【巻一〇 賈詡】愈見賈言之非

「こういった辺りでも賈詡の進言が

 的外れだってのがわかっちゃうんだなー!」



「袁紹圍太祖於官渡,太祖糧方盡,問詡計焉出,詡曰:「公明勝紹,勇勝紹,用人勝紹,決機勝紹,有此四勝而半年不定者,但顧萬全故也。必決其機,須臾可定也。」太祖曰:「善。」乃并兵出,圍擊紹三十餘里營,破之。紹軍大潰,河北平。太祖領冀州牧,徙詡為太中大夫。建安十三年,太祖破荊州,欲順江東下。詡諫曰:「明公昔破袁氏,今收漢南,威名遠著,軍勢既大;若乘舊楚之饒,以饗吏士,撫安百姓,使安土樂業,則可不勞眾而江東稽服矣。」太祖不從,軍遂無利。


臣松之以為

詡之此謀,未合當時之宜。于時韓、馬之徒尚狼顧關右,魏武不得安坐郢都以威懷吳會,亦已明矣。彼荊州者,孫、劉之所必爭也。荊人服劉主之雄姿,憚孫權之武略,為日既久,誠非曹氏諸將所能抗禦。故曹仁守江陵,敗不旋踵,何撫安之得行,稽服之可期?將此既新平江、漢,威懾揚、越,資劉表水戰之具,藉荊楚檝櫂之手,實震蕩之良會,廓定之大機。不乘此取吳,將安俟哉?至於赤壁之敗,蓋有運數。實由疾疫大興,以損淩厲之鋒,凱風自南,用成焚如之勢。天實為之,豈人事哉?然則魏武之東下,非失算也。詡之此規,為無當矣。魏武後克平張魯,蜀中一日數十驚,劉備雖斬之而不能止,由不用劉曄之計,以失席卷之會,斤石既差,悔無所及,即亦此事之類也。世咸謂劉計為是,


(漢籍電子文献資料庫三國志 301頁 ちくま2-290 批判)



○解説

 陳寿ちんじゅによる賈詡かく伝本文について。袁紹えんしょう曹操そうそう官渡かんとで包囲したとき、賈詡は一瞬の決勝点さえ見逃さねば勝利できると進言。そして結果は進言通りとなりました。一方で荊州けいしゅうで水軍を得、そのままに向かおうとしたときには「呉になぞ出向かず、荊州の経営を万全にすべきです。そうすれば孫権そんけんとて抵抗が無駄であると悟り、帰順してくるでしょう」と進言。これを聞き入れなかった曹操は結局敗北した、と語ります。まぁそれだけ賈詡の進言が的確だった、と陳寿先生は語りたかったわけですね。

 裴松之はいしょうし先生、は? と噛みつきます。長い。

 この頃まだ関中かんちゅう馬超ばちょう韓遂かんすいがうごめいてたわけで、どこにしっかり経営なんぞしてる暇があんだよ。だいたい荊州けいしゅうなんて劉備りゅうびサマの名望が染みついてんだし曹操になんざ帰服しねえよ、なーにが万全の経営だよ、そんなんできっこねえんだから帰順もねえっつーの。だいたい荊州を曹操が経営できるってんなら曹仁そうじんだって江陵こうりょうであっさり負けてねーよ。それよか手に入れた水軍で一気に呉を叩くべきだったっつの。赤壁の敗戦、疫病の蔓延なんざ天のご意向でしかねえ、人の手でどうにかなるもんじゃねえ。つまりこの呉攻めは別に曹操の失策って訳じゃねえ。なら賈詡の献策だって的外れだってことだ。

 あとな、曹操が五斗米道ごとべいどう張魯ちょうろを攻め落としたときに、しょくはパニックに陥った。間もなく曹操が攻め込んでくる、ってな。ここで劉曄りゅうようが「この勢いに乗じて蜀を攻めれば落とせる」って言ったのにもかかわらず曹操は軍を引き、その後の遠征では失敗。あのとき劉曄の進言を入れたらあるいは、ってのは多くのやつが語ってる。後悔してもおせえんだよ、なら赤壁だって行くしかなかったの。


○皆様のコメント


・波間丿乀斎

 いや水軍接収したそばから運用できるとかどんだけ裴松之さん軍隊運営舐めてるの……?


・ひぽ太郎様

 松之先生は劉備の事を『荊人服劉主之雄姿』と褒めてくださっているんですね、思想の影響でしょうけど、これだけで「ヤダ…この人分かってる…(トクン)」とグラってきちゃいますね😅

 漢中を陥とした時に曹操が勢いに乗じなかったのも、赤壁の敗北で「勢いだけじゃ山や川は乗り越えられないよな」と悟っていたんでしょうね。賈詡は準備の重要さなど軍事を良く分かっていたんですね。松之さんは…なんでプロの人に噛み付いちゃうの…?

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