看護士さんより少しおさない顔立ちの看護士さんは僕に尋ねた。

「はい・・・」

「私、今日の午後の担当のMと申します。さっそくですが、レントゲンの検査があるので二階の検査室まで行っていただけますか?その後、昼食をとってください。午後にはリハビリを開始しますので・・・」

 と立て板に水を流すように説明をした。

「リハビリ・・・ですか?」

 手術をしてもいないのに?と問いかける僕の目に毅然と

「ええ、手術前から術後のためにするんです」

 と看護士さんは答えた。

「わかりました」

 病室に戻り、受付でカード(これがないと病棟の階から出ることができない仕組みになっている)を受け取り二階へと向かった。

 レントゲン医師はどうも日本人ではないような気がした。流ちょうな日本語を話すがイントネーションがおかしい。。だが一度、この病院の何かの検査でどう考えても中国か台湾から来た女性の看護士に、中国から来たでしょ?と尋ねたら、高知出身だと言われた。ああ、高知っていいところだよね、夜も遅くまでやっているし、とか言ってごまかしたが、あの子もどう考えても高知・・・いや日本出身ではない。どうやら中国出身というと何か不都合な事があるのかもしれない、と思って今度は指摘するのをやめた。この病院の表示は日本語、英語、中国語、ロシア語となっている。という事は患者の構成はその言語に従って成立しているのだろう。ならば中国人やロシア人のスタッフがいてもおかしくはない。

「はい、腕を上げて枠をつかんでください」

 中国語なまりの日本語で指示され、

「息を吸って、はい止めて・・・はいお疲れさまでした」

 昔、散々出張で訪れた香港や深圳の女の子のいるバーの店長のなまりを思い出しながら僕はレントゲン室を後にした。別に中国人が働いていても構わないし、患者に中国人やロシア人がいるのも構わないが、もし病院そのものの経営が外国人に依存しているとなるとそれはちょっと厳しい。日本人は日本にある準公的機関が日本人のためにのみあるとよく勘違いするが特に病院のように経営が独立しているものはどうしても経営の安定が必要になる。言いっぱなしで金も払わなければ寄付もしないという日本人は結構いて、そのくせ文句ばかり言うのはたちが悪い。幸い共済ではあるががん保険には入っているので、入院費はやりくりできそうだ。余ったものから少しでもいいから寄附をしようとその時、内心で決めた。


 昼食は良くも悪くも病院食という感じで旨くはないが取り立てて不味くもない。昔は大層不味かったという話である。病院食を提供する業者は病人を顧客に持っているわけではなく、病院を顧客にもっているわけで、どんなに粗悪な食事を提供しても「栄養を考えればこれ」と主張したに違いない。患者もそれ以外の選択肢をほぼもたない。

 代替のきかないビジネスというものは大体悪化する。しかしそれではいくら何でも、と患者が文句を言い始め、改善したのだろう。改善できない病院は潰れたに違いない。病院には(小規模ながら)様々な利権がくっついていることが想像されるが、お医者さんが賢くても実質的に事務を取り仕切る人間が経営者ということになるので、おそらくは他の社会に比べて就職に関するスクリーニングが甘い事務方が多いものと推察される。

 そのうえなぜか、病院では箸もスプーンもつけてくれないので自分で買って持っていくか、院内にあるコンビニで買うしかない。フォークとかナイフはともかく、箸とかスプーンはなぜだめなのだろう?まあ、色々と分からないことはたくさんある。

 二日目になるとそれまでの「五分粥」が更に水っぽいものに変わった。御粥というのは台湾とかで朝食に食べる分には大変美味しいものであるが、病院のものはただひたすらに不味い。胃腸にかかる負担を軽減するという趣旨は理解するが、とてもそのままで食べるのはつらい。炊いたお米はあんなにおいしいのに御粥にするとどうしてこんなに不味くなるのだろう。手術を前に不遜な話ではあるが、これでは食べ残して体力を維持できない、と看護士さんを通じてふりかけを買って掛けて良いのかを尋ねたのだけど・・・不幸にして週末には医師がいないらしく、結局ふりかけは買ったものの、実際に使うことはなかった。


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