19
※※※※
しまった
僕は
何をやっていた
約束
そうだ
約束したんだ
思い出した
僕は
一人じゃなくなった
それだけ
それだけで充分だ
約束にはまだ間に合う
奪われた時間は大きいが
やれることは終わっていない
完全なる幸福を
僕の傍へと取り戻す
その為に必要なことは何だ
僕が探すべきものとは一体
それは——
……っ
まずい
見つかった?
どうにかして
切り抜けて
ここから
出なくては
※※※※
「丹畝市“鬼”事件群、とでも呼びましょうか」
日下は奇妙な呼び方をする。
まるで連なりではなく、寄り集まりであるかに聞こえる。
「この事件を
そして優しく喉を震わし。
「この辺りに伝わる昔話に、私の推測を混ぜた物です」
彼女は遥か、古い時へと
むかしむかし、ある山に神様が住んでいました
神様は大地に黄金を授け、人に豊かな暮らしを与えました
沢山の人が神様を慕って、その山の
発展し繫栄した人々は
やがて神様の助けなしでも生きていけるようになりました
そうしていつしかみんな
神様のことを
忘れてしまいました
「一応聞くが、こいつはしっかり本筋なんだろうな?」
容疑者を追い詰めて、さあここからというところで、始まったのは日本昔話。
結局この探偵は、何時でも破天荒である。
「先輩、ここ丹畝市の歴史が重要なんです、分かりませんか?分からないなら黙っててくれませんかね?」
「百歩譲ってそうだとしても、あの社が最初だっていう根拠はどこだ。寺だってあるぞ?それにあんなに小規模なもの、むしろ中心じゃないと考える方が自然だ」
「二つあります。一つは屋根が直線で構成され、曲線が含まれていなかったこと。仏教伝来以前の神社建築にはよく見られた特徴です」
思い出してみればあの建物は、全ての要素が直線で成り立っていた。
そしてもう一つは——
「あの社の祀り方は、原始神道の思想にピッタリと当てはまるんです」
「えっと、つまり?」
「御神体を収める本殿が存在せず、拝殿のみが建っているというのが、最も分かりやすい特徴です」
「拝殿」。
あれは慥か、本殿とは別に参拝の為の空間で、より大規模だったり、行き易かったりするものである筈だ。
あの社からは、真逆の印象を受ける。
「ちょっといいかな真見ちゃん?本殿が失われて拝殿が残った場合も考えられるんじゃ?仮に拝殿のみだったとして、どうして『原始神道』なんてのが出てくるの?」
轍刑事も腑に落ちていないようだ。
いきなり神道やら神様やらが出てきて、その場は混乱していた。
「いいですか?神道は本来、アニミズムです。自然崇拝、乃ち自然そのものを信仰する文化です。それを踏まえた上で考えてください。御神体とは、神の現身、神の姿を模ったものや、神が乗り移ったもの。しかし、自然ありのままを信仰する集団にとって、それは必要なものなのでしょうか?」
「ん?えー、それは…あー」
「そうか!例えば山を信仰するなら、それをそのまま御神体にすればいい!けれどそれを神社の中に収めるなんて出来っこない。だから、山を拝む場所、『拝殿』だけがあるということだね」
もう追い着けたのか、凄いなあんた。
日下は首肯し、話を続ける。
「この形式で有名なものだと、
「だが少し違くないか?大神神社って、あれって山の外にあっただろ」
あの社とは設計思想が異なると思うが。
「そう、確かにそこは異なっています。なので、私はこう考えました。あれが祀っているのは、神暮山というより、この『丹畝』という場所そのものなのではないか…と」
土地全体…また大きく出たものだ。
「拝殿から見えるものを信仰する。ならば思想的には、あの山、というより、この一帯で最も高い場所から見えるこの土地、それ自体が信仰対象なのではないでしょうか」
「じゃあわざわざ山に作ったのは?」
「古くから、山は『異界』でした。人を育むこの土地とのコミュニケーションの場として、自分達の日常とは別の世界である“山”が選ばれたのは、自然な流れでしょう」
そうだ、確かに俺も思ったことがある。山というものは、線引きされた別世界のようなものだと。
自分達と共にありながら、しかし異なる存在と触れ合う場所。
それはやはり、この世ならざる
この地でその条件に当て嵌まるのが、あの神暮山だった。
「あの社は四方を完全に開放できるようになっています。例えばあの拝殿では、中で拝めば風を感じるでしょうし、それは神が通ったということになります。供物を捧げれば山に住む動物が食し、神の
「『黄金』というのは?」
「この地の民話に頻出する単語ですが、この辺りの特産品である小麦のことでしょう。実際市歌でも、西方に集合している小麦畑を『黄金』と称しています。渡来してきたものか、それとも原生種が奇跡的に質の良いものだったのか、それははっきりしませんが、この土地で育つそれらを、重要な恵みであると考えていたことは分かります」
脳内に、ある光景が去来する。
山裾に広がる黄金の絨毯。
その中を笑顔で、泳ぐように行き来する人々。
拝殿に盛り付けられ、やがてどこかへ消える穀物や毛皮。
その向こう側に鎮座する、顔の無い物体。
いや、姿すら持たないのだから、そのイメージも間違いなのだろう。
その仮説は、筋は通っているように聞こえる。しかし疑問点はまだある。
「仮にそうだったとして、そんなに古い起源を持つものが色々残っているなら、もっと注目されるだろう?それに、あの社の中にはご神体があったじゃないか。かなり雑だったが、自然信仰とは異なるように見えるが」
「そう、そこが大事なところです」
日下は
「あの設計と、中の状態との嚙み合わなさは、現在かつての信仰が全く残っていないことで説明できます」
つまり。
「一度あの場所は完全に忘れ去られ、後にあの場所を見つけた人間によって、また別の信仰のための神殿にされた、ということです」
そこに何故あるのかは知らない。
しかし、自分達の信仰の場所として使えそうだった。
だから、その場所を再利用した。
「もしそうなら、よっぽど困窮してた宗派だったみたいだな。あんな小さな社を、増築すらせずに使い回し、更に中に置いたのが、あの藁人形
「そう、元からあった別の教えの拠点を、見た目そのままの状態で、自分達の中心に据える。本来ならあり得ません。あの社を見れば、それを建てた人間の思想が分かります。それ程までに、神殿の設計というものは特別な意味を持つものなのです。にも拘わらず、他の宗教の『意味』を纏ったままでいる理由とは?自ずと答えは限られてきます」
俺はあまりピンと来ていなかったが、
「バレたらヤバイ系の宗教だったわけッスねぇ」
彩戸とかいう男は理解したようだ。
こいつ、一見大人しく話を聞いているように見えて、時折周囲に目を配り、隙を伺っている。どうやら話に乗っているのは、こちらの油断待ちのようだ。
ならば日下は、決して目を離さないだろう。
「そう、そのように考えれば説明がつきます。別の宗教に擬態し、大規模な活動もなく派手な神殿も持たず、人が寄り付かない場所でひっそりと行われる信仰」
この日本で、ひた隠していかなければならなかった教え。
あの偽御神体の状態から、ここ十年二十年ではないように思える。
だとすると、答えは絞られてくる。
あるいはそれは、あの日見た光景からの連想かもしれない。
十字に磔にされた、揉腫足を見たから。
そう、俺はあの時。
その光景を以前に見たことがあるような気がしたんだ。
「隠れキリシタン…ってヤツか?」
「その可能性が高いでしょう。あの粗雑に見える
「ま、待った!」
轍刑事は再び置いてきぼりである。
「仮に、仮にこの地にキリスト教信仰があったとして、何らかの形で記録が残っているものではないかな?原始神道とは違い、文字だって存在する、ほんの数百年前の話でしょ?」
「普通に見つかって、弾圧されたんじゃないッスかぁ?」
彩戸は興味なさげに声を出す。気の抜けるような猫背だが、日下は一切余所見をしない。彼はそれを、どこか面倒に思っているように見える。
「だとしたら、それこそ記録されるよ。こんな地域に潜伏してるなんて珍しいことだし。それに発覚したとして、十字架がそのまま残っているのは辻褄が合わないと思うんだけど…」
「じゃあ、見つからなかった?」
「見つかってなかったとしたら、開国を経て、江戸時代が終わった以降も、一切表に出てないのが不自然だよ」
その疑義への答えも、日下は当然のように用意している。
「この土地の信仰の特徴はそこです。この教えは、どうやら“秘匿”という行為を重視していました。宗教としての本文だったのか、生き残る知恵かは分かりませんが。実際その後も、廃仏毀釈や戦時下の海外文化敵視等、弾圧によって絶える危険性のある出来事は数多くありました。結果的に言えば、彼らがとった手段は正しかったのかもしれません」
「信仰の本文が『秘匿』ってのはどういうことだ」
いくら当時は隠れる必要があったとしても、いずれは広く知らしめるつもりではなかったのか。信仰とは共有され、広まっていくものではないのか。事実、「宣教師」という形で広めに来たから、この地に根付いたのではないのか。
「キリスト教の前身たる宗教をご存知ですか?先輩」
「は?知ってるよ、ユダヤ教だろ?」
「なら分かるでしょう?ユダヤ教とは本来酷く閉鎖的なものです。同胞たるユダヤの民こそ選ばれたものであり、辛く苦しい不遇の身の上には意味があるのだと。隣人や敵への愛は、キリスト教となって以降のものですよ。いえ、キリスト教になってからも、『洗礼を受けていない非教徒は地獄行き』、そういう『選ばれし者』思想は変わっていません」
「救い」と「秘匿」は、矛盾しない。
いやむしろ、「秘匿」があるからこそ、「救い」の説得力が増す。
「当時日本に渡ってきたのは、イエズス会と呼ばれる勢力の宣教師が主でした。単なる利権、権力機構となり果てたカトリックの教会を『旧教』と蔑み、正しい信仰を取り戻そうとした、『宗教改革』なる潮流が生んだ派閥『
それに反発した、誰かが居た。勢力争いの為に、教えの内容が歪められる、それを忍べなかった誰かが、イエズス会内部から現れ、異端として分かたれ、彼らからの排斥も届かない、日本の奥へと逃げ込んだ。或いは最初から、追手の及ばない場所を目指し、信仰を再編する、その為に日本に来たのかもしれません。それとも、別宗派のスパイ、だったとか。
恐らくその人物は、キリスト教をその“原点”まで巻き戻して見せたのでしょう。素朴な状態まで還元し、“本当の教え”を、取り戻そうとした。この教えは大本(おおもと)に立ち返る程に、全ての人間ではなく一部の人間を救うものとなっていく」
「原点」。
信仰によって選ばれた者となり、神の御許へと旅立つ。
ほんの一握りしか救われないと、出来るだけ広くに知らしめる。
その矛盾も、もしかすると“神様”とやらの本質の一つなのだろうか。
「この地に受け継がれた信仰は、限りなくユダヤ教に近い救世主信仰、そういったものだったと考えられます。戒律も原典に近いため、偶像崇拝が禁止されていたであろうことも、発覚を妨げた一因でしょう」
置かれていたのが十字架だけだったのも、そのせいか。
考えてみれば、仮に絵踏といった試練に直面しても、問題なくパスできる。彼らにとって描かれている神は、偽物だ。
本当に神聖なものとは、描くことも、見ることも、語ることも、できないものなのだから。
かつて、姿を捉えられない何かを奉じていた場所が、姿無き者に身を捧げる場所となった。
それらは、元から親和性が高かったのだろう。
「こうして、どこにも描かれず、文字で書き表されず、しかしひっそりと伝えられた教えは、
——ああ、そうか。
この話がどこに繋がっているのか。
それが
「それが三絵図商店街だってことか」
日下はこちらに一瞥もくれないが、しかし感心したような空気を感じた。
「珍しく優等生ですね、先輩」
余計なお世話である。というか何目線だ。
「俺もあの場所の空気を直接感じたから、なんとなく予想できただけだ」
「あの場所」。
三絵図商店街。
あそこには、神域が如き静謐さがあった。
あの共同体の不可解な結束も、信仰によるものだったと思えば、まあ筋は通るだろう。
「全員で人殺しに隠蔽、更には集団自殺とは…随分と根強く、且つ過激に残っていたんだね」
轍刑事の言う通り、綿々と受け継がれてきた教えは、おそらく数百年の時を超えながら、今尚その効力を失っては——
「いいえ、彼らもほとんど忘れていたでしょう。本来なら意味の無い教えとして、時代と共に過ぎ去っていくようなものだった筈です」
——何?
「おいおい、それが団結力の原因って話じゃないのか?」
「先輩、情報は正しく受け取ってください。『本来なら』と言いました。つまり、それを再興した何かがあったんです」
失われる筈だった救世主信仰。
それは突然に息を吹き返す。
「単なる信仰。それならば良かった。しかし、その効力を取り戻すどころか、変質させてしまった者がいる。それこそが、今回の事件の元凶ですよ」
そうして話は、また一歩進む。
「この土地は、今言った通り信仰を、乃ち生きていく軸とも言うべきものを隠していました。『隠蔽という風土』と言ってもいいでしょう。他の市区町村との物資的な交流はありながら、文化的、思想的なそれはあまり見られない。都会になりかけの閉鎖的な自治体というものが、ここに誕生しました」
ビジネスライクな付き合いならする。
発展させること自体は望むところ。
しかし根本的なところで、腹の内を開かない。
自らを一切見せずに、相手を受け入れることなど出来ない。
開発は進み、ハイテクノロジーが幅を利かせ、しかし人は減っていく一方。
どっちつかずの、半端で先細りの地。
「こういった現状を打破すべく、開放的な在り方を目指した人間も当然存在しましたが、その試みの
「まあ、急な改革は大抵そうなるよな」
変化は嫌われる。
世の常だ、珍しくもない。
「ところが、この丹畝市に関して言えば、それだけとは言えないんです」
「へぇええ…」
彩戸が、息を漏らすように囁く。
眼差しは氷点下だが、吐き出した空気からは熱を感じる。
「どういう…、一体何がこの地にあるんス?興味があるッスねぇ…」
ここが。
こいつらの初登場は、
ここか。
「聞くところによると、揃いも揃ってかなりの妨害に遭ったようです。スキャンダルは当然、選挙活動の度にどこからともなく現れた団体に居座られたり、呪いや祟りを信じ込んで逃げるようにこの地を去った方もいらっしゃいます」
「ほぉ、それはまた、酷い偶然ッスねぇ…」
「ええ全く。どうやらどこぞの誰かが熱心にお祈りでもしたようで。その甲斐もあって、この地は今も微妙なバランスの上です。実際、主要都市と同じような生活水準で、住民は信心深いために神秘を信じ込ませやすく、情報は外部に漏れにくい。“舞台”としては最高の条件ですよね?」
日下の意識が、そこで完全に彩戸に向いた。
「この地は、実験場ですね?“吟遊”が作り出す支配機構を、密かに試すモデルケース。違いますか?」
放たれた言葉は、とても不愉快なものだった。
「不可解な出来事に対して、人がどう反応し、噂や口伝がどのように拡散し、どういった収束を見せるのか。加えて、情報操作とは別のアプローチはどこまで有効なのか。とにかく試せるものは何でも試す。そういう場所ではありませんか?」
「日下、それはつまり…ここは、俺達の住んでるこの場所は、こいつらが嘘をばら撒く為の練習台って、そういうことか…?」
俺達は、実験用ネズミだってことか?
「妄想入ってるッスよお?証拠は無いみたいだし、はっきり言って戯言——」
「そう、戯言です。本来こんな話を信じ込む方がどうかしている」
——けれど
「けれど、状況証拠だけなら存在してしまっているんです」
さっきから日下の表情が、徐々に険しくなっている。
追い詰められているのは、どちらなのか。
入れない筈の隙間に、自身を削って潜り込もうとしているみたいに。
「そして貴方はこの話の後、利害の一致により、私の推理の一部を肯定することになります。これはもう分かっていることなんです」
「あ?」
彩戸が、本格的に困惑している。
俺にも、彼女の言っている意味が分からない。
しかし、答えはすぐ近くにあったのだ。
「さて皆さん」と探偵は一同に語りかける。
「仮に、仮にです。皆さんがある特定の動物の生態を調べる立場にあったとします。その目標は、その種を自分達の都合の良い状態に“改良”することです。そんな時皆さんは——」
——まず初めに、何処を観察しますか?
動物の行動。いや、この場合はその種全体としての傾向、大きな流れを知り、それにどうにかして介入することが求められる。よりプリミティブな、個体差程度には左右されないものであれば尚良い。
生存本能という根本に、最も近いのは食べること、寝ること、そして子孫を残すこと——
——子孫?
「そっか、幼体がどのように成長するのかを知ることが必要なんだね」
轍刑事も思い至った。
そう、子どもの作り方と育て方。それさえ分かれば、干渉する方法はかなり広くなる。
極端な話、その種を支配したいなら、次の世代となる者達全てを支配しておけば、時間が自ずと事を進める。
彼らは、白紙だ。書き込み方さえ理解すれば、簡単に理想の傀儡へと仕立てられる。
子どもとは、“未来”そのものだ。
奪われたなら、全て握られたも同然。
「そう、当然彼らも、教育や発達といった分野を重要視するのが自然です。実践可能なら、まあやってみるでしょうね」
……
…………
……………………
待て。
それは
つまり
「そういう…ことなのか…?」
——だからお前は、そんなにも辛そうなのか?
——誰かの思い出を、真っ黒に塗り潰してしまうから。
だが日下は、止まらない。
彼女は、終わらせに来たのだから。
「そうです。ここを実験都市とすることが決まった時点で、この地に作った筈ですよ。子どもが集まるような、何の違和感も抱かせずに、彼らを育てることが出来るような、施設を。仕組みを」
俺は、ゆっくりと振り返る。
落ち着きなく目をキョロつかせている愛子。
これ以上ないほど完全な、驚愕の表情を浮かべている優子。
事前にその正体と概要を、聞いていたであろう公僕達。
全ての視線の先には——
湯田夕刻さんが、
覚悟を決めたように
しっかりと両の足で
佇んでいた。
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