第22話 9日目 2022年5月22日 (日)
昨晩は10時に就寝、一度一時ごろに目が覚めたが、その後4時までは目が覚めなかった。六時間の睡眠時間というのは微妙だけど、まあ良しとしよう。ただ眠っている間の姿勢があまりよくないのか、朝は体の色々なところが痛む。特に下腹でこれは手術に関係した痛みに間違いない。立ち上がってしばらくすると痛みは少し和らぎ、別の形(痛みというよりしこる感じ)に変化する。
朝食は昨日買ってきたクルミパンを一枚焼き、ベーコンを添えた目玉焼きにしてみる。これは間食でよく食べる組み合わせだが今日は昨日のごはんが残っていないので朝食に格上げしてみた。それとオレンジジュースを一杯。野菜不足は気になるが、野菜は喉の閊えの一番の原因となるので警戒中。二週間くらいは控えめでもなんということはなかろう。
朝の五時から腸瘻を始める。九時には終わる。そうすれば一日が丸ごと使える。
フェデリコ モンポウ(Federico Mompou)のMusica Calladaを聴く。演奏している高橋悠治によれば、モンポウ自身はMusica Callada をスペイン語以外の言語で正確に意味を伝えるのが困難だと書いているらしい。callarは「沈黙する」という動詞であり、その意味で「沈黙の音楽」という日本語のタイトルは正しい。穿ってみれば「音楽によって何かを伝える、そういう目的をもたない音の集積」、例えば風のそよぎで鳴る枝や枯れ葉が地面をこする音、水の流れ、そんな存在を内面化した音の集積なのかもしれない、まあ、良く分からないが、少なくともある種の現代音楽のように悲鳴のように何かを伝えようとしたりすることはなく、静かに始まりいつの間にか静かに終わる音楽である。
静寂に対して音は常に重なっていくプラスの存在であるが、マイナスの音の存在というものはあるのだろうか?
*フェデリコ モンポウ 沈黙の音楽 ピアノ 高橋悠治
fontec FOCD 9346
音楽の本質が何かを伝えようとするものであるなら、その真逆の音楽があっても良いと思うし、それに惹かれる人々もいるであろう。僕自身はMompouの信者ではないが、時折解毒剤のように聴いてみたくなることがある。
十時になるとアメリカのMBLの放送があって、大谷翔平は相も変わらずの人気者。一番打者でシフトの逆にどんづまりのゴロを打って内野安打。なかなか日米通算150号の本塁打はでないようだけど、二安打と活躍している。彼は本当に野球が好きそうな好青年だ。そう言えばイチローも野球大好き人間だったなぁ。
昼飯は冷の素うどん。じめじめした梅雨の走りにはこれが旨い。まあそれだけでは栄養が偏るのでチーズやら竹輪やら、キゥイを少しずつ食して栄養を補給する。
朝のうちは曇りがちだったが昼過ぎには日も出てきたので散歩がてらベッドを購入しに大井町まで歩く。以前は大崎から区役所通りを通っていったけど、TSUTAの横を通っていく近道を発見した。信号も2つスキップできるし、日陰も多く便利である。
前回来た時の店員さんを呼んでもらって据え付け込みで、多少値段も勉強してもらって買うことにした。決して安くない買い物だし、狭い家にベッドを置くこと自体の懸念もあるが背に腹は代えられぬ。買ってしまえば、あとは到着するのが楽しみだ。帰りも歩く。
今日の歩数は16,314歩。手術前の平均値に漸く戻った。前回ほどきつくはなかったが体はやはり堪えるらしく、家に戻ってから椅子の上で一時間ほど微睡んでいた。夜、体温は35.5℃と低い。血圧は119/74、脈拍は74とほぼ正常値。
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