第26話 口づけ

「労働者に自分の愛人になるよう迫るなんて職権乱用じゃ無いですか!」


 セタント・クラインが言う。

 頭を垂れて下を見ていた目線は、今ではフェルガ副所長に向けられている。


「ここの監視官達が、若い女性を愛人にしてるだって。

 だから、貴方もなんて!

 話が逆でしょう。

 副所長に任ぜられたのなら、それを諫めるべき立場の筈で……

 ムグムグ?!」


 金髪の少年の口を塞いだのは俺である。

 副所長に向かって、更に厳しい言葉を言おうとするセタントを強引に止める。


「……な……何をするんだ? 999番」

「シィッ!

 落ち着け、キミは前までは貴族の一員だったかもしれないが。

 現在はこの鉱山の労働者に過ぎないんだぞ。

 副所長にケンカを売ってどうする?!」


「……あ!……」


 自分の立場を思い出したのか、セタントは頭が冷えた様だ。

 こっちはこれで良いとして、問題はフェルガ副所長の方。強制収容所の副所長がそこに捕まっている犯罪者に言いたい事を言われて、黙って耐えるような堪え性が有るだろうか。



「ふ、フフフフ。

 随分と青臭い事を言うもんだねぇ。

 さすが、クライン家のお坊ちゃんだよ」


 ありがたい事に副所長はセタントの台詞を子供の戯れ言として流してくれる様だった。


「だけど、そこまで言ったからにはタダじゃ済まない覚悟くらい出来てるんだろうねぇ」


 ノォー! 

 許してくれなかったか。フェルガ副所長、どうする気なんだ。


 制服に身を包んだ美女はツカツカとセタントの前に歩いて来たと思うと。

 その唇に自分の口を付けた。


 ほえっ?!

 キッス!!!!!

 チュウ、口づけ、ベーゼ、接吻んんんんーーーー?!?!


「……ん?!……

 ん、ん、んんんんん」


 金髪の美少年は驚き慌てるけど、その唇を美女は逃さない。

 口と口が絡み合い、外から見ていてもセタントの口の中に何か入って行って蠢いてるのが分かってしまう。

 えーと、つまり。

 べろちゅう、舌入れ、ディープキッス。

  

 俺は固まっている。目の前の光景の衝撃で、助けなきゃなんて思いはブットンでいた。

 たっぷり十秒は少年の口を蹂躙してから、フェルガ副所長は離れた。


「な、な、なななななななな?!」


 金髪の子は混乱していて、目をグルグルと回している。俺もほとんど一緒。


「……ひょっとして……ひょっとして……今のがわたしのファーストキッス?

 うそっ、ヤダッ、女の人となんて!

 いや、そんなの在り得ない~。

 やだやだ、いやだもの」


 セタントは地面に座り込んで泣き出してしまった。

 寝ぼけると声が高くなるクセが有ると言っていたな。混乱しても声が高くなるのか。混乱して小声でつぶやく現在の声は女の子の様に高くて可愛らしい。


「くっくっく。

 手付は戴いたからね。

 お坊ちゃん、いつ泣きついて来ても良いんだよ。

 歓迎するからね」


 フェルガ副所長はそんなサマのセタントを見て笑いながら言う。そのまま辺りに居る監視官達にも声を張り上げて宣言した。


「いいか、お前ら。

 この711番は見ての通り、私の小姓候補だ。

 私の許し無しに下手にいたぶったりするんじゃ無い。

 だからって、甘やかす必要も無い。

 作業をサボってるようなら、キッチリ蹴飛ばしてやれ。

 分かったな」


「はっ」

「はい」


 副所長の言葉に姿勢を正す監視ども。普段は横柄な奴らだが、この女の言う事は絶対らしい。言ってる事はメチャクチャな気もするが、誰一人文句を言わない。


「じゃあね、お坊ちゃん。

 やせ我慢せずにとっとと私の所に来るんだよ」


 言い残してフェルガは去って行った。

 黒い猛犬も大人しく彼女の後を着いて行く。

 俺は呆然と見送っていた。



「711番大丈夫か?」


 まだ座り込んでいたセタントに手を貸したのはヒンデル老人だ。彼はまだ頭に監視官に踏みつけられた痕が残っている。


「ヒンデルこそ大丈夫か?」


 俺は老人の頭を払ってやる。肩にも蹴られた跡が有るのだ。


「なに、大したことは無い」

「……324番さん、ヒンデルって名前なんですか?」


 セタントが訊ねる。

 しまった。つい名前で呼んでしまった。


「……まぁ、そうじゃが、ナイショじゃぞ。

 まだそこらに監視がいるかもしれん」


「はいっ、ヒンデルさん。

 普段は使わない様にします。

 でも番号じゃ無くて名前で呼び合えるって良いですね」


 金髪の子はショックから立ち直ったのか、それとも先程の経験を忘れようとしているのか。明るく笑いかける。


「今は辺りに誰も居ませんし、ここの副所長が言っていたんです。

 名乗っても構わないでしょう。

 僕は……セタント・クラインです。」


 セタント・クラインと改めて名乗った、その顔が一瞬昏くなった様な気がする。ほんの一瞬で、すぐに明るい顔に戻ったが、なんだか俺はその暗い表情が気になった。


「あの……それで……」


 なんだかセタントが俺の方を見ている。

 なんだろう?


「ああ、ああ、セタントさん。

 この999番は特別な事情が有ってな。

 本名は語れないんじゃ」


 特別な事情?

 俺の名は労働者999番、それ以外の名前。

 本名……俺の本当の名前って何なんだ?

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