6月1日
6月…大雪が降っていた1月頃がつい先週のように感じてしまう。時が経つのがいささか早すぎやしないだろうか。
今日も土手沿いを自転車で走った。
道路から1段下がった所はちょっとした散歩コースや遊び場なのだが、今は草食動物の餌になりそうな同じ丈の草がぼうぼうに生えている。だが1箇所だけ…だいたい学校の教室くらいの面積だけ草が刈り取られ、小さな草の山が積み上がっている区画があった。そういえば最近その刈り取られたエリアでキャッチボールをしている親子を見かけた。地区の有志がそういった場所を確保するために草刈りをしたのだろうか。
所で、積み上げられた刈草は枯れ草色になっていた。おそらくイネ科だろうから、てっきりウサギやウシの飼料用のような薄黄緑色になるものだと思った。だが良く考えれば、稲の草の部分を干したものは茶色だし、名前は忘れたが発酵させた藁のような飼料もある。それも確か茶色だった。よくカビるので苦手な飼料だったが。
だがさて土手に積み上げられていた草は枯れて藁のような色になっている。チモシーのような緑を保っている草となんの違いがあるのだろうか。刈り取っても緑のまま枯れる草は緑のままだ。枯れ草色に変化する草との違いは?
きっとスマホで調べてしまえば1発で答えが出てくるのだろう。だがそれでは深く理解できる気がしない。直接色の変化を目で確認して違いを調べたい。
こういう疑問が浮かぶといつも高校時代の選択の過ちを後悔する。
こういう専門知識や研究の真似事は大学に行くのが1番なのだろう。高校の頃の担任は、何度も農業短大へ進学することを強く勧めてくれていた。断る度に「勿体ない」と言ってくださっていた。
だが当時の私は、高校を卒業してまで数学と英語に縛られたくない、勉強なぞクソ喰らえ、卒論を書きたくない等言い訳を並べていた。だが学びの場を卒業した今、その考えが如何に浅はかだったか痛感する。
わたしは結局学ぶのが好きなのだ。
数学や英語のような興味のない世界はとことんやりたくないが、興味が尽きない世界はその興味が尽きるまで調べ尽くしたい。仮に先人がとうの昔に調べ終え、答えが出ているものだとしても自分の目でその全てを見てみたい。なぜ現在の和牛が和牛たるか、餌による肉質の変化は、乳やそれを飲む子への影響は、仮に家畜の全てのストレスを軽減させたとしたらどんなものになるのか…
私の興味は動植物の命であるし、そう軽々と研究できない世界だ。学ぶためにはそれ相応の大学へ行かねばならない。高校時代本当に馬鹿な選択をした。間違えた選択だったと思ってしまう。できることならば、幼稚園児からやり直して楽々と大学に行けるようなルートを歩んでみたい。
だがこの間違った選択のおかげでフレンド達との交流があるとも思っている。この関係達は捨てがたい。この点においては間違えてよかったのかもしれないとさえ思える。
この現在のネットの交友関係の半分以上はとある1人のフレンドから広がった世界だ。この1人に出会ったかどうかで私の人生は、大学に行ったかどうかより大きな変化を受けていたかもしれない。
ここまで考えると、高校時代の過ちを許してしまう。いつもだ。現在の捨てられない物の大きさを考え、間違えてよかったと思ってしまう。もし本当に学び、仕事に活かしたいのであればまたこれから目指せばいい。でもそうしたらきっと今のようなフレンド交流は出来なくなるかもしれない。なので今はもう少しだけ、今に浸っていたい。まだもう少しだけ。
数学と英語に対するやる気のなさが興味に負けたその時は行くかもしれないが。
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