第21話 粉塵
「くっちゃべって無いで、とっとと歩かんかぁ!」
監視官の恫喝の入った大声が聞こえて、俺とセタントは慌てて歩き出す。
岩の多いゴツゴツとした登り道。
宿舎から坑道までの道のりは10分弱。遠くは無いが坑道は岩山の中なのだ。道は整備などもされていない。コケて落っこちたりしないようロープが張られてはいるが、それだけ。岩が転がる道は正直歩きづらい。
しかも俺達はサンダルしか履いていない。木の板を布で足の甲に挟む粗末なサンダル。
こんなの令和の日本では絶滅している。田舎のひなびた温泉宿にでも行けば、稀に便所サンダルとして見つける事が出来るかもしれない。
「はぁ、はぁはぁ。
くっ、この程度の山道に屈するものか」
見ると俺の後ろで金髪の少年は息を切らしている。まだ鉱山労働への出発点に過ぎないんだけどな。
途中ゆっくり歩いている324番ことヒンデル老とすれ違う。
「ツルハシ持とうか?」
「すまんの」
岩場のシンドイ場所は後ろから軽くフォローしてやる俺である。オンブくらいしてやってもいいのだが、目立ち過ぎると監視官に絡まれる。
「711番も俺がツルハシ持ってやっても良いんだぞ」
711番はセタントの作業員番号。名前で呼びたいトコロだが、ここでは名前で呼び合うだけで、監視官からロッドで殴られるのである。
俺は他の作業員の名前を知ったのはヒンデルが初めて。他の人間を名前で呼んだ事も殴られた経験も無いが、新入りが殴られた場面なら見た事がある。
顔面でも打ち付けられれば、それだけで鼻の骨が潰れる。鼻血を垂らして、呼吸に苦しみながら鉱山作業をさせられる。
このキレイな顔面にロッドが打ち付けられ、歪む場面は絶対に見たくない。
「この位僕が持つ。
ちょうど良い杖替わりだ」
金髪の少年はムリをしていると感じる。
ツルハシは意外と重たい。柄の部分は木製でなんて事は無いが、先端の金属部分だけでも60センチ前後、ちょっとしたダンベルくらいの重量はある。
ムリするな。俺に任せろ、と言いかけて俺は止める。
まだセタントは若い。これから毎日鉱山労働が続く。この位の苦労はアタリマエになるのだ。甘やかし過ぎず、慣れさせた方が良いのかもしれない。
暗い坑道へと入っていく労働者達。俺達も後へ続く。
ヒンデル老人がセタントに何やら言っている。
「711番、口の周りに布を巻いておいた方がええぞ。
ワシの古い作業服から作ったのですまんが、良ければ使え」
「そうなのかい?
確かにホコリっぽくてイヤだけど……」
「ここの埃は金属の混じった物なんじゃ。
身体に吸い込み過ぎると、病気になると言われておる」
「そうなのっ?!
分かった、着けるよ」
粉塵と言うヤツか。確かに肺に粉塵が溜まればそれだけで病気になる。塵肺と呼ばれる肺疾患。
前世で勉強したんだが、あまり覚えていないな。
確か鉄や炭が肺に入っても軽い症状で済んだハズ。より問題なのは花こう岩の主成分である石英の類い。
近年それで大問題になったのがアスベスト。アスベストも石英すなわち珪酸塩を主成分とした物なのだ。こいつは建物に必ずと言う程使われていた。その健康被害がハッキリしだしたのが1970年代。この時されたのはアスベストを加工する工場や吹き付け作業の際の危険性を下げる対策のみ。相変わらず建材としては使われ続け、アスベストが健康に問題がると言う報告も続いた。アメリカでは訴訟問題が大量発生、WHOでは発がん性物質として報告されるに至って、日本でも全面的に禁止となった。これが2000年代の話。
今でも当時の建築物を壊す際には、慎重にアスベスト除去作業をしなきゃいけないと言う禍根を残したのである。
なんか一個思い出すとズラズラと連鎖的に記憶が繋がるな。オッサンになるとそーゆーモンなんだよな。
いやいや、俺の脳味噌はまだ17歳。そんな年齢じゃ無いハズ。
なんだか色んな余計なコトを思い出したせいか、怖くなってきたな。この世界で肺がんになったら治療してくれるお医者様はいないだろう。
俺も布でマスクしようかな。
「しかし、324番。
他の労働者達はそこまでして無いぞ」
周囲の労働者を観察すれば、布で鼻や口を覆っているヤツも居なくは無い。埃っぽいからトーゼンだ。だが半数以上は気にしていない。大口開けて粉塵の舞う坑道で作業しているのである。
「埃を吸い込んで病気になるのは数年、或いは十数年後の事なんじゃ。
アイツらは今日の事しか考えとらん。
その怖さが分かっていないんじゃ」
ああ、なるほど。
病気になるのは数年後、それでは粉塵と肺病との因果関係が掴みにくい。だから元の世界でも発見が遅れたんだな。
人間と言うモノは数年後に病気になるぞと言われても、危機感が薄い。布マスクを着けて呼吸が苦しいのはゴメンだと言うヤツだっているだろう。
ヒンデル老人は年の功で鼻と口を覆わなければ、肺病になると理解している。
「なんて恐ろしい処なんだ。
地獄の様な鉱山と聞いてはいたが……」
セタントは素直に言われた通りに口元を覆っている。怯えた表情を浮かべる金髪の子。
地獄の様な鉱山?!
それは言い過ぎなんじゃ……
「正にここは地獄じゃ。
国に歯向かったモノが送られる最果ての強制収容所。
711番、アンタは若い。
耐えてなんとか生き延びなされ」
………………
待遇の悪い職場だとは思っていたが、地獄の様とまで言われているとは……
俺も素直に布マスクつけるとするか。
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