第67話 鹿
要するに俺は調子に乗っていた。
地獄の様と呼ばれる鉱山ではあるが、俺にとっては楽勝。さらに深夜のオシゴトはちみっちゃい子の応援付。いくらでも頑張る気力が湧いて出る。
シャベルも手に入ったし、革靴も手に入れた。順風満帆である。細かい問題はあれども、何とかなるさ。そう思えた。
「ふぁいとーーーーー!
いぃっぱぁーーーつ!」
深夜、俺は山の奥を走り回る。崖を滑り降りて、途中でピタリと止まる。
身体強化と速度上昇を使って山道を移動するのはかなり楽しい。普通なら歩けない場所をグングン登ったり、断崖絶壁を飛び降りたりも出来るのだ。
下の方に煌めくモノが見える。それは川だった。夜空の星を反射して煌めく水面。
俺は流れの側に降りてみる。手ですくって少しだけ飲んでみる。
ちべたい!
高山の清水、美味しくはあるんだけど。生水なのだ。飲み過ぎたら危険。
寄生虫の類いである。北海道でアウトドア楽しんでもいいけど生水だけは飲んじゃダメって言われるヤツ。
エキノコックス。
この卵は直径0.03ミリ。肉眼で取り除くことは不可能。
コイツは基本的にネズミのお腹の中で増える。増え続ける。無限に増殖するのだ。腹をパンパンにしたネズミはやがて動けなくなる。ネズミを捕食する動物、例えばエゾキツネがこの身動き取れないネズミを食べたとしよう。そのエゾキツネが川の上流の側で用を足す。すると流れる水の中に虫の卵が混入するのである。
下流の方でそーんなコトとも露知らず、水を飲んでしまうとアラ大変。人間の肝臓の中で無限に増殖する。いくらでも10年でも20年でもかけて増えていくのである。気が付くと肝臓の中には無限のエキノコックス。寄生虫どもに喰われて肝臓はボロボロ。可能性は少ないが、この気持ち悪いヤツは移動して眼球や脳味噌に辿り着いて寄生する事すら在り得る。
俺の目の中に寄生虫?!
脳の中ででも繁殖するかもしれない?!
やめて、やめて!
考えただけで気分悪くなる。
昔この話を聞いた時はしばらく、ミネラルウォーターを飲む気がしなかった。特に北海道の水なんて書かれていたら、見るのもイヤだった。
だけど、今俺は手ですくって飲んでしまった。そんなコト気にしてたら、この世界で生きていけない。
あの強制収容所で口に入る水だって怪しいモノなのである。
日本にしろ、海外にしろ、水道が整備され浄水までされ出したのなんてつい最近のハナシ。200年くらい前まではそんなコトして無かったのだ。
多分この肉体だって、あの鉱山で働いてる労働者達だって、令和の人間の100倍はお腹の中が頑丈に出来てると思う。エキノコックスはともかく、ノロウィルスくらいなら、モノともしないんじゃないだろうか。
そんなワケで寄生虫のコトなんて知るかーっ!
高山の水、旨いから良いんじゃーっ!
と元気回復する俺なのである。
そんな俺なのだが、動くモノを見つけた。川の近くを上流へと遡りながら、移動していた。川に近づこうとする物体。
ドーブツ?
なんだべ、アレ。
茶色い体、頭部から生えた節くれだった角。
シカ。
多分あれ鹿だよな。
…………ヤギ? ……ヤギとシカって違うんだっけ。
えーとサンタクロースのソリを引っ張るヤツは……トナカイだったよな。
ヤギ……ヤギは山羊と書くくらいなのだ。羊の仲間だろ。フワフワした毛並み。メェーと鳴くウールの材料。
だから、やっぱアレはシカだ。
立派な大角。
頭から生えた角が先の方で枝分かれしている。
俺は木々に隠れてシカを観察する。
どうやら鹿は水を飲みに来た模様。川に近づいて、頭を下げている。なんかカッコええな、あの角。
頭と一緒に動く大きな角。頭に植物でも生やしてるみたい。
おっ、横にもう一匹。
仔ジカが居る!
ちっちゃいの。茶色いカラダでまだ角は生えていない。替わりに短い耳がヒクヒク動いてるのがカワイイ。
アニマルプラネットみたい。
シカの親子か。
かわええなー。
見てるだけで癒される。
俺はそのまま、シカの後を追跡してしまう。
川の上流へと移動していくシカの親子。
歩くと仔ジカのシッポがヒョコヒョコ動くのだ。
メッチャ可愛い。
辺りは鉱山の周辺の岩山とは大分様相を変えている。山の斜面、川の周辺は樹が生い茂っている。
ギャァ ギャア
どこかで五月蠅い声が聞こえる。
そういえばシカ肉って食べられるのかな。
俺はこの世界で動物の肉をあまり食べていない。収容所で出されるスープに肉らしいモノは入って無かった。
羊肉はフツーに食べるよな。ジンギスカン。少し大きい肉屋ならマトンやラム程度は売ってる。シカ肉は売ってるの見た覚えが無いな。
ジビエならなんでも食べそうだ。
おっと違うんだよ、食べようなんて思ってないよ。
俺の不穏な心の動きを察知したかのように親シカが振り返る。
警戒の目で俺が隠れた樹の辺りを睨む。
キミの大事な仔ジカを狙ってたりしないってば。だから警戒を解いてくれよ。
警戒されてしまったみたいだし、もう行こうかな。
そう思った俺だけど、もう少しだけ。
少し先の方、そこで木々が終わって、なんだか景色が開けてるみたいだ。
そこまで行ってみよう。
そこには湖があった。
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