第15話 2日目 2022年5月15日(日)

 二時間おきに目が覚める。昨晩からの喉のつかえも残ったままであった。その上、目覚めるたびに口はからから乾いており、トイレにも行きたい。仕方なしに三階の自分の部屋と二階のトイレを何往復かする。ベッド生活で筋肉が衰えているせいか特に起き抜けは足元が不確かで階段は少し怖い。

 寝室に戻ると今度は床に直置きしたマットレスでは横になるのも一苦労である。やはり病院の自動ベッドというのは良くしたものだ。

 十二時、一時半、二時半、四時、六時半と五回も目覚め、六時半の時にはそろそろおきてもいいかな、と思った。病院にいる時より腹や胸の痛みが強い感じがして少し不安だったがリビングの椅子に座り、ふと思い立って体温と血圧を測ってみる。体温が38.7°、血圧が138/96 脈拍が131。明らかな異常値である。さっさと退院したことが少し後悔される。

 とはいえ、熱や脈拍ほどには体が激しくダメージを受けている感じはない。いったいどうしたことか、と暫く考えふとテーブルの上を見やると薬を入れた箱が目に入った。100円ショップで昨日買ってきた三つにわかれた容器でそこに朝、昼、晩と飲む薬をいれその横に備前焼の皿を置き就寝前に飲む薬を入れてある。それを就寝前に翌日分としてセットするというのは病院にいた時からのルーティーンであるが・・・。さて、就寝前の薬を飲んだだろうか?昨日は書いた通り夕食に食べたスープの野菜とハンバーグが微妙に絡まって喉に閊えていたためにそれがとれてからと思って、テレビを見たり夜の小散歩をしているうちに飲み忘れたような気がする。少し考えてから思い切って飲んでみた。この中で カロナール錠という薬は痛みの緩和と共に熱をおさえる効果がある。

 三十分ほどして測り直すと熱は38.3°血圧は128/91 脈が128と少し改善している。

8時半に再度測ると熱は37.3°血圧は120/89 脈は103。やはり薬を飲み忘れていたらしい。

 そうなると、薬の効果を考え朝食の前後の投薬を調整しなければならないので朝食はしばらく取らずにおくことにした。手術前ほど食欲がないのは明らかであまり苦にならない。大谷選手が出ているアスレチックス対エンジェルスの試合などをテレビで観戦したり、時折熱などを測って過ごす。熱は9時過ぎには36.9°まで落ちる。脈だけは104とあまり変わらないのは少し心配である。

 十時半まで待って、マフィンと卵焼きを食べ、それから近くのスーパーで100円で買ってきた、「熱中対策水(日向夏)」を飲む。あまり期待していなかったが意外とおいしかった。製造者を見ると赤穂化成とある。どうやら赤穂の天塩を作っている会社の製品のようである。生き残るためにいろいろと手を広げなければならないようだ。でもまあ、それで良い商品がでるなら歓迎というところである。

 腸瘻で200㏄ほど水を入れ、その後にラコールという栄養剤を入れる。胃瘻とか腸瘻とかは余り良いものではない。口を通さずに内臓にいろいろなものを入れられるわけで、毒薬なぞいれたら一発で死んでしまう。そんな殺人事件でも小説にできそうなものだが、容疑者が特定され過ぎすような気がして今一つ気が乗らない。腸瘻が終わるのは開始から四時間後。パソコンに向かい忘備録を書いてゲームをして・・・。CDを二枚選んで聞いてみる。入院中はFM放送やNHKのラジルの聞き忘れでクラッシック音楽を聞いていたが自分で聞くのを選べるというのはやはりいい。モーツアルトの二曲は私の愛聴盤の一つであるハイドシェックによる演奏。きわめて抑制的でそれでいて可憐な演奏である。どこにも過剰も過小もない。先般実家の片づけをしている最中に残していたレコードが大量に見つかってその中にセラフィム盤の演奏が4曲見つかった。そのうち体が良くなったらアンプとプレーヤーを買い足してレコードの方も聞いてみたい。

 シューベルトは「あの」カルロス クライバーによる演奏である。「あの」が付く指揮者と言うのはやはり息子のクライバーが相応しい。こだわりのある指揮者という事に意味があるのではなくそのこだわりがたいてい名演奏というのはやはり素晴らしいものだ。以前ミュンヘンに住んでいた時に確かバイエルン放送交響楽団の客演指揮者として時折演奏をしていたらしいが、チケットを取るなど夢のまた夢・・・。数少ないCDを集めて聞くのが精いっぱいという人気の指揮者であった。そのCDについては殆どすべてを持っている。

 個人的にはベートーベンの4番と7番の演奏が名演であるとは思うけど、シューベルトの二曲(このCDでは「未完成」は8番のまま)も素晴らしいものです。やはり世の中には音楽の神様と言うのがいるんだろうな。カルロスの神はアポロンに近い。明朗でくっきりしていて、それでいて情緒があってシューベルトの秘められた屈託を爽やかに語っていく。

*モーツアルト ピアノ協奏曲 第20番ニ短調 K.466 第23番 イ長調 K.438

エリックハイドシェック(ピアノ)パリ音楽院管弦楽団

指揮 アンドレ ヴァンデルノート TOCE-16044

*Shubert Symphonien NOs 3&8 "Unvollendete/Unfinished/Inachivee)

Wiener Philharmoniker Carlos Kleiber

Deutsche Grammophon 415 601-2


曲を聴き終えてからシャワーに入る。結局三時ごろになった。明日はもう少し手際よくしてお昼前後にはシャワーを浴びたいものだ。体重は手術前の10キロ減。手術前の医師の話では70キロ前後がちょうどいい体重でそのくらいまで落ちるだろうし、そのくらいまで落とした方がいいと言われたが、それよりまだ10キロほど重い。憮然とする。こんなに苦しんでもまだ太りすぎ、ということらしい。昼食は素麵を食し、タンパク質が不足しているのでチーズを一切れ食べる。

 プロ野球のディゲームなどをちらりと眺めてから外出する。プロ野球と言えば今年は佐々木朗希という投手がパーフェクトゲームをやってのけ、次の試合でも八回までパーフェクトという凄い投球をした。この選手は大船渡高校在学時に地方大会の決勝で登板せずに監督ともどもいろいろと言われた選手だが、たいした素質を持った選手だ。

 そもそも高校野球などというものは、それを人生の目的にするような性質のものではなく部活の延長なのだから無理をさせる必要など毛ほどもない。高校野球とかサッカーとかで変な監督(今年は秀岳館のサッカーの監督かな)が毎年出てくるのは高校野球やサッカーを勘違いしてそれをビジネスにしてしまう学校や教師がいるからで、それこそとんだ勘違いである。高校生を自分の感動のために食い物にしようとする観客もいい加減にした方がいいと正直思う。

 巻き込まれた学生ほどいい迷惑であんなのはブラックビジネスに近い。だが高校生の視野なんてそんなに広いものではなく周りの大人の価値観に埋没してしまうものだ。そんなものに巻き込まれずに才能を生かしてここまでやれる佐々木君はやはり素晴らしい選手だし周りの大人も立派であった。

 昔の松坂もすごい選手だったけどやっぱし高校の時の無理が晩年祟って、最後はなんだかぼろぼろにされてしまった感じが否めない。とりわけピッチャーは下手をすると甲子園は潰されてしまう場になっているのだからね。投げると言うだけでわくわくさせてくれる投手なんて何人もいるわけではない。昔で言えば金田、堀内、村田なんかがそういうピッチャーだったけど、佐々木はそうした大先輩を凌駕するわくわく感がある。過保護だの体ができていないだの大した知識もない癖に批判する人もいるみたいだが全部無視して大きく羽ばたいてほしいものだ。

 そんなことを思いながら外に出る。天気はあまり良くはないが湿度が高く暑い。歩はあまり進まない。どうしても体を庇うので少し猫背になるし、足取りは重い。五反田まで足を延ばして、目黒川を渡り駅のあたりまで行ってから薬局に寄り歯ブラシだけ買って家に戻る。

 夕食は連れ合いの作ってくれたマグロ丼とホウレン草の浸し。マグロは生だったのだけど、まあちょっと刺身はまだ怖いので焼いてもらって納豆と一緒に酢飯で食した。幸い喉のつかえはおこらなかった。


本日歩いた歩数は8901歩。なかなか10,000歩までは遠い。

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