第105話 キッホル
「何が……一体全体ナニが起きているっちゅうねん……?」
「俺に訊くな。
分かる訳ねーやんか」
不安の声を漏らしているのはコナータの兵士である。クロトーに付き従い、クライン領までやって来た男たち。
簡単な事で不安になるほど、神経の細い男たちではない。イズモが見たならば、山賊と見間違えそうな荒くれた野郎どもなのだが。
今回は。
自分たちのリーダーであるクロトーがおかしくなってしまった。夜の暗がりに向かって一人で話していると思ったら。
遠くのスペリン大森林から多数の
兵士たちは自分の目を疑ったが、その女性は兵士の視線を気にもせず、魔牛へと向かう。
動きを止めたクアルンゲの雄牛ども。
女性が手をかざすと、そこから何かが放たれた。何かとはなんなのか分からない。分からないが何かの力だ。まるで
クロトーの兵士たちは『強化』を知っている。
その状況に似ている……様な気がする。
似てはいるが……何かが違う気もする。
兵士たちに言葉で上手く表す事は出来ないが、クロトー様の技はフシギではあるが禍々しいカンジはしない。
「キサマらが鍛えているからこそ、強化も効力を強く発揮するのだ。
やりすぎは危険だ。
強化しすぎると後で体に反動が来る」
などと言われる危険もあるワザだが、それで兵士たちは助かっている。
言葉は厳しいが自分たちに対する気遣いもあるクロトー様の言葉である。
やる気も出ると言うモノだ。
だから、
しかし。
現在の女性を見る兵士たちの脳裏には共通の言葉が産まれていた。
禍々しい。
あれは災いを招くもの。
人間に対して災厄をもたらす何か。
『凶化』などと言う言葉は誰も知らない。ひょっとしたら正気を失っているクロトーならば、知っていたかもしれないが。
そのクロトーが笑う。
「くっくくくく。
この娘の技は素晴らしいな。
100頭もの魔物を一気に『凶化』してのけるとは。
同時にその娘の体を器用に操ってみせたこのキッホル様も素晴らしいと言うモノだ。
くひゃひゃひゃひゃひゃ」
「……おどれ、おどれはクロトー様では無いんか?」
男は訊ねていた。
訊ねる勇気が今までは出なかったが、今の言葉を聞いては確認せずにはいられない。
娘の体を操ると言っていた。その意味を推測するならば、現在のクロトー様に見えていた女性は…………何者かに操られたクロトー様。
「当たり前だ。
その位、頭の悪い人間にだって察する事が出来た筈だろう。
キサマらは怯えたのだ。
私に。
愚かな人どもよ」
「……なんやて?!」
「なんでもええわ。
クロトー様を乗っ取っていると言うんやったら、その体を戻しいや」
「そうだ、クロトー様にお返しせいや」
「とっとと出て行かんかい」
「くかかかかか。
いつまでも人間の体などに居る気は無いがな。
今はまだ駄目だ。
もう少しこの体は使い出がありそうなのでな。
それだけではない…………
この娘の記憶を調べるに……
もしやこの娘の姉の体にあの方が蘇りつつあるのかもしれん。
そうとなれば、この体を明け渡すことなど出来はしない」
「てっめぇ、ふざけんなや」
「何をゴチャゴチャ言ってるんや」
クロトーに、いや、操られたクロトーに突っかかったのは二人の男であった。
槍を持った二人の兵士。
キラリと光る槍を女に向かって突き出すが…………
「アホウが!」
その嘲りの言葉と共に二人は弾き返されていた。
クロトーが、クロトーに見える女性が、その腕でもって槍を受け止め、そのまま叩き返したのである。
何事も無かった様にクロトーの姿をしたモノは言った。
「この体を傷つけたなら、キサマらの大事なクロトーとやらが傷つくのだぞ。
何故、その程度の事が分からん。
だから、人間は愚かだと言うのだ」
「なんやて……槍を素手で受け止めよった……?!」
「大事なのはそこやない。
あの体に攻撃したら、クロトー様が傷つくだけ、ゆー所やろ」
「ちゅーても攻撃しても効かんのじゃ」
「……くっくくくくく。
やはりキサマらと違って、このキッホル様は頭がいい。
思いついたぞ。
キサマらの使い道をな。
実験台になって貰おう。
自分自身の体ではなく魔物に『凶化』を使うなど、このキッホル様も初めての経験。
上手くいったかどうか、試したいではないか。
けひゃひゃひゃひゃひゃ」
兵士たちには相手が何を言っているのか、分からなかった。
分からなかったが、その目が赤く輝いている事だけは分かった。
誰かが話していた。
「ははははははははは。
このクロトーの忠実なる兵士たちよ。
私の命令に従え。
進め。
進軍せよ。
あの魔物に向かって。
キサマらも男ならば、クアルンゲの雄牛を自分たちの力で倒して見せよ」
彼らの王女がこう言っていた。
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