第29話 おじさん構文をふりかえる
自分としては、🥺とかいった最近流行りの絵文字を見るたびにうわ、中国くせえ、だとかとんでもない忌避感を感じるのだが、おじさん構文と巷で言われるあの文章見るともうパタッと倒れそうになる。
というのも、そもそも自分はインスタだとかやらないし、SNSもそんな四六時中やるようなこともない。そんなときに、わざわざ極彩色を使うような派手な文面を見る機会と言えば、ゲームだとかYouTubeをしている時に流れる、出来の悪いゲームの出来の悪い広告なのである。自分はその広告手法に歓心しないし、むしろ嫌悪感しか持たない。
自分は、現場で生み出されているおじさん構文と接する機会が少なく、むしろ姉がからかい混じりに使っているという話を聞いて、その存在を知った。
まれに、昔の曲のMVだとかYouTubeで見ているときに、コメント欄でそれっぽいものを使っている人がいることを見る程度なのである。
しかし、この事象が単なるネタで収まるものではないのかもしれない、ということをニュースを見ていて思い当たった。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220915/k10013818911000.html
そう、自分が見ていたのは表層に具現化している事実だけで、その背景を無視していたのかもしれない。
若者はパッと打ってパッと伝えることを主眼とするが、中高年にしてみれば誤差無く伝わることを主眼としている……。それは聞き飽きた言葉だったが、メール世代とSNS世代のギャップというのもある。例えば……
https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_25.html
宇多田ヒカルは自分も好きで、かなり聴き込んでいる。でも、ブログの文章は今の感覚と何かが違う、なんかジェネレーションギャップのようなものを感じる。
とは言えども、現代人が自分を貫くことができたように見える過激な平成初期のギャルに憧れることがあるとも聞いた。
途中から話の終着点を見失ってしまった。とりあえずこの言葉で話を締めよう。
「おじさん構文は面白い」という言説が出るということは、年齢層の壁がそこに存在していて、違和感を持っているということだ。
追記
https://mobile.twitter.com/zuntatta/status/776627663918075904/photo/2
宇多田ヒカルさんを何度も引き合いに出して悪いが、1980年生まれの人の標準的な会話を考えると、宇多田ヒカルのそれは全く持って当てはまるように思えてしまう。
そういえば、宇多田ヒカルはデビュー当初、15の女の子であったんだ、と母が言ったことは印象的だった。洋楽でのヒットシンガー、ビリーアイリッシュも、その女の子の一人であり、性的な視線に晒されたくないとか云々、学校の教材でやって、中々面白かった。私はタレントというものを本当に、抽象的なイメージで作られた偶像、アイドルだと誤解しているのではないかとたまに自分に疑っている。
ゲームの悪役に憎しみを抱くように、ドラマの俳優を憎み、そしてバラエティショーのゲストを憎んでいる、と。それが憐れみでも嘲笑でも、自分は果たして対面の人間関係の中では決してしない、逸脱した感情を持ってはいないか、と疑っている。
ビリーアイリッシュはインタビューでこのように述べていた。
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/36275/2/1/1
「私はまだ子供で、いかにも子供っぽいことがしたかった。近所の店やショッピングモールに行けないってことに、私はすごくムカついてたし、納得できなかった」
時事ニュース日和 一盃口 @i-pe-ko-doradoradora
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